日本辺境論 (新潮新書)

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本棚登録 : 4906
レビュー : 611
著者 :
koba-book2011さん 本:お楽しみ   読み終わった 

内田樹さんの本。2009年に出た新書本です。
ええと、大変に面白い!…と前半思いまして。後半は、そうでもなかった。というのが読後感です。

ものすごく雑に、備忘録として要約しますと。
(というか、僕が自分で受け止められたことだけを書きますと)。

日本は辺境である。辺境である、と日本に住んでる人自体が、思っている。つまり、田舎者である。
いつも海の外にあこがれの、劣等感を抱いてしまう相手がいます。大きな文明があります。
文明は自分たちが作るものではなくて、そういう、「外部」からやってくるもの。
それをありがたくいただいて、なんていうか、使いやすい物は、自分たちの道具にしちゃう。

という考え方がまず、あります。
これに膨大な例証があります。面白いです。
「日本」「日の本」というのはつまり、日が昇る方角、という意味。つまり、「東」という意味ですね。
これは、中国を中心と考えるから、そうなった訳です。なるほど。
「東北地方」っていうのは、東京あるいは京都が中心と考えるからそうなんですよね。
東京っていうのも、京都の東だからなんですけどね。
だからその頃に、つまり古代に、アメリカが強国でそこと交流があったら、「日本」じゃなかった訳ですよね。

で、という訳で我々は大いなる体系は自分たちで作らない。作れない。どうしてかっていうと作ってこなかったから。
どうしてかというと、田舎者だという自覚。「中央」と違って大陸的に異民族と対立激突したり、切磋琢磨してこなかったんですね。
なので常に、周囲を気にします。「中央」を気にします。「絶対的にコウである」ということは少ない。「あの人がアアしてるからコウなんだ」。ということですね。
日本人は、みんな、きょろきょろうろうろしている。ということです。
だから、「日本人論」がこれほど好きな国民はいない。

そこから。
目標にする、模倣すべき「中央」がはっきりと上に見えているときは、そんなに間違えない。
明治時代であり、戦後の成長だったり。
なんだけど、自分がトップになってしまうと、どうしていいか判らない。
日露戦争で、世界の強国になってしまった日本はどうしたか。
日本がその後したことは、全て「帝国ロシアがやってきたこと。やろうとしてたこと」だった。
ここンところの例証はナルホド度、高かったです。

それから、「場の空気を気にする」ということ。
これも辺境性から。まあつまり、今でも都会人より田舎の人の方が、周りとの協調性を気にする。それと同じ。
それが、第2次大戦でも、ナチスと違って、「俺が始めた。俺は正しいと思ったから」という戦争開始者が、誰ひとりいないという不思議なことになる。

左翼でも右翼でも、多くの議論が「●●(その問題に応じた外国名)では××なんだから、日本も××すべきだ」という議論ばかり。
「誰がどうであろうが我々はこうであるべきでは」という議論が少ない。
このことの、なんていうか、論理的なあるいは倫理的な異常性。でもそれが異常とも思われていない。
このくだりもマッタクもってその通りだと思います。

と…このあたりまでは、なかなかに面白かったんですね。
そこから、そういう日本人の特性と「学び」のお話になります。
ところがこれは、まあ、非難することでもないですが、内田さんの他の本とかなり重複。

そこから、「自分」という存在をどう認識するかみたいなことから、
かなり哲学的な、かつ例証として武道などの話になります。
このあたり、作者の方は確信犯なんでしょうが、かなり、なんていうか、素直に言うと高度になります。
なかなか難解です。言葉も。カント、ヘーゲル、等の言葉が飛び交います。
情熱は判りますが、なんていうか、別の宇宙に飛んでいきます。
「ああ、ガンダムの劇場版も、初めは判りやすかったのに、”Ⅲめぐりあい宇宙”は、なんだか超能力人の心的世界の話までイッチャった」
「”リングにかけろ”も、初めは父の復讐だったはずなのに、いつの間にか、地球の滅亡をかけて戦ってしまっている」
という感じですね。違うかもしれませんが。
でもきっと、それは、「あまり大勢にしっくりとは理解できないかもしれないけど、もうそこまでイカないと俺の情熱は果たせない」という、作り手語り手側の心情的な真実が、ソコにあるんだろうな、と推察されるコトそれ自体で受け止め方としてはある許容ができるのかもしれません。
でも、まあちょっと僕としては、「ごめん、それがメインで出てくるメニューと思ってなかったです」という感じで。前菜、スープ、最高に旨かったんですが。

で、最終章で日本語の話になります。
ここはまた、エライコト面白かったです。僕にとっては。
要約すると、他と比較しても日本語は、
●正誤よりも、どっちが階級的に優位にあるか(つまり知識や立場や経験や洞察に置いて上回っているか)、を示すことを競い合うような性質が強い。
●カナと漢字という2つの文字を使い分けるという、特殊性、難しさ。そしてその、有利なところ。欧米思考を置き換えるとき、日本人は漢字を使う。仮名ではなく。
 これは、漢字=中国=中央、の優位性を認めたうえで、ローカリティ―=仮名、をそこに混ぜる、というちゃんぽんさが、英語優位になった現代でも強く残っているという、その便利性。
というようなことだと思います。
これは面白かった。

だから…まあ全体としては微妙というか…。
でも内田樹さんの本を初めて読むなら、この本の「前半」はお勧めですね。「後半」は、初・内田樹さんとしては、(人によりますが)僕はお勧めしません。

しかし、たいがいにおいて、新書っていうのは常にまあ…前半が面白い。というか、後半が要らないことが多い。
つまりまあ、「ほらこういう見方ができるでしょ?例えばこうでサ」というのが面白いんですね。
でも、そこの「へ~~~~」で止まるから。あとは例証を繰り返すか、あるいは、「出発点は面白かったけど、ソコからそんなに大げさな話されても、そこまで思わないな」ということになるんですね。

新書、難しい。もっとうすーくすれば良いのに(笑)。



※全般的に、司馬遼太郎さん、丸山真男さん、岸田秀さん、ほか多くの人からの引用あるいはインスピレーションをはっきりと明記してお礼してます。勉強になります。
 そういう内田さんの態度は率直で僕は好きです。「引用だけど、それでも今、新たに語られる必要があると思う」というのも、大いにそうだと思います。色んなことについて。

レビュー投稿日
2014年5月4日
読了日
2014年5月4日
本棚登録日
2014年5月4日
3
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