合理的とはどういうことか (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062583886

感想・レビュー・書評

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  • 不合理な存在:
    日常の合理.不合理という問題
    社会性と計画性
    犯罪と推理
    人問の愚かさと弱さ
    人問性の表現
    用語の説明

    人間の不合理・愚かさ・弱さ:
    1.意志の弱さと行為の選択
    自己決定という問題
    意志弱さと規範性
    合理性の要求
    人のあり方
    基礎的合理性と規範的合理性
    合理性の能力の喪失
    可能性と現実性
    2.こころの仕組み
    価値と目的生成
    意識の必要性
    行為の選択装置
    感情と理性の対立図式
    感情と欲求のシステム
    感情の役割と儀式
    感情と象徴能力
    3.人間性の成熟
    理性の起源
    目的の実現
    意志の弱さと選択された行為
    成熟の三つの段階

    人間だけが不合理であり得る理由:
    1.人間性の起源
    遺伝子的な仕組み
    人問になる仕組み
    人間と動物の速続と不速続
    理性的存在
    言語と理性
    2.不合理性の源泉
    BBQとサバンナの風景
    自然発生的な収団社会
    言語の役割
    集団維持システム
    言語の発達
    連帯と協力

    不合理・愚かさ・弱さと常識の不寛容:
    1.私たちが求める合理性
    合理的な根拠
    公正さの要求
    ソクラテスの問題
    意見の収斂
    ソクラテスのジレンマ
    2.プロフェッショナリズム
    専門家モデル
    認知主義者
    道徳的葛藤
    合理的解決
    自発的能力
    技術的知識と合理性
    3.アマチュアリズム
    自然の制約
    自然言語
    洗練された形而上学者
    秘密を解く鍵
    変更を可能にする仕組み
    規則に従
    推論の一般性
    日常の推論

    人間の自然・不自然と不合理:
    1.自然・不自然・不合理
    人間の自然
    自然主義
    第二の自然
    活動・.行動・行為
    人間に固有の活励
    身体的条件
    行為の記述と評価と説明
    2.自然的世界と価値の世界
    反自然主義 
    構成主義の考え方
    複数の自然言語
    言語使用の正しさ
    外的制約
    幸福の追求
    反実在論
    実在論の可能性
    愚かな生

  • 「合理的」って?
    以前、人に言われて、ずっと心に引っかかっていた。
    もし、この本でスッキリするのなら、と思って読んでみた。
    結果、
    ジダンの頭突き事件などの例をあげてあり、合理的=公平さなのかなと考えた。
    しかし、公平って、そのとき見えていることだけの公平だよね?
    そのとき、に至るまでの出来事は公平だったのかな。
    「合理性」のある/ない、においては、人のあり方全体に沿っていうことではないか とも本書にあった。
    私と、「合理的」発言者とは、人としての、あり方が違ったんだね。きっと。

  • 人間だけが不合理

  • 著者は「あとがき」で、本書を書くにあたって「価値の実在をめぐる現代の議論を、誰にでも分かるようにできるだけ整理しようということ」を一番最初に考えたと述べている。入門書として読めるように工夫を凝らしていることは認められるが、表面的な議論に終始しているような気がする。

    道徳的実在論の立場を採る著者が展開する議論の中で、注目すべき箇所は2点ある。一つは、ときに大胆な想像力を働かせながら人間性の起源について考察しながら、私たち人間がどの時点で自然的地盤を超え出て規範的合理性の能力を獲得するに至ったのかを見極めている点であり、もう一つは、自然主義的な認知主義者に対する批判をおこなっている点である。

    第一の論点については、比較的おもしろく読むことができた。著者はP・グライスが晩年におこなった倫理学的思索に依拠しつつ、自然的な合理性の能力と、規範的な合理性の能力を区別する。第一の能力は、自然的存在としての生物にそなわる能力であり、とくに自然発生的な小集団社会を構成する類人猿には、同一種の他のメンバーをあざむく能力さえ持つと考えられている。これに対して第二の能力は、理由に基づいて推論する能力である。こうした能力を人類が獲得したのは、自然発生的な社会を超え出て、自発的に集団同士の連帯と協力がおこなわれるようになった時点なのではないかと著者は推測している。こうした議論の細部をさらに詰めてゆくことが、けっきょくはこの問題の解決につながってゆくというのも、一つの立場ではあるだろうが、著者自身はそうした立場から距離を置いている。

    第二の論点については、著者の議論は認知主義者に対する十全な批判になっていないような気がする。たぶん認知主義者の議論のポイントは、私たちが「理性」という単一の能力だと思い込んでいるものは、じつは具体的な状況に対処するための個別的なスキルの寄せ集めなのかもしれない、ということなのだと思う。そうであるならば、私たちの生き方や考え方について、その合理性が丸ごと問題となるような場面があるのだと言い立てたところで、認知主義者には、大ざっぱな言葉を使用しているために真の問題の所在を見失っているようにしか見えないのではないだろうか。

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著者プロフィール

熊本大学 機能開発総合研究センター長

「2010年 『企業メセナの理論と実践』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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