カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

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本棚登録 : 983
レビュー : 107
著者 :
keitasakuraiさん  未設定  未設定

『カーニヴァル化する社会』 鈴木謙介 講談社現代新書 2005年 ★★★☆☆

長年の間、どうにも馴染むことができず理解に手こずる人種がいる。それらの人々は様々な表現で特徴づけることができる。さしあたっていくつか抽象的に指摘すれば、無反省な断定が自己を支えている人物であり、また、「ハイ・テンションな自己啓発」=「カーニヴァル」を繰り返し試みる人物である。しかもその動機は、自己のアイデンティティを模索するためではなく、アイデンティティへの問いをやり過ごすためである。

03年から04年にかけて、イラク戦争反対のデモは「ピース・ウォーク」や「サウンド・デモ」という形で日本でも盛んに行われた。また、02年の日韓ワールドカップの際には、それまでオフサイドの意味も知らなかったような人々までが、にわかに日本代表について熱く語るようになった。

話は大規模な、政治的なイベントだけにとどまらない。最近の話で言えば、就職活動の際、私は違和感を感じる奇妙な人々に数多く出会った。例えば、志望する企業の先輩に0B訪問をした際、どう考えても評価が分かれそうな主観的なアドバイスをこちらの状況を鑑みずにする人物。また、知人の中にも、自分の内定先があたかも地球上で最も自分に適合している会社だと感慨深げに語る人物がいた。
また、大学入学当初に入会したテニスサークルには、さして大きな目的や連帯感がないにもかかわらず、いわば瞬発的に盛り上がることのできる人物が大勢いた。

長年、この手の人々をどうのように理解すればよいのか、また、どのように接していけばいいのか、という疑念が折に触れて私の思考の中に立ち上がってきていた。彼らを注意深く観察してみれば、「場当たり的」という一言では片付けられず、各場面ごとに自分の役割を「キャラ」という形で自在に変化させていることが分かる。

本書『カーニヴァル化する社会』は、私のこの疑問について、現代の社会学の知見からなんとかして解き明かそうと試みているように感じられた。ジークムント・バウマンによれば、ソリッドなもの、大きな物語が志向された近代にかわって、流動的で個別的な事態が人々に直面する「リキッド・モダニティ」とでも呼ぶべき近代の新たな位相に、我々は突入している。

先の就職活動の例において、私が感じた奇妙な違和感も決して無関係ではない。通常、このような社会(=リキッド・モダニティ)において、「本当の私」や「本当の愛情」や「本当にやりたいこと」を望めば望むほど、それが手に入れられず、結果として立ちすくんでしまわざるを得ない。その時々のキャラに応じた「これが本当にやりたいことなんだ!」という一瞬の盛り上がりと、本当はそんなものなど何もないという冷めた状態とが共存する、個人化された時代、という鈴木の時代認識はおおむね正鵠を射ている。

それでは、私が抱いた前述の疑念は一体なんだったのか?このような個人化された時代の中で、むしろ一瞬の盛り上がりの後に疲労の顔を見せない人々…。ある種の奇妙な爽やかさと行動力を兼ね備えた人々…。

鈴木はそれを「ノンリニアなモードの個人化」ではないか、と処理していくのだが…。マクロな時代診断をミクロな人間観察へと落とし込む鋭敏な感覚を感じ取った。

レビュー投稿日
2008年11月9日
本棚登録日
2008年11月9日
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