文章の呼吸?とでも言えばいいのかな巻末の「須賀さんについてのノート」でも述べられているけど あまりに趣味が良い…こんなに趣味の良い文章のあとで何を読んだら良いのかという悲しさまで読んでて湧いてきた。(この巻末の解説は、須賀さんの文章のルーツや須賀さんのエマウス運動、ペッピーノ氏との結婚についてご本人は語らなかったのに一本の糸のように繋がりが見えてとても良い)

同じく巻末で一連のエッセイのテーマは家族であったり、キリスト教は現実の現代の貧困を救うことができるのかという須賀さん生涯の命題、という話にも納得はしたけど
自分が感じたことは本書全体を通じてどうしようもない寂しさが澄んで青く静かにひかっている(ヒヤシンスの記憶とか、セレネッラの咲く頃とかトリエステの坂道とか、青色の)印象です
そこにはやはり宗教(全然詳しくないけど)の世界観があって、こんなに寂しいのになんで人は生きていられるのかということのヒントが見えるような見えないような

イタリアのある旧いプロレタリアートの家庭の短い誰にも顧みられないような思い出を須賀さんが書き残したことで残っていく感じがすごい
特に胸打たれたのは「重い山仕事のあとみたい」にこんなの、誰も語らないし誰も見てなかったことかもしれなくて、須賀さんがグロブレクナーを氏をこんなふうに描写しなかったら何も残らなかったのかなあとかおもった。(私にとって人生はなんか電車に乗ってるみたいな感覚で車窓からいろんなものがそれぞれ短い時間見えて、目を凝らさないととてもそれが何かわからなくて、おまけにあっという間に後ろの方に流れていってしまう)
雨の中の男たちもそう、夫が襟を立てて走っていく姿とトーニ・ブシェーマが走って行く姿が「もう二度と戻れない水晶球の中の世界」のように見られるんですよ・・・
それはただ記憶のままに書いてもこうはならなくて、エッセイというより小説の形に近い・・・物事を少しずらした位置から何度も見る、描写するのは本当に大切なことで、それがないと奥行きがなくなって平面な世界になる(それは記録には必要な書き方だけど)

ヒヤシンスの記憶と重い山仕事のあとみたいに、でめっちゃ泣いた

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非人情を心がけて表現をしようという男と歩く非人情那美さんの話
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久一くんを見送るところの

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青春は美し、ラテン語学校生の二編

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子供はみんな時代の子さ って慰められるな…

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