大病や大けがをすると、人生観が変わる、というのはよく聞く話です。
自分は幸いなことにそれ程のことは長らく無かったのですが、一昨年に左足踵の骨折という大けがをして2カ月くらい車いす、半年くらい杖突きで暮し、そのときにそういう気持ちはなんとなくありました。
まあ、コペルニクス的に何かが変わる、ということでも無くて、「健康ってありがたいなあ」とか「一寸の差でもっとひどく、あるいは死んでいたかも知れない訳で、人知や能力というよりも、不条理な運っていうのはあるなあ」とか。その「一寸の差」で実際にもっと酷いことになったり、死んでしまう人もいるわけで。それに比べて自分がどうしてコレで済んでいるのかというと、マッタクながら合理的な説明などありはしない。
というようなことのごった煮で、なんだかしみじみしたり、仕事とか大変でも以前に比べると多少虚無的だったり、謙虚にならんとアカンなぁと折々思ったり、空の青さとか通りがかりの子供たちが眩しかったりするくらいで。だからまあ大まか、大した変化が無いとも言えます。はたから見れば。
なンだけど自分としては上手くいえないイロイロがあったりするわけで、その辺のことが実に上手に書いてある、漱石さんの病気エッセイ?「思い出す事など」。
でも実は、「あ、漱石さんの本でもこれは読んでないな」、というだけで内容は知らずに衝動買いしたのですけれど。
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夏目漱石さんは、10代の頃に読んで。
おもしれえ、と長編小説は全部読んでしまいました。
どこが?と言われると即答しかねるのですが、いちばん好きな小説家さんかもしれません。
最近、2周目ぢゃないですけれど、再読したいな、とじわじわ思っていました。
というわけで、「夏目漱石の小説が大好きな読者」としては、ことさらに楽しめました。
そうぢゃない人にとってどうかは、分かりません。
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この本は大まかふたつに分かれています。
1.「思い出す事など」と全体が命名された、漱石さんが胃病で大喀血して死にかけて、長期入院して無事退院するまでの期間の思い出エッセイシリーズ。
2.それぞれ個別に発表された、漱石さんが二葉亭四迷さん、正岡子規さん、池辺三山さん、などの友人知人について書いたエッセイ。どれもが離別した人への哀悼みたいなもの。
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本の表題通り、なんとなくメインディッシュは「思い出す事など」。
胃が悪かった漱石さんが、静養のために修善寺でぶらぶらしているときに、
気分が悪くなって大喀血。医師も「朝まではもたないだろう」とつぶやいた。
半時間ばかり意識を失った。周りは死んだと思った。
なンだけど、ともあれ復活。寝たきりから徐々に快方に...という出来事。
漱石さんの読者や日本文学に詳しい人などは「修善寺の大患」と呼んでいます。
漱石さんは、ことの起こりから、復活して静養してタンカのまま東京に転院、無事退院するまでの思い出を33のエッセイに綴っています。
漱石さんの文章の特徴ですが、一見わがままで傲慢に見えて、実のところとっても自分を突き放した謙虚さ。偽善も嫌だけど露悪もイヤだ、という感じに読めます。好きです。ひねくれていますが。
そして、アカラサマではないけれど、吹き出しそうな滑稽味を時折放り込んでくる。
病の自分を天空からみたり、自分の心の中に入ったり。自由自在という感じで、このあたりは親友だった亡き正岡子規さんに対して、「俺だって病気ものを書けるぜ」みたいな対抗心?オマージュ?なんて無駄な深読みも楽しく。
(ただ、病中無聊につきこんなの作った、と挿入される漢詩にはお手上げ。全部スルーしました)
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病気の身辺、思い出話ですから、平たく今風に言うと長めのブログみたいなもの。
そう考えると、やっぱり文章が上手くて品があるなあ、と思います。
「私が俺がさ、こんな非日常な体験したんだよね。大変だったんだぁ。それで、こんなことを感じたの」
と、いうブログがあったとして、これほどおもしろいことは無いだろうなあ。
ま、漱石さん好きなんで、偏見でしょうが。
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結局、胃潰瘍、胃の病気ですから。完治すっきりということはなく小康を得て数ヶ月後に退院。漱石さんはその後も何作か書かれていますが、結局はこの持病の延長で後年亡くなります。
死にかけた瞬間は本人は記憶がないので。
エッセイのほとんどは、意識が戻ってからの、苦しくて痛くて不安で、恐ろしく暇な寝たきり状態、あるいは半寝たきり状態の日々のささやかな出来事。その時期に、思い出したり考えたり感じたりしたこと。
それらを書けるだけに回復した後に振り返り、「思い出す事など」。
病気に伏せって日常から遠ざかる不思議な感覚。
自分以外の人が亡くなって、自分は助かる。居心地の悪さ。不条理さ。
そんな肌触りみたいなものが活写されていました。
(「思い出す事など」には含まれませんが、この本に入れられている「変な音」も入院時代のひとこまを絶妙に切り取った名編。芥川龍之介さんのエッセイ風短編小説みたいなスバラシイ味わい。)
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他の文章は、亡くなった、あるいは去った知人(当時のそれなりの有名文化人)への哀惜の辞です。
ぶっちゃけ、弔辞みたいな部分もあります。
だから必然的にちょっとしんみりしますし、じんと染みます。
(だから対象の人を知らないと、読んでもちょっといまいちなんだろうな、と思います。でも、僕は池辺三山さんという人は知りませんでしたが、「三山居士」もかなりぐっと来ました。マア、相手を知らなくてもグッと来るからこそ、本にして売る価値がある訳ですが。)
どれも素敵ですが、白眉は「子規の画」です。
単簡に言うと「子規に貰った画が出てきて懐かしかった。良く観ると、あまり上手い絵ではなかった」というだけの話なんです。
なんですが、そんなよしなしごとを思い出を交えて書きつづり、肩の力の抜けた軽さの中で、じんわりと早世した親友への思いが滲んで、広がって、浸されて、ぼんやりしてしまう心地良さ、そして痛み。脱帽。
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何故だか連想してしまったのが、アメリカのロック音楽のアルバム、「ソングズ・フォー・ドレラ」(1990)。
ルー・リードとジョン・ケールのふたり連名のアルバムで、全部ふたりで演奏してます。唄はルー・リード。1987年に死去したアンディ・ウォーホールを偲んだアルバムです。これも言ってみれば、弔辞。
ルー・リードとジョン・ケールは1967年にヴェルヴェッツ・アンダーグラウンドというバンドでデビュー。このバンドをプロデュースして世に出したのはウォーホール。短い年月ですが、ヴェルヴェッツはウォーホールの「作品」のようにニューヨークを中心とする文化で輝いたバンドでした。
なんだけど、濃い蜜月の後、感情的な喧嘩別れをしたようで。ヴェルヴェッツはウォーホールの元を離れ、バンド自体もすぐに解散。
ルー・リードはソロのロック・アーティストになり長く商業音楽で活動し。
ジョン・ケールは実験音楽とか前衛のほうに行ったみたいです。
そしてずっーとはぼほぼ絶縁状態のまま、ウォーホールさんが死んだのが、ヴェルヴェッツの季節の凡そ20年後。
若いころに共闘して絶頂を見て喧嘩別れしたルー・リードとジョン・ケールが、互いにいいオッサンになって再びふたりきりでアルバムを、ウォーホールに捧げよう、という。
ロック、ということになるのですが、静かで音数も少なくて、ルー・リードのつぶやき系の唄声と、ジョン・ケールさんの尖がった音が気持ちいい、大人のアルバム。
中でも肩の力の抜けた、温く心地良い温泉のような1曲「Nobody But You」なんか、うるっと来ちゃうくらい好きです。
そんな曲を久しぶりに思い出しました。大好きな一編でした。
- 感想投稿日 : 2017年1月20日
- 読了日 : 2017年1月20日
- 本棚登録日 : 2017年1月20日
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