クジラと日本人 (岩波新書)

  • 岩波書店 (2003年4月18日発売)
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日本では、10世紀末に武士階級が台頭する中で海賊が生まれ、武器が漁具に転用されるようになって捕鯨技術が向上した。戦国時代末期に突取法による産業としての捕鯨が始まり、各地に伝わった。1675年には、クジラに網をかぶせてから銛で突き取る網取式が開発され、遊泳速度が速いシロナガスクジラまで捕獲できるようになった。

ヨーロッパでは、9世紀頃から沿岸の捕鯨が始まり、資源が減少すると沖合に進出した。17世紀には北極海でホッキョククジラを発見して捕鯨が発展したが、19世紀末までに資源の減少によって古代捕鯨は消滅した。

18世紀初めに始まったアメリカ式捕鯨は、母船に捕鯨ボートを搭載して解体も行うもので、遠洋に進出することができ、良質な油がとれるマッコウクジラを主に捕獲した。アメリカ、イギリス、フランスの捕鯨船が日本近海の太平洋や日本海にも進出し、沿岸に来遊するクジラを待つ日本の捕鯨は大きな打撃を受けた。19世紀後半になると、資源の減少、石油の開発、鯨髭の需要の減少などによって衰退し、1920年までに消滅した。

1864年、船の舳先に搭載した捕鯨砲で網付きの捕鯨銛を発射して捕獲する近代捕鯨がノルウェーで開発され、1904年には南極海でも操業が始まった。

南極海で捕鯨が始まると国際協定の必要性が高まり、1930年の国際捕鯨条約、1937年の国際捕鯨協定の後、1946年に国際捕鯨取締条約(ICRW)が締結され、IWCの事務局が設立された。IWCでは、当初は南極海の捕鯨枠を決めただけ(オリンピック方式)だったが、1962〜64年に国別割当制度を設け、南半球のザトウクジラとシロナガスクジラの捕鯨を禁止した。1975年に新管理方式(NMP)を採用。1979年にインド洋全体を鯨類保護区に指定。1982年に非捕鯨国が4分の3を越えて、87年までに商業捕鯨のモラトリアムに入ることを決議した。日本は、捕鯨と北洋漁業とのリンク政策を押しつけたアメリカに屈して異議申し立てを取り下げ、88年に商業捕鯨を中止した。1992年には改訂管理方式(RMP)が採択されたが、改訂管理制度(RMS)が完成することを条件に加えた。1993年に南緯40度以南の南極海を保護区にすることを可決した。

南極海では、捕獲の対象となったシロナガスクジラがかつての20万頭から1000頭に減少した一方、クロミンククジラは20世紀初めの8万頭から1970年初期までに76万頭まで増大した。商業捕鯨モラトリアム決議に付帯して実施された資源評価では、北太平洋のコククジラ、ホッキョククジラ、ミンククジラ、ニタリクジラ、南極海のクロミンククジラの資源が健全であるとの結果がでている。

調査捕鯨は、南極海ではクロミンククジラの年齢別自然死亡率などの生物学的特性値の把握を、北西太平洋ではクジラによる水産資源の補食の実態を把握するためにミンククジラ、ニタリクジラ、マッコウクジラを対象に行っている。

ミンククジラの食性の幅は広く、有用魚種を大量に補食するため漁業と競合している。大隅と田村は、世界のクジラの補食量が年間2.5〜4.4億トン(世界の漁獲量の3〜5倍)と推定した。

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感想投稿日 : 2014年7月6日
読了日 : 2014年7月29日
本棚登録日 : 2014年7月6日

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