女ぎらい ニッポンのミソジニー (朝日文庫)

  • 朝日新聞出版 (2018年10月5日発売)
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▼全体にオモシロかったです。当方が浅学菲才な昭和生まれのオジサンなので、上野さんが渡したかったものを全部受け取れているかは分かりませんが。後日の自分のために記憶に残っていることだけまとめると。

▼「ミソジニー」というのが「女性嫌い、女性蔑視」みたいな観念のことらしいのですが、これがキーワード。

▼日本だけではないでしょうが、日本の実社会をベースに、どれだけ

「女性は社会的に、能力的に、男性よりも劣るのである」
(あるいは、そうであって欲しい、そうあるべきだ)

という「理屈抜きの決めつけ」が世の中の色んなところに浸透しているか、それがどれだけ理不尽だし、非効率だし、残酷だし、身勝手であるか。
というようなことを多例を用いて語られる一冊。

▼月刊誌?か何かの連載をまとめたものだそうで、出版当時の時事問題や事件や世相に立脚しているので、ちょっと懐かしかったりもしますが、全般に気になるほどではありません。 

▼それらミソジニーに侵される、というか受け入れてしまっている(というか受け入れざるを得ない)のが、男性だけぢゃないよ、という。

▼原則、日本の今の社会の基礎を作った(その基礎が今、かなりガタガタに、良くも悪くもなっているのですが)昭和の高度成長期の家族や男女役割モデルによってつくられている。

・労働市場への参加の制限

・男性よりも学歴が下位で、大まか年齢も下の専業主婦

・働いても、「男湯に乱入した女性」的な居心地の悪さと扱い

・更には「男性的な社会成功」と「昔ながらの男性受けする、つまりミソジニーに基づいた成功」の両方を求められる

というようなことなんですが、個人的な理解では「フェミニズム」という考え方は、これらのコトバの「女性」を「世界の中の日本人、アジア人」に置換したり、「身体障碍者」に置換したり、「低所得者」に置換したり、「地方出身者」に置換したり、もっと平たく言うと「運動音痴」とか、「学歴的劣等生」とか、兎にも角にもありとあらゆる「社会的な”ガチャ”の弱者」に置き換えて考えても成立するところがキモなんだと思います。


▼そういう意味では過去事例、前例、つまりは歴史特に現代史と言われるものを、どのように「認知」して、その「認知」に基づいて周囲の言動を「判断」して、自分の言動をどう「操作」するのかということに尽きるんぢゃ無いかなと思います。だからコトは、政治家ぢゃなくてもリーダーぢゃなくても、小さな自分個人が、決して多くない身近な人たちとどう接するかということになる。その何億という事例と人間の積み重ねの向こうにしか、自分の、そして子供たちの未来はないんだろうなあと思いました。
 そうした積み重ねの結果が、自分個人の歴史の出発地点だったわけだから。

 そうした「認知」の視点というかアイディアを色々と提供するというのが、「学者さん」という人々の(恐らくは特段に社会学者とか哲学者とか歴史学者に限らず)本来の役割なんだろうなあ。もっと言うと「本」を出すということも含めて「メディア」というものの役割なんだろうなあと思いました。良き読書でした。


▼ただ、事例の中で、いわゆる少女性愛趣味などの具体例に踏み込んだ章は、ちょっと読んでてココロが疲れるというか、しんどかったです。昼飯食べながらちょっと読むような愉しみ方の本ではありません。
 あと、連載をまとめたもので、かつ恐らく一般誌ではなかったようなので、まとめて本にすると若干お手付きがあったり展開が単調だったりはしました。まあそれはしょうがないですね。それを超えてなおインパクトのある素敵な読書でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本:お楽しみ
感想投稿日 : 2025年2月16日
読了日 : 2025年2月9日
本棚登録日 : 2025年2月9日

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