人間の建設 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2010年2月26日発売)
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こうしたひとたちが、同じ場所で同じ時間を共有するということはおもしろいようで、実はさびしいものである。何かが変わることはなく、ふたりという人間がひとりひとりであるということが否応なくわかってしまう。けれど、だからこそ、このひとでしかない、そういうことに気づかされる。小林は小林でしかなく、岡は岡でしかない。このことがなんとさびしく、また豊かなものであることか。
新潮社は、いくらなんでも解説・註釈をつけすぎである。わからないということがどうしてそんなにもいけないことか。平易で簡単であることがどうしてそんなにも大切なのか。ふたりの対話の冒頭部分のことをまるで踏まえていない。専門用語なんて問題は別にどうてもいいはずである。読んでいて註釈記号が多くてなんだかうっとうしい。
小林という人間が、書くことにおいても話すことにおいても変わらないということのは、ああやっぱりそうか、とそんな気がする。むしろそうでなければ小林ではない。あんな風にものをみて考えられるというのはやっぱり彼しかいない。確かに池田某は彼を心より愛し、尊敬し、そのことばが書き物の中に生きているが、やっぱり彼ではない。どんなに真似をしたり、同じものを呼んだとしても、彼のように考えることはできない。しかし、彼のことばがわかる。彼の心が見えて透ける。実に不思議なものだ。それゆえに、彼のことばを求めてやまない。
岡という人物は少しラディカルなひとであるように感じられた。革新的であるというよりかは沸点に至るまでがものすごく速い。沸点は決して低いということはない。むしろ高いひとだと思うが、指数関数のように、急激に一気にある一点へ達するひとだ。そこにはやはり、この島国で生きてきた、ただそれだけが彼を突き動かしている。どうしてそんなに愛してやまないのか、ぜひとも聞いてみたいところである。
お互いがわかりあうことも、培ってきた経験も分かち合うことはできないが、それを承知の上で、互いに感じたこと・思ったこと・考えたことを投げかけあい、応えていく。同じ考えにたどり着くことはない。だけど、どういうわけかふたりが反発することはない。それにはやはりどこかで通底している何かがあるからだ。つなぎとめる何者かが横たわっているからだ。対話というものは、そういうものをどうしたって感じさせずにはいられない、力がある。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 詩集・句集・書簡集・対話集・エッセイ
感想投稿日 : 2017年7月30日
読了日 : 2017年7月30日
本棚登録日 : 2017年7月30日

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