聖徳太子 4―日と影の王子 (文春文庫 く 1-26 日と影の王子)

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  • 文藝春秋 (1990年5月10日発売)
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感想 : 10
4

ようやく全巻読み終わった。

最終巻は、厩戸が23歳から30歳手前までの、摂政皇太子として自らの政治理想を形にしていった全盛期のころを描いている。

冠位十二階の制定、斑鳩宮の建立、遣隋使の派遣などなど。
馬子との葛藤や政治的な駆け引きを続けながら、自らの地位・権威をより強固なものに固めていったことがわかる。

残念ながら、小野妹子の第二回遣隋使派遣や、斑鳩寺(法隆寺)建設までの部分は描かれていない。

全巻を通して見えてくる聖徳太子の人間像としては、
当時としては珍しいくらい、ニュートラルな考えの持ち主であったこと(人間平等主義、成果主義、家族主義)
平和主義で戦争を嫌い、ゆえに仏教に帰依するようになったこと、
後世に言われるような御仏のような存在ではなく、あくまで人間の普遍的な欲を持ちながらも、繊細で感受性高く、策略家でもあったこと、
など、
要は彼もまたひとりの人間でありながら、立場的に権力抗争に巻きこまれつつも、理想を貫くべく奔走してきた姿が垣間見えた。

面白かったです!


・馬子による飛鳥寺の建立が完成
・河勝の紹介で調使麻呂を舎人長として仕えさせる
・高句麗僧:恵慈と親交を深め、伊予の道後温泉にも
・刀自古郎女は、菩岐岐美郎女を嫉妬し、菟道貝蛸皇女は刀自古を嫉妬していた
・599年、群臣の反対を受けながらも冠位十二階を制定。中国の五常思想(仁・礼・信・義・智)に、徳を加え、それぞれ大小の二回層に分け、大徳を最高位とした。ちなみに、大徳には、蘇我氏が懇意にしていた軍臣:阿倍氏が内定。河勝も渡来系氏族としては異例の大礼に内定。
・遣隋使を迎えることを口実に、斑鳩宮を建立、上宮より居を移す。政治の場は飛鳥で、厩戸は斑鳩より通っていた。
・刀自古は第三子日置王を生み、菩岐岐美は春米女王を生む
・菟道貝蛸皇女は、結局、子供ができないまま、労咳で死去。姪にあたる橘大郎女(尾張皇子の娘で推古天皇の孫)を厩戸に嫁がせ、厩戸の血縁を保つ
・近くの国とうまくいかないときは、遠くの国と親しくすべしという兵法の教えから、遣隋使派遣を決行。朝鮮三国の平定を目論むと同時に、隋との国交をもつことで先端文化の吸収につとめる。
・第一回遣隋使派遣は、600年。第二回は、小野妹子が行った607年。対隋的には厩戸が倭国の大王(あめたらしひこ)として名乗り、対朝鮮的には馬子がその位置を占めていた。対内的には、豊御食炊屋姫(推古)が神祇を司る最高位の大王、厩戸は仏教法大王で皇太子、実質的な政治の実権は馬子。
・山背王が11歳で斑鳩宮に戻る。甘やかされて育ち、自尊心が強く理屈っぽいところが政治に向かず、後年は蘇我蝦夷らに追われ、643年に一族自決。
・蝦夷の警護隊長:東漢坂上直麻呂と、厩戸の舎人長:調使麻呂の武芸仕合は、引き分け
・晩年(厩戸30代後半)608年ごろから馬子から疎外されるようになり、仏教の研鑽・布教に専念。49歳で死亡。一日前に菩岐岐美を亡くしており、厩戸は毒殺をおそれ、末期の水を与えなかったと言われている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 【その他】歴史小説
感想投稿日 : 2014年4月13日
読了日 : 2014年4月13日
本棚登録日 : 2014年4月13日

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