西田幾多郎の生命哲学 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社 (2011年1月13日発売)
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水野先生の課題図書

まさか西田幾太郎さんの哲学を読むことになろうとは思わなかった。いつも水野先生には不意を衝かれる形になる。でもこれが自分の趣味嗜好から、私の脳の癖から抜け出す機会を作って戴けることになるのだからありがたい。それは水野先生に限らないだろう。すべて誰かに薦めて戴ける本はきっとそういう効果を私に与えてくれている。

著者の檜垣立哉さんが『哲学的直観 ほか (中公クラシックス) 』でベルクソンさんの解りやすい解説を書かれていたと水野先生に話していたので、きっとこの本を選んでいただいたのだろう。

養老さんが哲学者本人の著作を読むとその人自身の脳の癖があるからわかりにくくて、凡人は彼の研究者によって解説された本を読んだほうが理解しやすい…みたいなことを書かれていたように檜垣さんの解説は解りやすいように思う。おそらく、もし私が西田さんの著作を読んだら何がなんだかわからず、さっぱりお手上げだっただろう。

だから、この本は西田さんの哲学を物語にした本である。凡人には物語しかわからない。

ポパーのいう世界1を世界2を通して世界3にするのが哲学のようである。おそらくは科学もそうである。
世界1は物質と現象の世界。これは人間には手の施しようのないあるがままの世界である。世界2は哲学者本人にしかわかり得ない世界。哲学者の脳はそのものそれ一つしかなくどこにも繋がってはいない。ある意味閉じきっている。それを開いていくのが文字や文章という言葉による表現なわけだけれども、もしそれによってみんなが共有できる、まぁ…上手くして「普遍的」なものになれば、それが世界3になるかも知れない。

哲学は物質と現象を素材とする。それを自分の脳の中で自分しかわからない仕方で考え抜いて表現する。それがみんなに伝わればいいが、大抵はあまり伝わることなく「変な人」で終わる。まぁ、変であるのが当たり前。だってその人が頭の中で考え出したことなんて普通は他の人にはわからないんだから。(普通にわかることはもう既にわかるとされていることでしかない。それは社会にとって都合のいい物語である。それがわかるということは既にして誰かに支配されているということを意味している。)それでも、考えたいから考えるのであってそれは哲学者の勝手である。だれも文句をいう筋合いのものではない。しかも時には後からそれを研究する人もいて何かの役に立つこともあるのである。

それにしても、巻末に解説にかえて檜垣さんと小泉義之さんの対談があるのだが、これが凄い!
小泉さんの仰る哲学はまるで戦闘である。喧嘩腰!どうも哲学は戦うことのようである。そりゃそうだろう。「俺は自分の頭で考える。お前らに支配なんかされないぞ!」なんだから。

いや~哲学はおもしろい。頑張れ!哲学者。



Mahalo

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 思想
感想投稿日 : 2013年7月29日
読了日 : 2013年7月28日
本棚登録日 : 2013年7月26日

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