あひる (角川文庫)

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本棚登録 : 588
レビュー : 79
著者 :
knkt09222さん 文学 日本 小説 最近 /女性   読み終わった 

「こちらあみ子」の前後は寡作と思われていたが、その後は佳品を矢継ぎ早に発表し続けている。
現代純文学界の傍流からアプローチしながら主流に食い込み続ける(文芸5誌以外の「たべるのがおそい」や「小説トリッパー」から芥川賞にノミネートという経歴)という、純文学の新たな模範ともいうべき、特別な作家。もちろんファンです。
こういう作品を単行本化するだけではなく文庫化して一般読者に届けようとしているあたり、出版界の良心を感じる。

「あひる」の語り手は、割と冷徹に父母を見る。
少し先に死を控えて、空しい。
次世代に拡張することにしか生活の喜びを見いだせない。要は孫が欲しい。
そのためには子も孫も交換可能な存在として使う。
自ら行った、あひる交代=密やかな代替わり=こっそり埋葬には、目を瞑るが、その自己欺瞞は自身の現実認識を歪めてしまうくらい、強固だ。
動機は(暴かれてみれば暴力性だが)表面上は自身にも他者にも、たっぷりの愛情ゆえ、と映る。
やがて父母ー私と弟ー弟の息子、と悲願は達成され、あひるも子供たちもどうでもよくなり、のりたまの小屋は潰され、孫のブランコの場所になる。
だが、その孫は、果たして交換不可能な存在なのか……?
僕自身母や義父から孫を切望されその圧力の切実さと暴力を思ったことがあるので、この作品に込められた皮肉だか悪意だか暴力性だかには「たべるのがおそい」発表当時からびりびりと思うものが多かった。
「こちらあみ子」や、今から述べる2作に比べると、そういった悪意に対して多少距離を置いているのだな、と再確認できた。

「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」はいわば連作、というか裏表のような対の関係。
前者ではおばあちゃんの痴呆を、孫の視点から描く。
後者ではそのおばあちゃんが独り言を言っていると思っていた「ぼくちゃん」の視点から、おばあちゃんとの出会いが描かれる。
どちらも視点人物は家庭の中にいる子供だが、家族が他人をないがしろにする様子が、悲劇でも喜劇でもなくフラットに描かれる。
うっすらと貧困や生活苦のにおいがするが、ことさら過酷というわけでもなく、ただそういう生活がそこにあって子供は淡々と受け入れて生活している。
そして子供もまた、おばあさんのような傍流の存在を軽く扱う姿勢を身に着けることもある。
じわーっと嫌な感じや怖い感じもあるのに、語り口は良質な児童文学のように「突き放した」ものだから、作品の意義は固定されておらず、たぶん読むたびに着目ポイントが変わってくるだろう。
「信頼できない語り手」ものとしても、再読必須。

wikiによれば「岡山市出身の小川洋子を「神様みたいな人」と敬愛し、「ずっとあんなふうに書いていけたらすてき」と話している」。つまり作者が小川洋子好きらしい。
むべなるかな、な作風。そして宗教へのスタンスも、また。
芥川賞選評で小川洋子が「「殖(ま)してゆく子供たちの気色悪さ、誕生日会に誰もやって来ない奇妙な欠落、あひると赤ん坊がすり替わるのではないかという予感。どれも書き手の意図から生まれたのではない。言葉が隠し持つ暗闇から、いつの間にかあぶり出されてきたのだ。そう思わせる底知れない恐ろしさが、この小説にはある。」「受賞に至らなかったのは残念だ。」と書いているらしい。
んで2019年上半期芥川賞に「むらさきのスカートの女」でノミネートされている。
今回こそ!

ところでネットで感想を漁っていて、藤野可織、小山田浩子、吉田知子に連なる「不穏文学」の担い手として「書かないこと」が上手い、という感想を読んだ。
確かに!

レビュー投稿日
2019年6月18日
読了日
2019年6月18日
本棚登録日
2019年6月16日
4
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