自分のここまでやつてきたこと、目指してやまないことがかうしてどこかでつながつた時、精神の魂の脈々と続く何か流れのやうなものを感じずにはゐられない。
医者だの看護師だの臨床心理士だのなんだかんだといふ垣根ではなく、ひとりのひととして、苦しむひとの声に耳を傾けてゐたい。誰もひとりでは生きられない。医者だから、カウンセラーだから話すのではなく、ひとは誰かに何かを伝へずにはゐられない。ひとの声に耳を傾けることは、特別なことではない。同じくらい、ひとは誰かに声をあげてゐる。
精神病が治るとは。カウンセリングが終結するとは。治療の文脈でひとを心を捉へることがさうでないことよりよいといふのか。心は決して完成したものではないし、完成するものでもない。治療の枠組みにあてはめればあてはめるほど、その枠組みから逃れるやうに、ひとは都度心の病を抱へるだらう。
長い時間の中で抱へられてきた、さうした心は他でもない、そのひとらしさであれば、育んできた周囲の人間、ひいては文化そのものといつても過言ではない。もし、治療といふ枠組みならば、目の前の人間を育んできた自身の行ひや大きな文脈に自覚的でなければ、結局同じことを繰り返してしまふだらう。
こころ医者のすることは、治すことではない。どうしやうもないこの自分を抱へて歩けるやうに、そばにゐることだ。そのひとのもつ、魂の気質をどのやうにほかのひとと埋めていくか。うまくいくこともあれば、いかない時もある。うまくいかなかつたからといつておしまいではない。もう一度取り組めばいい。今までとは違つた埋め方を知つた時、どうしやうもない自分の気質に出会つた時、ひとは必ず学び成長する。一度できれば二度目が楽になる。二度目が楽になれば三度目も楽になる。さうしてひとは養生の努力を続けていく。治療といふ文脈ではこのやうにひとの人生を考へることはできない。
治療ではなく、ひとが自分の魂の気質に出会ひ、存在することしかできないこの人生を歩める、そんなこころ医者になりたい。
- 感想投稿日 : 2020年5月8日
- 読了日 : 2020年4月11日
- 本棚登録日 : 2020年4月11日
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