わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

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本棚登録 : 1167
レビュー : 147
制作 : Kazuo Ishiguro  入江 真佐子 
koba-book2011さん 電子書籍   読み終わった 

カズオ・イシグロさんという、日系のイギリス人の小説家さんの本です。2014年現在60歳くらいの男性のようです。
お名前は完全に日本人なんですが、まあ、何はともあれ母語は英語のようです。これも、翻訳本です。
正直、名前しか知らなかったんですが、「読んだことのない現在進行形の作家さんを読んでみたいな」という思いもあって。ほぼ予備知識なしで読みました。
不思議な小説、面白かったのは面白かったです。ラストの喪失感っていうか切ない感じが辛かったですけど。
英語版が発表されたのは2000年だそうなんで、もう14年前の小説になるんですけどね。

お話は、
●1930年代の、ロンドン。主人公のクリストファー君(20代)は、両親がいないけど、財産に恵まれた若者で、教育を受けて、志望通り「探偵」になっています。
●そのクリストファーさんの回想で、15年?20年前?子供だった頃。両親(イギリス人)と上海に居ました。支配者階級イギリス人一家のリッチな日々。父は、英国商社マン。母は敬虔な慈善家で、アヘン撲滅運動をしている。なんだけど、実は夫の会社、ひいてはイギリスが、上海に中国に、アヘンを売りまくっているという矛盾。
●それから、その上海の子供時代、隣家の裕福な日本人家庭の「アキラ」という名前の同年配の子との友情。
●その上海時代、父が蒸発する。そしてやがて母も蒸発する。孤児になり、独り英国の伯母のところへ。
●そんな思い出が続きながら、20代の主人公は探偵になり、かつての上海の両親の失踪を調べている。なんとなく確信を得て、上海へ。久々に上海へ。
●日中戦争泥沼の時期の上海。腐敗した支配者階級、悲惨な戦争。アキラと、物凄い偶然の再会。両親の失踪の真実を知る。
●大まかに言うと。父は愛人と逃げただけだった。母は中国人のマフィアにさらわれて妾になっていた。クリストファーの安全と財産、それと引き換えに母は自死を思いとどまっていた。なんて悲しい事実。
●どーーーんと月日が過ぎて、淡々と初老になってロンドンで暮らしているクリストファー。母とは戦後に再会。だが、母は心を病んで、息子を判らなかった。

■と、言うお話が、クリストファーさんの一人称で語られます。これ、大事ですね。客観的には語られません。

■で、少年時代の豊富な細かい想い出、20代のロンドン~上海時代の恋愛、引き取った孤児の少女との触れ合い、が、入ります。

あらすじ、枠組み、で言うと、そういうことなんです。
なんだけど、あらすじではわからない「味わい」について言いますと。

●主人公は孤児なんだけど、どうして孤児になったのか、判らない。本人にも判らない。犯罪の匂いがする。
●主人公は、シャーロック・ホームズに憧れて、探偵になる。
●そして、両親の蒸発の謎に迫っていく。
と、言うあらすじなんですけど。なんですけど、細部が無いんです(笑)。
犯罪捜査の細部が、無いのです。
だから、なんていうか、「犯罪娯楽小説」「探偵娯楽小説」「冒険娯楽小説」では、無いんですね。
兎にも角にも、主人公の青年の心理、内面。その震え、動揺、高揚。そういう面白さなんです。

それで、この小説は、戦争が描かれます。第二次世界大戦。まあ、厳密に描かれるのは上海での日本軍対中国軍の戦闘です。
そして、この小説は、「支配体制権力が行う、人種差別的な、構造的な悪事」「それを、見逃して、目をつぶって、白々しく上品に暮らす人々」が描かれます。
そして、その中で小説として起こることは、やりきれないほど辛く、悲しく、絶望的で、救いがない。そういう、隠された事実だったりします。
子供時代の、美しい無邪気な想い出が無残になります。

ま、つまり、そういうことなんだろうなあ、と。この小説で渡したかった後味っていうか。
そういった、怒りや批判を含んだ、喪失感というか、無力感というか。
そこに至る絶望感とか、感傷とか。
だから、正直、全部一人称なんで。どこまでが物語的に事実なのか、疑問も抱けるわけです。
主人公のクリストファーが、そう思っている。そう思いたかった。そう妄想している。だけかもしれない訳です。
特に、上海の戦場、幼馴染のアキラと偶然邂逅するくだり。あまりに偶然。この、上海戦場放浪のくだりは、全体に、どこまで事実かわからない。
なんだけど、この小説の中でも、ぐぐっと読ませます。くらくら眩暈がするような。主人公の意識と一緒に、戦場という悲惨さの中に、読んでる気持ちも叩き込まれます。
なんかもう、そうなると、ジジツなのか妄想なのかという境目は、どうでもよくなるような気もします。
そういうことなのかなあ、と。

そして、小説全体に、東洋人でありつつ英国人である、という作者の業なのか、なんとなく、感じたこと。
西洋白人社会、つまり19世紀的な先進国の、物凄く深い罪悪。暴力性、残虐性。被差別対象としての東アジア人。その東アジア人が被害者から加害者へと乗り換える。その際の、復讐的とも言える暴力性、残虐性。…救いのないループの中で、らせんに織り込まれた20世紀前半という歴史。そんなタペストリーを見せられたような気がします。

うーん。そんなこんながかなり、意図的。戦略的な気がするんですよね。
この小説家さんは、小説とか、言葉とか、意識とか、歴史とか、物語とか、そういうことに凄く意識的な気がします。
それは、「面白いために必須な条件」な訳ではないんですけどね。
何ていうか、右手が、「右手である」ということに意識的になってみると、ちょっと違って見えて来ちゃうみたいな。
そして、いちばんなことは、文体的に?語り口というか。とても落ち着いていて、品があると思いました。クドいケレンもない。あざとさも無い。
こういうのって実はすごいことだし、大事なことです。半分は翻訳の問題ですけどね。僕は好きでした。

1930年代、20年代くらいの、上海。
演劇「上海バンスキング」の世界な訳ですが。
この西洋と東洋、貧困と富裕、混濁と美しさのような街並みが、くどくどと描写されるわけでもないのに、
すごく印象に残ります。
そういうのって、文章を読む醍醐味ですね。
この小説家さんの小説は、いくつか映画になっているそうですけど、絶対にこの持ち味は、厳密に言うと映画に移し替えられるものではない、と思います。
村上春樹さんとか、そうですよね。
(伊坂幸太郎さんの小説も、好きなんですが、何故だか映画化作品は、マッタクと言って良いほど、そもそも見ようという気になれないんですよねえ…。閑話休題。)

…って、この本。
手放しで褒めるって感じにもなれないんですけどね。
そんなこんなで、大まか言うと暗いです(笑)。
キッチリ美しく、均整に心地よいのですけど、一方で暗い(笑)。ユーモアも、まあ、無いですねえ。
暗いというか、痛い?美しいのに痛くて悲しいかんじですね。

なんですけど、ホントに知的で素直で読み易い語り口。
主人公が、何をどう感じているのか、という興味で転がしていく、話の運びの巧みさ。
考察と知性と感傷が充満充実した、全体の構成。
うーん。なんて言えばいいか。本格派。スバラシイ。
大好き!とは言いませんが、またいつか別の小説を読んでみたいですね。何より、同時代の人なので。次回作、最新作で、今のイマの世界をどう感じて何を語るのか。楽しみですね。

「わたしたちが孤児だったころ」。原題の、まあ直訳なんですけど。この直訳感、微妙に日本語的に居心地が悪い感じが、この本にはふさわしいなあ、と思います。
素敵な翻訳タイトルだなあ、と思います。

レビュー投稿日
2014年6月22日
読了日
2014年6月22日
本棚登録日
2014年6月22日
7
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