医学サスペンスの第一人者クック1977年発表のデビュー作。
ボストンの大病院で、患者が脳死に至る事故が相次ぐ。何れも麻酔を施した手術後に昏睡状態へと陥り、最終的には植物人間と化していた。原因は不明。同病院の実習生スーザン・ウィラーは、通常であれば起こり得ない事態に疑問を抱き、過去に遡ってデータを調べ始める。外科や内科、麻酔科の権威らと対峙し果敢に追求するも、激しい抵抗に遭う。事故の起こった場所が特定の手術室であることを掴んだスーザンは、麻酔ガスを送る設備に細工された跡を見つける。さらに、昏睡状態の患者らは、或る研究施設へと一様に運ばれていることを知る。一線を超えたスーザンは、必然的に殺し屋を引き寄せた。

難解な医学用語が氾濫するが、プロット自体はシンプルなため、流すだけでいい。
本作の核は、終盤で暴かれる真相そのものにあり、現代にも通じる極めて重い課題を投げ掛ける。物語自体はサスペンス主体で、あくまでも娯楽性を重視しているが、或る種閉ざされた世界でもある医療現場の裏側、1970年代の執筆時、近い将来に起こり得る事案に鋭くメスを入れている。実際、程度の差はあるが、いま現実に〝闇のビジネス〟として公然と行われている事象である。
飛躍的な医術の進歩。資本主義社会に於いては、その恩恵が平等に授けられる訳ではない。富める者と貧しき者、権力を持つ者と持たざる者の歴然とした格差が、命さえも換算していく。一方は〝人身御供〟と同義となる売買の対象と成り果てて。
物語の後に「著者覚え書き」で記したクックのアクチュアルな警鐘は、今もなお古びてはいない。

2019年6月18日

読書状況 読み終わった [2019年6月18日]

1998年発表、アティカス・コディアックシリーズ第三弾。大手煙草会社を窮地に陥れる重要証人の暗殺をボディガードが防ぐ。本作は以上の一文で事足りる。捻りも起伏も無く、読後に何も残らない。評価できる点が何一つ無い。こんな駄作を褒めちぎることの出来る高尚な読解力を私は持っていない。以下は、凡作と断定する理由の一端だ。

ルッカは初読。世評が高いシリーズらしいが、切れ味の無い凡庸な作品で、とにかく退屈の一言に尽きる。しかも、無駄に長い。
事前情報としてあったのは、〝ボディガードを主人公としたハードボイルド〟という括り。だが、すれすれで合致するのは、一人称一視点のみ。主人公の揺るぎない冷徹さ、文体から滲み出る感傷、社会的弱者への共鳴、権力に与しない反骨精神、そして己の信条に基づいた決着の付け方。それらのハードボイルドに不可欠な要素が、微塵も味わえない。単に、タフを気取る若い男の自慢話に過ぎない。このレベルでマイクル・コナリーに比肩すると〝批評家〟らが持ち上げているのだから、ハードボイルドファンが減るのも、むべなるかなだ。暗澹たる気持ちになる。
前二作は未読だが、本筋には全く絡まない過去の事情、それにも増してどの女と関係があったかなどの〝情事の履歴〟をご丁寧に解説しており、読む必要はない。というよりも、遡って読む気になれない。

主人公のボディーガードは、身内での腕比べに勝つことと、数多の女を口説くことに必死だ。生命を狙われている証人は、根拠薄弱のままアティカスのみに信頼を抱く。さらに科学的証拠を一切語らずに煙草の危険性を説いて回り、煙たがられる。証人が隠し持ち、口封じの動因となるネタは、誰もが知識としてある煙草の害悪のみで、その他の〝情報〟は最後まで明らかとならない。つまり、プロットの肝が本作には存在しないのである。これで、スリルが生まれるはずがない。

登場人物らは須く自信過剰なナルシスト。老若男女、敵味方問わず、造形が浅く、類型的。行動と台詞が似通っているため、アティカスが今どの女と会話しているのかが判別できない。といっても、混乱したところで、物語には何の影響もない。描き分けが出来ていないのは、致命的である。

そもそも幾ら読み進めても、ボディガードという生業の魅力が伝わらない。その道のプロを題材としつつ、予想外の思考や行動が無い。〝敏腕〟であるらしい主人公が、暗殺者の眼を欺くために使う奥の手とは何か。驚くべきことに、素人でさえ考えつく〝替え玉〟なのである。いったいどのような経験を積んできたのだろうか。敵役の暗殺者も頓馬なのは同等で、まんまと策に嵌まるのだが、失笑よりも溜め息しか出ない。

大企業が訴訟を有利に運ぶために、公然と殺し屋を雇うという没リアリティ。暗殺者は、わざわざボディーガードを挑発して計画に組み入れ、不必要に己の出番を増やした果てに、分かりやすい正体を曝す。仮面を付けながらも、女であることをアピール。これでも世界トップ10入りの腕を持つというのだから恐れ入る。成り手不足が深刻なのだろう。作者はこの凡庸な人物を気に入ったようで、続編に使うつもりで温存している。結末は、予想通り中途半端の極み。この先どうなるのか、続きが気にならない。ありがたい。

本作は、ボディガードの指南書としては役立つだろうが、私が読みたいのは、ハードボイルドであり、心に残る小説なのである。

2019年6月17日

読書状況 読み終わった [2019年6月17日]

1994年発表、いわゆる「湾岸戦争」を題材に虚構と事実を織り交ぜたスリラー。
1990年8月2日、OPEC内で他の産油国との対立を深めていたイラクは、遂にはクウェートに侵攻して即日全土を占領、8日には併合を宣言した。国連の撤退要求にフセインは応じず、1991年1月16日に米国を主軸とする多国籍軍が攻撃を開始。圧倒的な物量と最新技術を駆使した現代兵器の差は歴然としており、2月末にはクウェートは開放された。それら一連の流れを追いつつ、イラクが準備していた秘策〝神の拳〟の正体を米英らが探り、実行阻止に動くさまをドキュメントタッチで描く。

鳥瞰的にストーリーが展開するため、登場人物が整理しきれないほど多い。唯一の主人公格は、工作活動のためにバクダッドに潜入する英国軍人で、終盤では重要な任務を果たすものの、個性/魅力に乏しく印象に残らない。
要は〝良くも悪くもフォーサイス〟なのだが、本作に限っていえば良い点は少ない。構成が雑で、人物造形もなおざり。メインの謎となる「神の拳」も、一昔前のスパイ小説もどきで荒唐無稽。謀略小説の弱点と言っていい情報過多も、テンポを阻害している。湾岸戦争の顚末を俯瞰したプロットは、興味深い点が多いとはいえ、米英側に偏り過ぎている。アラブ民族の主義/思想の掘り下げも深いとはいえない。

フォーサイス自身のスタンスは明確ではないが、独裁国家の暴走を〝正義の側に立つ国家群〟が止めた戦争、という型通りのチープな勧善懲悪の構図を取っている。組み込んだ内情には偏向報道を鵜呑みにした部分や、短絡的な善悪二元論に捕らわれている観点も散見する。世界のパワーバランスを軍事力や諜報戦などに焦点を当てて背比べするだけの空疎な軍事小説に近いものを本作には感じた。
巨大な油田地帯を狙う米国の思惑によって、その後のイラクとフセインが辿った道のりを考えれば、元ジャーナリストとしてはお粗末過ぎる予見の無さも際立つ。無論、読み手側の勝手な註文/文句であり、それこそ私はルポルタージュでも読めば良い話しではあるのだが。所詮、フォーサイス型のエンターテインメント小説では限界がある、ということなのだろう。


以下は、余談である。

ジョージ・ブッシュが主導した「湾岸戦争」と、ブッシュJr.が親父の私怨を晴らすために画策した「イラク戦争」の実態は、今では殆ど明らかとなっている。
冷戦終結によって、軍備拡大のための理由付けとなる格好の敵国ソ連を失ったアメリカが、さらなる肥大化を遂げるため、満を持して〝ならず者国家〟の筆頭に引き上げたのがイラクだった。
かつては中東の防波堤として利用したイラクを「潰す」動因は幾らでもあった。北朝鮮とは違い、そこには莫大な石油が眠っていた。さらに、その土地は中東での覇権には相応しい場にあり、イスラエルとの共同戦線を張るには万全の位置だった。
フセインを騙して誘導し、クエート侵攻へと導く策略は見事に嵌る。ベトナムでの恥辱を、イラクで晴らす。悪党を正義のガンマンが征伐する。単純なウエスタンに、大衆が幻惑され、米国への誇りを取り戻すことを念頭にした謀略。それに追随する多国籍軍とは、米国に従属し見返りを求める国家群の寄せ集めに過ぎないが、物を言うのは手下の数である。〝湾岸〟ではカネをたかられて指を咥えていただけの日本も、二度目は戦場の恐怖を味わわせてやれる。
つまり、この二つの「戦争」はアメリカの筋書き通りに、世界中にハリウッド映画張りの刺激的な興奮を与えることのできる一大興行として擬装できた。「イラクが隠し持つ大量破壊兵器」という嘘を公然と吐いた果てに、喉から手が出るほど欲しがっていた巨大な油田地帯に足を踏み入れ、真の目的を成就する。今となっては無用の長物、フセインの首はすぐ其処にあった。
イラクを舞台とする「戦...

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2019年6月8日

読書状況 読み終わった [2019年6月8日]

読書状況 読み終わった [2019年6月8日]

1989年発表のサイコスリラー。主人公は、元ニューヨーク市警刑事ピーター・スタインで、コンピュータを用いた犯罪の統計と分析、犯人像を割り出す会社を立ち上げ、警察に協力している。この設定自体は、現代ではもはや成立しえないだろう。

銃殺した被害者を荒野に放置する連続殺人がラスベガスで発生する。死体には、大きく十文字が切り刻まれていた。殺人犯の名はデズモンド。狂信的なキリスト教信者で、自らは救世主であり、死者を蘇生させる力を備えていると妄信していた。全ては「神の啓示」だった。その基点は、少年時に遡る、刑事スタインとの或るエピソードにあった。
デズモンドは、誘拐した少女を人質にして「使命を果たすためにラスベガスへ来い」というメッセージをスタインに送る。元刑事は記憶を探るが、殺人者に思い当たる節が無かった。スタインを「神の代理人」の如くに扱うデズモンド。二人の過去を結ぶ接点、そして「果たす使命」とは何か。衝動的に殺人を繰り返していたデズモンドは、遂にはメディアを通じて奇跡を誇示しようと試みる。

残念ながら筆力が無いため、場面が凡庸に流れ、スリルが生まれない。没個性の主人公はともかく、メインのサイコキラーの造形が浅い。緻密な心理戦を通して〝闇〟を掘り下げることもなく、刑事との距離が最後まで縮まることなく物語は終わる。

トマス・ハリス「羊たちの沈黙」が爆発的に売れて以降、数多のエピゴーネンが氾濫し、飜訳された。一時は大半が〝精神異常犯罪物〟ではないかと感じたほどだった。「所詮は二番煎じ」という評価とならないために、作家らは知恵を絞っていたようだが、そうそうインパクトのある作品が生まれるはずもない。かといって、狂気や残虐性の度を高めただけでは、無為なるサディズム志向に陥るだけである。その適例がケッチャム「隣の家の少女」なのだが、異常性のみに焦点を当てたストーリーは、娯楽性皆無の異端まで行き着いてしまうことを証明している。
本作のプロットは、いつかどこかで読んだ記憶のあるものばかりで、プラスアルファが無いのは致命的。サイコスリラーならば、「狂気」のひと言で何でも説明が付く……では、ノンフィクションを読んだ方がましだ。

2019年6月4日

読書状況 読み終わった [2019年6月4日]

1983年発表の処女作。35年以上も前の作品だが、世界情勢が刻々と変化しようとも、時代の断面を鮮やかに切り取る上質なスパイ小説は、決して古びないことを再認識する秀作だ。謀略渦巻く返還前の香港を舞台に、英ソ情報部の熾烈な諜報戦を切れ味鋭く描いている。

1978年ネパール。英国大使館に重大な情報を伝えようとしていた中国人が惨殺された。英国情報部員デイヴィッド・ネアンは、真相を探るために、香港駐在の現地主任フーに調査を命じる。やがて、首謀者として香港の実業家リンが浮上。同時に、見え隠れする中国とソ連スパイの影が、事態を根深い問題へと変えた。ネアンは、土地鑑のある元情報部員ルース・アーシュを復帰させて香港へと送る。徐々に輪郭を現したのは、核兵器配備を巡るソ連と台湾の密約だった。暗号名スコーピオン。その真の狙いとは何か。明らかとなっていく陰謀の実体は、ネアンらの安易な予測を軽々と覆すものだった。

物語の背景には、八方塞がりのまま停滞する東西冷戦を横目に、軍事/経済力の急激な膨張により台頭する中国の異相がある。新興国家の今後を左右し、情勢を一気に変えかねない社会主義国家の存在。本作は、アンバランスな立ち位置のまま、独自の道を歩む「紅い中国」の潜在的脅威を主軸に、暗躍する各国諜報員らの姿を生々しく捉えており、全編緊張感に満ちる。
終盤では、日本も重要な舞台となっている。ネアンは過去に4年間滞在し、日本語も堪能なことを明かしている。アジア各地の街並みや人々の暮らしを的確に描写した匂い立つような表現も巧い。このあたりは、元外交官ハートランドの面目躍如だろう。

主人公ネアンは、第二作以降も登場。実直だが非情な面を持ち、課せられた使命を全うする揺るぎない信念を持つ。一人称のスタイルは、デイトンのドライな視点に倣うものだが、ネアンとルースの恋愛をプロットに絡ませることで、よりウエットで陰影に富むムードに仕上げている。苦いラストは、プロに徹さざるを得ないスパイの孤独を表出させて余韻を残す。

2019年5月31日

読書状況 読み終わった [2019年5月31日]
カテゴリ スパイ 冒険小説

リドリー・ピアスンが別名義で上梓した1988年発表作で、ジョン・D・マクドナルド/マッギーシリーズへのオマージュを捧げている。テイストはハードボイルド、一人称の文体はシャープだが、やや饒舌な印象。プロットよりも主人公の生き方、人々との関わり方に重点を置き、ナイーブな男の成長をメインに描く。
舞台は、ロッキー山脈を望むアイダホ州リッドランド。友人ライエルの別荘に滞在していた元ミュージシャンのクリス・クリックのもとを見知らぬ女が訪ねてくる。著作権料請求の代行人としての副業を持つクリスは、大物の関わった案件で失踪人を捜し当て、マスメディアを通して名を知られていた。依頼人はニコール・ラッセル。夫のポールが5万ドルを持って家を出た。その金を取り戻したいという。夫婦の関係は完全に冷え切っていた。クリスは、気高い美しさの中に危うい脆さをあわせもつ女に魅了される。町の住人らに聞き取りを始めて間もなく、麻薬密売の絡んだ猟銃事故との関わりを掴む。死人は頭を吹き飛ばされていたが、牧場を営むスイートランドという男の身元であると判明。ポールが消えた日と一致した。クリスは、保安官ハドソンを訪ねるが、不可解にも激しい抵抗にあう。ポール・ラッセルの失踪は、閉鎖的な田舎町の根深い闇へと通じているらしい。クリスの長く気怠い一日は、まだ始まったばかりだった。
刑事ボールトシリーズに於ける重厚さ/繊細さを粗く緩くした感じだが、底流にある感傷は共通している。敢えてスタイルを変えることで作家としての幅を広げようとしたのだろう。警察という国家権力からの束縛から離れ、より自由を体現できるヒーローの創造は、新たな視点で社会の下層を物語るに相応しいというところか。マコール/ピアスンの伸び伸びとした筆致は、創作することの喜びに溢れている。

2019年5月25日

読書状況 読み終わった [2019年5月25日]

〝死刑執行人〟を自称する元軍人マック・ボランは、「悪人には死を」という極めて短絡的思考で問答無用の私刑を履行する。法に縛られた社会を唾棄し、己が標榜する独善的正義の旗を高々と掲げた超人ヒーローは、裏を返せば「コミック」にしか成り得ない設定だ。いかにもアメリカ的な暴力志向に捕らわれ、ミステリ界では、先駆と言っていいスピレーン/マイク・ハマーの系譜に連なる。本シリーズは即効人気を得て、数多の亜流を生んだ(根元では繋がっているパーカー/スペンサーという変種もあるのだが、言及すると長くなるので省く)。恐らくは、平凡な日常に飽き足らず、過激な暴力小説から刺激を得ようとした米国市民の〝ガス抜き〟として作用したのだろう。その意味では、ペンドルトンは読者のニーズに巧く応えている。

第1弾発表は1969年。ベトナム戦争で並外れた戦功を上げていたボラン軍曹が帰国する。闇金に手を出した父親が、追い詰められた果てに家族を道連れにして無理心中を図ったらしい。その元凶となるのは、市民の心身を蝕む悪の権化イタリアン・マフィアだった。ボランは復讐を果たすため、素性を隠して組織に接触し、皆殺しの機会を待つ。そして、どうにも〝中途半端〟な襲撃を終盤で繰り広げた後に、一人悦に入り「続きは次作で」と読者を待つ。

ボランがベトナム症候群であることは明らかで、汚い戦争を戦ったという負い目と、その半面では決して無駄ではなかったという憤懣がある。その捌け口となるのがマフィア殲滅であり、どこまでも利己的/慰撫的な動機に突き動かされている。その証拠に、マフィアへの個人的復讐は、序盤で驚くほど早く変節する。「悪を滅ぼすことこそ、己に課せられた使命」だと宣言。そもそも、ボランの家族を殺したのはマフィアではない。だが、男の脳内では、もはやどうでもよくなっている。要は、大半の読者が予想/期待する通りに一気に飛躍して〝ヒーロー〟化を遂げる。狂った人間の殺戮を密かに支持する愚劣な警察も味方につけ、準備万端整う。

ベトナムが駄目ならマフィアがある。声高く「正義」を誇示できない戦争の代用として、完全なる悪/犯罪組織を添え、それを完膚無きまで叩きのめすさまを描けばいい。本シリーズが、ベストセラーとなったのは至極当然といえる。
ただ、屍の山のてっぺんから銃を構える男の歪んだ形相に、終わりなき戦争/紛争を生み出す者どもの捻れた表象を視る私にとっては、何もかもが空虚に映り、本作を通して得るものも何ひとつない。

2019年5月24日

読書状況 読み終わった [2019年5月24日]

実在したコロンビアの麻薬密売組織メデジン・カルテルを題材とした1993年発表作。今現在に通じるアクチュアルなテーマに切り込んだ大作/力作だが、情報を詰め込んだ濃密な文体のため、テンポが鈍く、読了するまでかなりの時間を要した。ただ、終幕は凄い。それまでの一切を無に帰するデカダンス、絶望感は他に例を見ない。誰一人救われることのない虚無的な結末に、しばらく茫然としたほどだ。

物語は、三つのパートを同時進行で描き、徐々に関連付けて収束させる構成で、終章直前までは主要な登場人物が殆ど交差しない。さらに、主人公を絞り込まず、情況を俯瞰的な視点で流していく。

第一のパート。ニューヨークの駅構内でジェーン・ドゥ(身元不明女性の死体)が発見される。不純物を含んだ麻薬摂取によるもので、現場近くに居合わせたニューヨーク市警殺人課刑事ルーコウは、死してなお美しさを失わない女に心を揺さぶられ、その名を突き止めることを誓う。ドラッグを蔓延させる元凶/メデジン・カルテルとの繋がりを掴んだルーコウは、組織の末端から深部へと迫るが、不可解にも女の素性を知る者が次々に抹殺されていく。ジェーン・ドゥの正体が暴かれることを極端に嫌うカルテルの真意とは何か。
第二のパート。アメリカと大西洋を隔てたアイルランドのダブリン。政界との関係も深い控訴院判事ピアソンは、IRA暫定派の政策顧問という裏の顔を持っていた。国内のテロリストらを裁く一方で、英国に打撃を与える過激派テロを主導するという相反する二重生活。すべては、アイルランド統一という大儀のためだった。喫緊の課題は軍資金不足で、暫定派参謀長のケーシーは、闘争継続に不可欠となる莫大なカネを、コロンビアのカルテルから入手すると告げた。ヨーロッパ大陸への麻薬密輸にIRAの地下組織を転用し、巨額の見返りを要求するという苦肉の策。その調停役にピアソンを指名する。だが、アイルランド国内へのコカイン流入に人倫上の抵抗があるピアソンは、密かに策謀の破綻を目論む。
第三のパート。メデジン・カルテルとの戦争状態にあったコロンビア政府は、英国に水面下での支援を依頼。特命を帯びたSIS南米局は、カルテル内部へ工作員を潜入させるミッションに着手する。局長ジャーディンの指示のもと、SAS隊員のフォードら候補者を選び、鍛え上げていく。その間に、IRA暫定派とカルテルの密約を知るが、決行の日は近付いていた。

以上のパートに、粘り着くように絡むのは、際限なき暴力と賄賂によってコロンビアの権力機構を形骸化したメデジン・カルテルの不遜な動き。ボスのパブロ・エンビガード(パブロ・エスコバルをモデルとする)、その片腕となる顧問弁護士レストレポらの狡猾さと異常性を浮き彫りにしていく。

国家権力と同等の支配力を手中にした暴力装置カルテルの圧倒的な恐怖にどう立ち向かうか。
ルーコウの真っ直ぐな正義感、ピアソンの捻れた背徳感、ジャーディンの打算的な使命感。主役格三人は常に追われるような緊張/閉塞感の中で、一歩一歩駒を進める。
中でも、ピアソンの行く末は重苦しい悲劇に満ちている。一人娘シヴォーをカルテルに拘束され、任務遂行強制のための脅迫材料とされていた。仕組んだのは〝身内〟である参謀長ケーシーだった。ピアソンは煮え滾る怒りに打ち震つつ、娘の奪還を模索する。
一方、刑事ルーコウは脅迫によって行動を制限されながらも、カルテルを騙してようやくジェーン・ドゥの名〝シヴォー〟を知る。いまだ我が子の生存を信じる父親に会うために、ルーコウはコロンビアへと飛ぶ。
その同時期、カルテルに接触後、ドン・パブロの信頼を得て幹部クラスに成り上がっていた元SAS大尉の工作員フォードは、内部情報を英国秘密情報部へと着実に送っていた。だが、手にしたカネに目が眩み、遂には魔が差す。S...

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2019年5月22日

読書状況 読み終わった [2019年5月22日]
カテゴリ スパイ 冒険小説

読書状況 読み終わった [2019年5月22日]
カテゴリ スパイ 冒険小説

1982年発表作。結論から述べれば、緊張感に乏しい凡庸なスリラーだ。卓越した技倆を持つ殺し屋同士の対決を描くという本筋は、新鮮味はないものの、料理の仕方で幾らでも美味にできる設定。だが、骨格が柔な上に、肉付けした部分がひたすらに薄く、不味い。著者は、スパイ/冒険小説ファンが何を望んでいるかを勘違いしている節があり、そのズレが徐々に拡がっていくさまが、或る意味ユニークとは言えるのだが。

長年にわたりCIAの暗殺者として〝貢献〟したチャーリー・ダンは、引退後は素性を隠して生活していたが、或る日、元上司からフリーランスの殺し屋排除の依頼を受ける。今はソ連の仕事を請け負っていたその男スポールディングは、かつてダンが鍛え上げた弟子で、米国諜報機関に内通者を得て、冷戦の情勢を左右する脅威となっていた。ダンは渋々、ヨーロッパへと飛ぶ。

主人公はリアリティの無い殺し専門のジェイムズ・ボンドもどき。文章は簡潔でテンポは良いが、底が浅い。主人公がいかに凄腕であるかを、敵味方が折につけ賞賛する。それ以上に、本人自らが己のプロフェッショナルぶりを高らかに自慢する。敵の行動を数手先まで読む頭脳も持つらしいのだが、まるで伝わらない。どうにも能天気な人物で、何故かCIAの特命を帯びてダンに随行する女性獣医と終始いちゃつきながら、マンハントの現場へと向かう。その余裕は〝流石〟だが、玄人としての矜持は皆無である。

終盤に向けての盛り上がりにも欠け、主人公の嫌味な部分のみが刷り込まれていく。よほど人材が不足しているか、米ソ諜報機関の間抜けぶりも際立つ。物語の中盤辺りでは、既に二人の対決に興味を失っていた。最後の対決も拍子抜け。何より、世界中で恐れられている暗殺者が二丁拳銃の使い手とは、仰天である。
ウェイジャーは旅行と美食が趣味らしく、無意味なシーンを要所要所に強引に差し込んでいる。読み終えて、ようやく気付く。本作は、パロディだったのだろう。まんまと騙された。

2019年5月18日

読書状況 読み終わった [2019年5月18日]
カテゴリ スパイ 冒険小説

1991年発表作。ハイアセンは、常に環境問題を物語の基底とし、米国内での著しい自然破壊の象徴/指標ともいえるフロリダを舞台にしてきた。中でも、実質的なデビュー作となる「殺意のシーズン」は、傲慢な開発者らと闘う男の姿を熱く活写し、哀しくも美しいラストシーンでの無常感が今も心に残る名作である。以降、同地出身ジャーナリストの使命であるが如く、シニカルな社会批判を織り交ぜつつ、過激なユーモアに満ちたエンターテインメント小説を上梓し続けている。本作も、その立ち位置は明確で、著者の分身ともとれる元新聞記者ジョー・ウィンダーを通して、風刺を効かせたストーリーの中に、力強いメッセージを込めている。

珍しい動物を誘客の目玉とした南フロリダのテーマパーク「アメイジング・キングダム」。大騒動は、遊園地が地球最後の2匹として喧伝していたハタネズミが盗まれたことを切っ掛けに起こる。仕組んだのは、好戦的な環境保護団体代表の老女。裕福な女性ばかりが集うこの集団は、抱負な軍資金をもとに勝ち目のない訴訟を次々と起こしていた。絶滅危惧種の盗難は、遊園地の運営企業にダメージを与えるはずだったが、老女の依頼を受けた間抜けな泥棒二人組は、逃走中にハタネズミを殺してしまう。「キングダム」は懸賞金を出して小動物を探すが、実は既に死んでいることを承知していた。さらに、園内で死んだシャチの胃袋から、行方不明になっていたハタネズミの研究者が発見され、事態は大きく動き始める。経営陣の不可解な対応に疑念が生じていた広報担当のウィンダーは、素性の怪しい親会社のオーナー自身が絡んだ不正の証拠を掴む。やがて反抗的態度でクビになった元新聞記者の男は、自然を守る側に立つことを決意。元フロリダ州知事で世捨て人の怪人スキンクの協力を得ながら、「キングダム」転覆へ向けた策略を容赦無く実行していく。

数多の奇人変人が入り乱れ、先の読めない展開は、スピード感と躍動感に満ち、ハイアセンの真価を発揮している。カネや名誉のみを糧として生きる人間の醜態、その末路は概して憐れであることを、強烈なファルスに組み込み、あらゆる破壊の元凶である人間の業を徹底的に紛糾/粉砕する。「夢」を売り物に自然環境までも独占し、暴力的に激変させていく巨大資本、いわば〝ディズニー的〟に擬装された楽園の実態を暴くと同時に、見せ掛けの美と楽に幻惑された大衆の愚かさも描き出していく。


急激且つ大規模なリゾート/土地開発などにより、無惨に失われていく自然と死滅する生き物。森林や海は、ゆくゆくは再生するかもしれない。だが、滅んだ生物は二度と甦ることはない。全ては、人類のエゴイズムであり、それを止められるのも人類でしかない、という楽観論がいつまで通用するか。いつかは報いを受け、人間そのものが淘汰される日が来るかもしれない。

2019年5月17日

読書状況 読み終わった [2019年5月17日]

1967年発表、ロンドン警視庁ドーヴァー警部シリーズ第4弾で、ポーターの代表作とされている。ユーモアミステリの一種だが、個人的にはブラックな笑いよりも、トニー・ケンリック張りの陽気なスラップスティックが好みなので、残念ながらクスリともしなかった。

ドーヴァーは旅先の田舎町で、岬から身を投げた若い警官を目撃し、成り行きで捜査する。自殺した男は、地元警察署長の甥だったが、普段から素行不良で、怪しげな連中と付き合っていたらしい。その中の一人となる元ギャングの男が、1カ月前に自宅庭で身体を切断された状態で見つかっていた。検死では他殺ではないと断定しているが、死亡後に体を刻まれた理由は不明。死んだ2人に関連性はあるのか。妙なトラブルに多々見舞われつつドーヴァーらは事件を調べるが、やがて町の女たちの異常な集団心理/行動に悩まされていく。
利己主義で無精者のドーヴァーは、嫌々ながらも関係者をあたり、真相に迫ろうと試みる。結構な策士でもあり、憐れな部下のマグレガーを囮にして、一旦は謎を解く「冴え」まで見せる。

驚いたのは、真相を明らかにせず、暗示したままに終えていることだ。つまり、完全には解決しないという荒業をやってのける。これでも、ミステリファンらは本作に高い評価を与えているのだから、懐が深い。
女流作家ならではの「男」という生態への痛烈な皮肉と攻撃。曲者ポーターの本領発揮といったところか。

2019年5月11日

読書状況 読み終わった [2019年5月11日]
カテゴリ ★ミステリー

「フランケンシュタイン(の怪物)」は、吸血鬼、狼男と並ぶ古典的な三大モンスターとして世界中で浸透し、今も〝娯楽の素材〟として流通している訳だが、唯一伝承や宗教的な典拠を持たず、一作家の創作から誕生したという点で、独創性に富み、尚且つ汎用性に優れている。

1818年、シェリーが若干20歳の時に発表したゴシック小説。まさか後世に残る作品になるとは、作者自身も想像していなかったことだろう。実際、若書きのために小説としては拙い。構成が粗く、人物造形も浅い。往時には主流だった書簡体のスタイルもテンポが悪く、含蓄のある修辞も少ない。ただ、素人じみたまとまりのない恣意性は、逆に何でもありの発想で奇抜な世界を創り出し、連続する予想外の展開で読者を振り回す。
〝原典〟の内容は、現在流布する「フランケンシュタイン」のイメージとは遠い。そもそも、幕開けの舞台が北極圏で、逃走する怪物をその創造主が追い掛けている、という異常なシチュエーションから始まるのだから。

物語は、北極点に向かう英国人冒険家の船に、遭難しかけていたフランケンシュタインが救助されたのち、自らの過去を回想/告白する形で進行していく。野心に突き動かされた若い科学者による人造人間の創造。怪物を生み出すまでの過程が曖昧なのは止むを得ないとして、墓場から掘り起こした死人を繋ぎ合わせ、再び生命を吹き込んだ動機を明確にしていないのは、多少の倫理観に絡め取られた結果なのだろうか。物語は、人間の業に焦点を絞り、寓話的なエピソードを重ねていく。
怪物を生み出した直後、恐怖に駆られた科学者は全てを放り出し、その場から逃げ出す。この時点で既に男の身勝手さに呆れ返るのだが、次々と近親者らが怪物に襲われる段になっても、自責の念に一切駆られることがない。中盤で、フランケンシュタインが怪物と語り合う長いシーンがあり、本作での山場ともなっているのだが、切々と創造主の独善、無責任を饒舌に非難する怪物に対して、科学者は何一つ悪びれることなく糾弾し、身内の不幸は己の狂気が引き起こした因果応報であることに思い至らない。遂には物別れとなり、互いを狩ることに没入するのである。恐らくこの辺りで、怪物は「犠牲者」であり、フランケンシュタインこそが「加害者」である、という逆転現象が起こる。

不条理極まりない己の境遇に同情を求め、理解と幸福を得ようと虚しく〝生きる〟怪物は、醜悪な生体故に差別され虐げられていく。一方、〝人にあらざるもの〟に対して全責任を負うべきフランケンシュタインは、どこまでも利己的に罪過を否定し、暴力を用いて復讐に赴いた怪物の必然性を遺棄する。深層に於いて両者は表裏一体だが、最後まで互いを理解し合うことなく、未来に対して希望を灯すこともない。同様のテーマとして、後のスティーヴンソン「ジキル博士とハイド氏」で、怪物と人間が同一の身体を持つという、より怪奇性を強めた形で継承している。

シェリーは、無神論者/無政府主義者の父親、フェミニストの母親という特異な家庭環境に育ったらしい。深読みすれば、その思想的なバックボーンが本作に影を落とし、〝異形〟の存在への畏怖、科学主義/信仰への警鐘を、内包していたと捉えることもできる。何れにしても、怪物と対比することで、人間の卑しさが生々しく浮かび上がるという〝怖さ〟は、作者が意図せずとも本作に刻み付けられていると感じた。

カテゴリ ホラー

1964年発表、シリーズ第5作。感傷とは無縁の犯罪小説であり、プロフェッショナルの仕事ぶりを、どこまでもドライに活写するスタークのスタイルは一貫している。

舞台は、北ダコタ州コパー・キャニオン。三方を崖に囲まれ、一本の道路と鉄道のみで通じる閉ざされた町。ここを襲撃し、警察や消防署、電話局を強襲/掌握後、銀行や宝石店、企業のカネを一夜にして強奪する。その大胆な犯罪の計画と準備、実行から逃走までの流れを、テンポ良くシャープに描く。集結した犯罪のプロは、異例の十数人。パーカーは、話を持ち込んだ新参のエドガーズの不安定な挙動や、共犯者の多さを危惧しながらも、最終的には実行可能と判断し、プランを練り込んでいく。物語は、中盤までは起伏に乏しいが、町を制覇し、エドガーズが暴走して計画が狂い始めた瞬間から、一気にボルテージを上げていく。

巻末解説で小鷹信光が述べている通り、本シリーズは「犯罪は引き合う」ことを前提としている。刑事や探偵が紆余曲折を経て真相に辿り着き真犯人の名を指し示す「正義」と同じ線上で、犯罪者が数多のトラブルに見舞われながらも結局は目的を達成して戦利品を眼前にする「不義」を堂々と物語る。大半の犯罪小説は、アンチヒーローが破滅へと至る過程を描くことで自浄、つまりは倫理的なケジメを付ける訳だが、スタークはそれと同義であるが如くに悪行を貫徹させ、異端としてのクライムノベルを根幹から再構築する。その姿勢は揺るぎない。勧善懲悪の否定、法や警察機構の不完全さを嘲笑うというよりも、悪党には悪党なりの生き方/信条があり、その矜持は犯罪のやり方自体に表れるのだと、臆することなく主張する。

パーカーは非情だが、無情ではない。微妙なニュアンスの違いかもしれないが、感情を出さない主人公が直面するトラブルにどう対処するか、その行動を通して人間味を付加しようと、スタークは苦慮していると感じた。本作のプロットはシンプルであるが故に、パーカーシリーズの魅力が凝縮されている。

2019年5月2日

読書状況 読み終わった [2019年5月2日]

アイルランド出身の作家を読む機会が増えている。国柄なのか、全編にみなぎるボルテージの高さや、荒々しく分厚い筆致、破綻すれすれまで暴走する疾走感など、共通する部分も多い。個人的には素っ気ないスタイルよりも好みなのだが、必ずしも完成度に結び付く訳ではなく、個々の力量による差は激しい。ただ、著名な作家ばかりに人気が集中して停滞しがちなミステリの世界に、新たな風を吹き込み、底上げする力/エネルギーは、総じて持っていると感じた。

1999年発表のジョン・コナリー第1作。物語は、暗鬱なる猟奇性と混沌に彩られている。連続殺人鬼を追い詰めていくプロット自体は定石に沿うもので、ノワールの雰囲気を漂わせた濃密な文体と入り組んだ構成で読者を翻弄する。エピソードが過剰で、整理することなく次へと移るため、多少は混乱するのだが、スランプ時のエルロイの如き錯乱/錯綜した迷宮に突き落とされることもなく、本筋は粗いが、力業で読ませる。主人公は、元ニューヨーク市警刑事で現在は無免許の私立探偵チャーリー・パーカー。ジャズの巨人と同名で知人からは〝バード〟と呼ばれているものの、物語中ではさらりと触れるだけで、特に思い入れはないようだ。

本作は、未解決のまま時が流れたパーカーの妻子殺害事件の陰惨な状況を克明に描写した序幕から、底無し沼のような狂気の世界へと一気に呑み込んでいく。物語は大きく二部に分かれている。前半では、失踪した女を捜す案件がマフィア絡みの児童誘拐と連続殺人に繋がり、自らのトラウマを克服する糸口を掴むまでの流れ。後半はニューオリンズを舞台に、サイコキラー〝トラヴェリング・マン〟との対決、つまりはパーカーの復讐への道のりをメインに置く。
強烈なインパクトを与えるのは、登場人物の多さと、それに反比例する死体の数だ。探偵が行動を起こすごとに増え続けていく死、しかもどれもが残虐な死にざまのままに積み上げられていく。その屍の数は異例で、パーカーはまるで歩く死神のような様相を呈す。同時進行で二つの連続殺人犯を追う設定のため、次第にこの死者はどちらの事件に関わるものか戸惑うこともあった。考えているうちに、次の犠牲者に出くわすという具合だ。

サブ・ストーリーとしてギャングの抗争を描き、パーカーは自らの報復を成し遂げるために一方に加担して人を殺す。主人公自身の手による「死せるもの」の存在を、どう捉えるべきか。正義が虚しく薄汚れていくさまを見せることに、作者は抵抗が無かったのかという疑問が残る。

異常殺人者らの実像は、狂気の一言で片付けるサイコスリラーの悪しき慣例に倣ったもので、謎解きとしてのカタルシスを弱めている。結末で明かされるトラヴェリング・マンの正体は唐突さが際立ち、意外性が薄い。何より動機に乏しい。この程度の狂気であれば、登場人物の誰でもよかったのではないかという印象だ。

脈絡の無いままにレビューを綴ったが、物語の構造、テーマを掘り下げ、如何に血肉化するかを考察する上で、本作は色々と刺激になった。欠点は多々あるものの、処女作に持ち得る全ての力を投入したコナリーの気概は存分に伝わってくる。シリーズ第二作で翻訳は途絶えているが、現在もパーカーの活躍は続いているようだ。洗練されているはずの作品を読めないのは惜しい。

2019年4月26日

読書状況 読み終わった [2019年4月26日]

少年期、スティーヴンソン「宝島」の世界に魅せられたように、男にとって〝宝捜し〟は幾つになっても胸躍るテーマだ。当然、冒険小説作家にとっても一度は挑戦したい題材に違いなく、多様なアイデアを駆使した〝大人のための「宝島」〟が、今も生み出され続けている。1989年発表の本作も同様で、娯楽的要素を的確に盛り込んだ瑞々しい佳作で、読後感も爽やかだ。

舞台は、米国ノースカロライナ州のハッテラス岬。座礁が多発することで知られ、「大西洋の墓場」とも呼ばれている。或る日、サルベージ業を営むティラー・ギャラウェーのもとに、キーズと名乗る男が訪ねてくる。依頼してきた内容は、ドイツ降伏から数日後、哨戒中の米国駆逐艦によって撃沈されたUボートの探索。岬沖に沈んだ潜水艦には、どうやら大量の金塊が眠っているらしい。先日、その湾岸の砂州では、ドイツ人らしき三体の人骨が四半世紀を経て発見されていた。キーズは繋がりを否定するが、明らかに素性を隠していた。ギャラウェーはきな臭いものを感じつつも、一攫千金を狙い受託。だが、宝のありかを探るうちに、一連の過去を知る関係者が殺され、正体不明の組織が挑発してくる。

実際にスポーツダイバー/船乗りでもあるポイヤーは、その経験を作中で生かしており、サルベージや潜水のディティールはリアリティに富む。第二次大戦の秘史を主軸とするプロットは、終盤に驚天の真相を用意しているが、伏線をくどいほどに張っているので、逆に微笑ましい。敗戦を覚悟したナチス・ドイツは、戦後にゲリラ戦を展開する「人狼」、党の高官を国外に脱出させる「オデッサ」などの作戦を準備していたとされ、多くのスリラー作家が取り上げている。本作は、その第三となる作戦があったとするもので、終盤で登場する〝大物〟の創造では、ポイヤーも「してやったり」の表情だろう。

主人公のギャラウェーは、麻薬密輸に関わり保護観察中の身であり、サルベージ船も借り物だった。「海の男」としては一流だが、世渡りが下手で、うまい話に目がないアウトロー。これに宝捜しを加えた設定では、ウィルバー・スミスの「虎の眼」という名作があるのだが、緻密な構成や人物造形の深さ、血湧き肉躍る興奮度の高さでいえば、「虎…」が完全なるA級なら、「ハッテラス…」はB級という評価に甘んじるだろう。けれども、物語の面白さでは決して引けを取るものではなく、ストレートな冒険行を活写する手腕は、埋没してしまっているのが惜しいほどだ。
エンターテインメント小説の極意は、まず読者を楽しませたいという作者の心意気が全ての出発点となる創作であり、自ずと作品に生命が宿り、登場人物らは生き生きと動き出していく。
少年たちが夢見た宝島。その世界観は、無骨ながらも、ポイヤーの作品にも受け継がれている。

蛇足だが、同じくスリラー作家のジョー・ポイヤーと混同しがちなのだが、全くの別人であることを明記しておきたい。

カテゴリ スパイ 冒険小説

全編にみなぎる熱量が凄い。一時期ミステリ界を席捲したリーガル・サスペンスの一種だろうというバイアスは、幕開けから覆される。本作は、臨界点まで追い詰められた男の闘いを、圧倒的な筆力で活写した血が滾る傑作である。

舞台はニューヨーク。弁護士エディー・フリンは、朝食に立ち寄った店のトイレ内で、前触れなく背中に銃を突き付けられた。瞬時に体が反応する。背後に立つ男の脅し文句と所作から、即座に相手の素性と特徴を推察。銃の男が右利きであることを見取り、左側の隙から反撃する手順を脳内で辿る。一介の弁護士としては並外れた挙動。だが、もう過去の自分ではないと自戒し、冷徹に情況を見極める。僅か冒頭1ページ。主人公の現在と過去を明快に伝える見事な描写だ。
店から連れ出された弁護士は、小型爆弾を装着され、超高級車に放り込まれる。車内で待っていたのは、悪名高いロシアン・マフィアのボス、ヴォルチェックと手下だった。フリンの幼い娘を人質に取ったと告げ、その日から始まる裁判の弁護を強制する。用心棒が、鞄の中から黒い塊を取り出す。それは、ヴォルチェックの弁護士で、フリンの元相棒の首だった。
己の誤算/判断ミスによって惨たらしい結末に至った或る事件を切っ掛けに、仕事から離れ、酒に溺れ、妻にも愛想を尽かされ、やさぐれていった男。だが、一秒たりとも悔恨に浸る暇は無かった。愛する娘を再び抱き締めるために、過酷で壮絶極まりない長い一日が始まる。

原題は「ディフェンス」。恐らく、攻撃に対する防御と、法的な弁護という重層的な含みを持たせているのだろう。危険な情況を的確に掴み、僅かな逃げ道を見付け、敵の盲点を突き、策略を逆手に取り、機を見て反撃に移る。ギャングの親玉を救わなければ、娘の命は無い。最も愛する者を助けるために、最も憎む者に手を貸さねばならない。この地獄のジレンマに揺れる心理描写が巧い。
ヴォルチェックは、裏切り者を消すために命じた証拠を掴まれて逮捕されたが、多額の保釈金を積んで釈放されていた。間もなく、不可解にも自白した殺し屋が証人として出廷する。朝、弁護士が身に付けた爆弾は、セキュリティを潜り抜け、殺し屋の口を封じるための道具だった。裁判の展開次第で大きく流れは変わる。その時が来るまでに、娘を救出し、ヴォルチェックに鉄槌を下さねばならない。

間違いなく有罪判決が下る鬼畜を、どのようにして弁護するか。守りつつ、攻めるか。フリンは法廷に立つ一方で、裁判所内で培った人脈を利用して娘の行方を捜す。その過程で徐々に弁護士自身の足跡が明らかとなっていく。つまりは、序章で片鱗を示した只者ではない主人公の実体だ。
フリンは、決して真っ当な路を歩んできた男ではなかった。恩師となる裁判官に出会う以前は、親譲りの卓越したスリ師であり、保険金詐欺で荒稼ぎしていた犯罪者だった。父親を失った原因が保険会社と結託した弁護士にあり、その復讐を兼ねていたのだが、結局はアウトローに成り果てたに過ぎなかった。だが、長年にわたって作り上げていた闇社会との太いパイプが、その日に役立つこととなる。マフィアに対抗するにはマフィア。それも、闇社会での情報力に長け、容赦無き暴力を行使する者ども。フリンは躊躇うことなく、その悪の力を借りる。この痛快な逆転劇から、物語はさらに勢いを増して疾走していく。
法廷戦術では強引さが目立つが、破綻する間際で食い止め、読者を鷲掴みにしたまま、終始引っ張り回す。予測を裏切り、二転三転するプロット。とにかく主人公の冴え渡る瞬発力には瞠目するのだが、迸るエネルギーは決して不快ではない。終盤では、ハリウッド映画張りの活劇シーンを用意し、疾風怒濤の物語は最高潮を迎えて終焉する。

本作の実態は、タフな男の私闘/共闘を主軸としたヒーロー小説で、リー・チャイルドのリーチャーシリ...

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2019年4月19日

読書状況 読み終わった [2019年4月19日]

英国の政治家で小説家のアーチャーは、下院議員時代に偽証罪で投獄されるなど、その波乱に満ちた半生は広く知られている。実刑判決を受けて2年にも及ぶ刑務所生活を送り、出所後に発表した獄中記がさらに話題になるなど、転んでもただでは起きぬ逞しさ/図太さを持っている。当然のこと創作にも生かし、現在もベストセラーを連発する旺盛な活動を続けている訳だから、バイタリティ溢れる〝曲者ぶり〟には感服せざるを得ない。

本作は、題材としては使い古された米国大統領暗殺計画をストレートに描いたものだが、エンターテインメント性を重視し、スパイスの効いた味付けで巧みに料理している。旧版ではケネディ家の四男エドワードが大統領となる近未来の設定、新版では米国初の女性大統領としている。この変更は大した差ではなく、メインとなるのは暗殺グループの割り出しと、タイムリミットのサスペンスである。誰が主人公なのかを明確にしない序盤の展開に驚くが、徐々にFBI新人捜査官アンドリューズの活躍に焦点を絞りつつ、多彩なエピソードを交えてテンションを上げていく。

自らストーリーテラーを名乗るだけあって筋運びは巧く、読者を楽しませるこつをしっかりと押さえている。ストーリーには絡まないが、ウォーターゲート事件のスクープで名を馳せた「ワシントン・ポスト」のバーンスタイン記者も一瞬登場させている。銃砲所持規制法案に対して、時流を読み自説を曲げた議員の釈明会見、その卑しい保身ぶりを嗤うバーンスタインの「合いの手」が傑作だ。さらには物語の中で何度も繰り返される「大統領に知らせますか?」という問い掛けが、時と場合によって重みを変えていく。その苦いユーモアとシニシズムを漂わせた筆致が、本作の魅力をより一層高めている。枝葉の面白さが物語全体に生彩を加え、軽快なリズム/テンポを生み出す。アーチャー会心のスリラーといえる。

2019年4月17日

読書状況 読み終わった [2019年4月17日]

ホラーと謎解き/ミステリのクロスオーバーは格別珍しいものではないが、重点の置き方で印象はがらりと変わる。いかにして読者を怖がらせるか、心理的に追い詰めていくか。謎が魅力的であればあるほど、闇が深ければ深いほど、物語は面白くなる。

海から遠く離れた深い森の中に奇妙な姿をさらす灯台の周辺で、断続的に起こる不可解な死。保安官代理キンブルは、灯台の建築主であり、住人でもあった老人が死の間際に残した言葉から、過去と現在を繋ぐ糸を手繰り始める。折しも、麓に移転してきた猫科大型獣の保護施設では、夜な夜な虎や豹がただならぬ気配を感知し、脅え、咆哮した。主のいない塔からは光が放たれ続け、それに呼応するが如く妖しい青い松明が闇の中を彷徨う。やがて、大事故や殺傷事件が灯台を取り囲む限定エリア内で起こっていた場合、本来なら死んでいるはずの人間が奇跡的な生還を遂げていた事実が明らかとなる。事態は重苦しい狂気の様相を呈し、キンブル自身の運命をも大きく変えていく。

文章は平明ながら、色彩や音、匂いや肌触りなど五感を刺激する描写で、異常な情景を的確に伝えている。真相を探るほどに、深層へと墜ちていく謎の実体。終盤へ向かうほどに、高まり、重みを増す緊張/重圧感。その構成力は見事で、クライマックスでは一気に興奮状態へと導く。
生と死の境界を越えることの恐怖、日常と〝異形〟の世界を超えることへの麻薬のような陶酔。本作を読み終えて真っ先に浮かんだのだが、ハードボイルドとオカルトを見事に融合させたウィリアム・ヒョーツバーグの傑作「墜ちる天使」だった。プロットやムードは異なるものの、不死を願う人間が選択する末路、その無常観に共通するものを感じた。両作とも、余韻は重く、ひたすらに哀しい。

2019年4月16日

読書状況 読み終わった [2019年4月16日]
カテゴリ ホラー

大空を翔る男たちのロマンに彩られた航空冒険小説。1961年発表、しっかりとした骨格を持つライアルのデビュー作で、宝探しというオーソドックスなテーマに挑んでいることからも、新参者としての熱い意気込みが伝わってくる。
第二次大戦が引き金となり英国領から分離独立したインド・パキスタン。その混乱期に失われたインド王室の財宝を巡り、エーゲ海を舞台に争奪戦が展開する。主人公は、雇われパイロットのジャック・クレイ。腕は確かながら、過去の非合法活動がもとで英国国籍を離れている。あとに行動を共にするのは、ライバルであり親友でもある敏腕飛行士ケン・キトソン。この二人の共闘を軸に、宝石を追い求めるアウトローらの姿を描くのだが、酸いも甘いも噛み分ける成熟した男、ライアルならではの筆致で、狡猾な「犯罪」ではなく、爽快な「冒険」としての世界/情景が拡がっていくのは、やはり創作者自身の資質によるものなのだろう。二人を待ち受ける苦いラストは、後の「深夜プラス1」へと繋がるものだが、結局はカネや名誉ではなく、男としての誇りが全てを決定付ける冒険小説本来のエッセンスを凝縮している。
臨場感溢れる飛行シーンも多彩で、冒険小説ファン感涙の名機ダコタDC3や独特なスタイルが魅力のピアッジオは、空を飛ぶことの爽快さと厳しさまで追体験させてくれる。ライアルの初期作品には、紛れもなく芳醇な「浪漫」がある。

2019年4月15日

読書状況 読み終わった [2019年4月15日]
カテゴリ スパイ 冒険小説

本作発表の1992年時点ではまだ覆面作家だったクィネルが、処女作と同じ元傭兵クリーシィを主人公に据えた作品。以降シリーズ化しており、結末で次に繋がる流れを用意している。

1988年12月、パンナム103便がテロによって爆破された。乗員乗客全員が死亡、落下地スコットランドの住民らをも巻き添えにした。その中にはクリーシィの妻子もいた。同事件で妻を失った米国上院議員に接触し、情報と軍資金を調達。首謀者をパレスチナ人民解放戦線の議長と絞り込んだクリーシィは、居住していたマルタの島ゴッツォで、報復の機を待つ。
己の復讐完遂のために、クリーシィは無名の女優と偽装結婚した上で、孤児の少年を養子に迎え「殺人機械」に鍛え上げる。その必然性が極めて薄い。「補助役」として利用された少年には、当然「母親」への愛情が芽生えていく。物語の大半を占めるのは、かりそめの家族に感情の揺らぎが生じていく過程だが、須く暴力的な末路へと至るため、クリーシィの非情さのみが浮き立つのである。

「燃える男」(1980年)から、10年以上を経ての復活となったが、「メッカを撃て」や「血の絆」など高水準の冒険小説を上梓しながらも、結果的にデビュー作を超えるものを生み出せなかったことと、作家自身のアイデア枯渇なども要因としてあったのだろう。マフィアを相手に壮絶な復讐劇を繰り広げる傑作「燃える男」は、狐狼の血の滾りを熱い筆致で描き切り、読了時のカタルシスは相当なものだった。本作もプロットはシンプルな復讐譚だが、活劇小説としての完成度は低いと言わざるを得ず、残念ながらクィネルの魅力を存分に味わえるとは言えない。次作への単なる伏線ともいうべき長い序章を読まされた気分だ。

2019年4月13日

読書状況 読み終わった [2019年4月13日]
カテゴリ スパイ 冒険小説
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