初めての南米文学。
『百年の孤独』から入りたかったんだけれど、出張に出るタイミングで分厚いハードカバーを持ち歩くのはいかにも気が引けた。というわけで、薄い本を選んだ。そして、同じ本を立て続けに2回読んだのも、これが初めて。
『仮面の中の自画像』を装丁に取っている。このベルギー人の絵は、確かになんだかラテンっぽい。名の売れた絵が、文庫の装丁に使われるのも珍しい。
容易に防ぎ得たはずの殺人事件が、いくつもの偶然やすれ違いの結果既遂に至ってしまう。その顛末と詳細を記録と証言から突き止めて行く話。
場面や時制を目まぐるしく切り替えながら、一つの事件について繰り返し語る。と同時に、その事件が人々に与えた影響も少しずつ語られる。事件に向かっていく話と、事件から発せられる話とが入り混じる。
一つ一つの行為や現象の意味により注意深くなることができたという意味で、再読時の方が楽しめたかもしれない。中でも序盤・中盤・終盤と定期的に現れる『はらわた』をめぐるブラックユーモアがとても印象的。
事実は小説よりも奇であることがあるというけれど。
これはその小説よりも奇な事実に基づく小説とのこと。
偶然やすれ違いが思わぬ結果を生むことは、確かにある。往々にして瑣末なことで。
『例のあれ、帰るまでにやれってあいつに伝えといて、分かってるはずだから(俺は帰るけど)』
『言わなくても分かってると思ってました(早く帰りたかっただけだけど)』
『あの人に伝えようと思って電話しました(不在だったけど)』
『電話があったのでメモ置いておきました(置いておいただけだけど)』
『メモは見ましたが追って連絡があるものと思ってました(無ければいいと思ってたけど)』
『っていうか、あの人もう帰ってるから誰か代わりにやってくれて済んだのかと思ってました(ここにまだ書類あるけど)』
そうして翌日、顛末書を書く羽目になった時に、きっとこの本を思い出す。
- 感想投稿日 : 2018年4月28日
- 読了日 : 2018年4月8日
- 本棚登録日 : 2018年4月8日
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