▼高名なルポルタージュベストセラー。第2次世界大戦の、ナチス黄昏の一幕、「1944年8月の、パリ解放」に至る1週間程度?を、ドイツ側、連合国軍側(ドゴールなど、陣借り参戦しているフランス軍や、アイゼンハワーたち)、そしてパリ市民たち(共産党系レジスタンス、共和主義系レジスタンス、一般市民、対独協力者のパリ市民など)という、目がくらむほどの人々に「当時何があったのか」を取材しまくって書かれたもの。
パリ解放から20年後くらいに書かれたもののようです。まだ多くが生きていたので、多くから生で聞き取りをしている。
▼もともと個人的に西洋史が得意では無かったので、過去10年?くらい意識的に「オモシロい西洋史の読み物」を読んできたんですが、去年くらいから、「ひとつの到達点として、パリは燃えているか?を、楽しく読もう」と思っていました。
なんの〆切も責任も無い、個人的なプロジェクトです。こういうのは自分としては、無上の読書の愉しみです。
「キャパ評伝」 「誰がために鐘は鳴る」 「ヒトラー評伝」 などなどをこの数年読んできた甲斐がありました(笑)。
▼上巻は、
<ノルマンディー上陸作戦が終わっている。ナチスは敗色濃厚である。7月にヒトラー暗殺未遂もあった。ナチス内でも多くが内心、こりゃだめだ、と思っているし、ヒトラーを見放している。でもそれを見せると処刑されてしまう。そういう状況。
まだパリはヒトラーの、ナチスの支配下にいる。だが、全体としては連合国軍が軍事的には優勢なので、共産党系、共和主義系などのレジスタンスたちが、パリ解放後の新しいフランスの舵取りをめぐってバチバチとうごめいている>
という状態から始まります。
主人公は何百人と出てきます。でもメインのひとりは、コルティッツ将軍。つまり、最終的に「パリを燃やさなかった」ナチスの将軍です。
最後にはパリは燃えなかったことを読者は知っているのだけど、「パリを渡すなら燃やせ」とヒトラー直々に命令された、コルティッツ将軍とともにパリへ入っていくような趣向。話の段取りの結末ではない。どうしてそうなったのか?どういう過程でそうなったのか?ということでグイグイと引き込まれました。
▼そして、結論パリはそれなりの市街戦の結果、連合国軍が討ち入って来て、最後は幕となる。その歴史の結果は知っている。完全他力ではなく、蟷螂の斧と言えど、素手に近いレジスタンスが解放の糸口を紡いだことが、結果的に今にいたる「パリと、パリ市民たち」のプライドであり文化になっていますね。
それは英雄譚だけど、戦争は戦争。殺し合いです。
ナチスによる反抗者弾圧(つまり、殺害)という実相も描きつつ、レジスタンスに殺されるドイツ兵ひとりひとりも、みな家族がいて死にたくなかった人間でもある。そんな視点に書き手の背骨の強靭さを感じます。スバラシイ。
▼眼が眩むほどの多様な視点で、わずか数日間の出来事が、コレデモカとドラマチックに、エンタメ横溢に、そして重さとユーモアも交えて語られます。読みやすいとは言いませんが、全く飽きませんでした。スバラシイ。
▼1990年代か、「映像の世紀」という傑作豪華ドキュメンタリーがありましたが、そのあまりにも有名な加古隆さんによる主題曲の曲名が「パリは燃えているか」でした。脳内ではあの曲が鳴っています(笑)。
▼結果、燃えなかった。そして無差別大量虐殺のようなことは起こらなかった。そこにコルティッツさんをはじめとして、「にんげんの底力」みたいな輝きを感じます。感じますが一方で、スターリングラードだったりモスクワだったり、沖縄だったりヒロシマ・ナガサキなどを、「燃やしてしまった」のも、おなじ「にんげん」なんだよな。そういう葛藤も内包して書かれている作品。下巻はこれからですが、大満足の予感しかありません。わくわく。
▼この本が世に出たのが1956年だそうで、日本で「日本のいちばん長い日」が出たのが1965年だそうです。影響があったのだろうかと思ってしまいました。アレも、抜群にオモシロい一冊でした。
- 感想投稿日 : 2025年3月9日
- 読了日 : 2025年3月2日
- 本棚登録日 : 2025年3月2日
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