高校や大学で同級生だった3人の女性が、そのうちひとりの雑貨屋の開店祝いに訪れることから始まり、それから1年間が切り取られる。
柴崎さんの小説を読むときは毎回、長く続く前後の中で「そこだけ切り取られて渡された」という感覚があるが、本書は構成からしてすでにそうだ。
だらだら続く人生は、切り取られる前にもあったし、切り取られた後にも続く。
ライフ・ゴーズ・オン、の正しい作品化と言えるのかもしれない。
他の作品と違うのは、語り手の頻繁なスイッチング。
2行明けをきっかけに視点人物は3人に割り振られていく。
ただし3人だけとは限らず、彼女らに交わる人物の内面にもゆるーくスイッチングされ、この「ゆる逸脱」も面白い。
「ゆるポリフォニック」だ。
柴崎さんの小説に事件は取り上げられない、と思いがちだが、意外とそうでもない。
特に本作では、読者にとっては大したことはなくても、彼女たちにとっては「生活に地続き」な変化が起こる。
自分の店を持つ。職場の同僚の身の置き方の変化。幼馴染の引っ越し。異性との出会いと深まり。などなど。
そんな中で徐々に、母、祖母、との関係に重点が移っていく。
さらに周囲からは結婚や出産やといった「追い立て」がある。
「制限時間」がある中で自分がどういう選択をしていくのか……。
これはリアルに直面せざるをえない「事件」だろう。
女性にとっては30歳40歳に来るが、われら男性にとってはとりもなおさず「死」……女性はそれを数十年前に先取りしているのかな、とも考えを飛躍させたりもした。
とことで「ちゃんとした大人になること」を3人は考えたり、生きたりするが、これって実は、思春期よりもやっかいな問題なのかもしれない。
だって、どんな生活をしていても物足りないものがある、という感覚は思春期と共通したまま、
生活や環境や責任や将来や制限時間や死やを考えなければならない。
思春期のようにいざとなれば死んじゃえばいいんだ(オール・オア・ナッシング)という思い切りはもはや失われ、できることできないこと妥協と引き延ばしと誤魔化しと無視と挫折と敗北感と空しさと卑怯と諦めと身体的条件と……おお。
- 感想投稿日 : 2019年1月23日
- 読了日 : 2019年1月23日
- 本棚登録日 : 2017年6月21日
みんなの感想をみる