日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

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  • 集英社インターナショナル (2008年2月26日発売)
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世の中には、閉鎖的な安心社会と、商取引から発展した信頼社会があり、それぞれが異なるモラル体系を作り上げたと論じる。2つのモラル体系は全く対立するものであるため、グローバル化が進んだ信頼社会においては、安心社会に基づく武士道の精神を持ち出すのは有害であると断じている。

教育で知識を教え込むことはできるが、人間性に反した形に心を作り変えることはできない。生まれたての赤ちゃんの心はホワイトボードのようなものであると考えた20世紀の社会科学は誤りだった。国民への倫理・道徳教育に熱心だったソ連や中国でも、他人に奉仕する立派な国民が生まれることはなかった。

モラル教育では、利己主義者がただ乗りの恩恵を受け、まじめに教育を受け止めた人が損をする結果となる。アメとムチ方式では人々を監視するための仕組みが必要であり、そのコストの方が大きいことがある。人々の多くは、他人の動向を見てから自分の態度を決めようとする日和見主義者。他人のどれくらいが行動を起こせば自分も同調するかは人によって異なり、状況が少し変化すると結果が大きく変わることがある(その潮目となる比率を臨界質量と呼ぶ)。

進化の過程で人間が身に着けてきた人間性を教育によって修正しようとするよりも、心の中にある人間性の本質を理解し、その性質をうまく利用する方が、社会の様々な問題を解決するためには建設的である。著者は、約束を守り、正直者でいること、ポジティブな評価を得た人が得をする社会をつくることが効果的ではないかと主張する。

欧米には何事も積極的に挑戦し、自分の特性を伸ばしていくことが善とされるが、日本などの東アジアでは自らの欠点を見つめ、それを克服していくのが正しい生き方であるとする文化がある。しかし、日本人が自己卑下の態度を示すのは、その方が日本社会ではメリットが大きいから謙虚にしているだけで、「日本人らしさ」なるものは、日本社会で生きていくための戦略的行動に過ぎない。

日本人とアメリカ人を対象とした他者一般への信頼感を調査した結果によると、「たいていの人は信頼できる」と答えたのは日本人では26%だが、アメリカ人では47%で、アメリカ人の方が他者一般への信頼感が強い。農村などの閉鎖的な社会では、悪事に走ったり、非協力的な行動をとると、損になる。メンバーが互いを監視し、何かあった時に制裁を加えるメカニズムがあることが安心を与えているのであり、他の仲間を信頼する必要はない。日本人が「和の心」を持ち、他人と強調する精神を持っているのは相手が身内の場合に限られており、よそ者に対しては警戒感を抱く。

日本人が他人を信頼しないのは、長らく生活してきた安心社会では、正直者であることや約束を守るといった美徳を必要としないため。閉鎖社会では、相手が裏切ることはあり得ないし、よそ者とは手を組まなければいい。誰と付き合うことが安心をもたらしてくれるかを見極めること、つまり、ボスが誰であるか、だれを味方につけておけばいいかといった、力関係、人間関係を正確に読み取っておくことが重要であり、信頼性の検知能力は必要ない。

一般的な信頼性が高い人は単なるお人好しではなく、相手の情報を積極的に活用して評価を修正するためにシビアに観察している。

中世の地中海貿易では、ユダヤ系イスラム教徒のマグレブ人と、ジェノア人の2つのグループがあった。マグレブ人は取引を身内に限定して、裏切った人間とは二度と付き合わない安心社会的な方法を用いたが、ジェノア人はその時々で必要な代理人を立てる方法を用いて、トラブルを解決するための裁判所を整備した。安心社会的な方法はリスクもコストも低いが、環境が変化した時の機会をつかむことができない。ジェノア人の方法はリスクもコストも高いが、機会を獲得して利益を拡大することができたため、発展して地中海貿易を制覇し、マグレブ人は姿を消した。

信頼社会を作り出したのは西欧文化圏だけであり、近代以降に世界で圧倒的な影響力を持てた要因となった。ローマでは統治のための法律だけでなく、人々が安心して商取引をするための万民法があり、この伝統が近代ヨーロッパで信頼社会が生まれる基盤となった。中国が信頼社会を作り出せなかったのは、法制度が治安を守るための刑法や行政法だけで、皇帝が人民を統治するものに限られていたため。

ジェイン・ジェイコブズは、古今東西の道徳律を調べて、市場の倫理と統治の倫理の2つのモラル体系があることを明らかにした。市場の倫理とは商人道で、信頼社会において有効なモラル体系であり、統治の倫理とは武士道で、安心社会におけるモラル体系と言える。安心社会で最も重要なのは、メンバーの結束と集団内部の秩序を維持することであり、伝統堅持こそが善で、集団を守るためには排他的で、欺くことも良しとされる。2つのモラル体系は全く対立するものであるため、混ぜて使うと社会に矛盾と混乱をもたらして、堕落することになる。信頼社会では武士道の精神は相容れず、有害な結果をもたらしかねない。日本において、組織を守るために社会を欺く事例が続いているのも、武士道的なメンタリティが原因と考えられる。

<考察>
日本人が「和の心」を持つのは身内に対してだけで、西欧社会の方が他者一般への信頼感が強いとの指摘には開眼させられた。グローバル化を否定して鎖国の時代に戻るつもりがない限り、信頼社会への移行は避けられないだろう。いつまでもボスに追随し、力関係に頼るだけで、アメリカべったりの外交を続けていると、国際環境の変化に対応できなくなるのは、今年の北朝鮮の変化の際にも露呈したと言えそうだ。取引を身内だけに限定して姿を消していったマグレブ人の歴史は、安心社会の殻から抜けきることができない日本人の行く末を暗示しているように思えてくる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年9月8日
読了日 : 2018年9月8日
本棚登録日 : 2018年9月8日

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