極限メシ!: あの人が生き抜くために食べたもの (ポプラ新書)

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レビュー : 4
著者 :
koheinet608さん  未設定  読み終わった 

凄く疲れた時や、何か頑張った後の、メシはなぜか、いつもより美味しいと感じる。また、何かやり遂げた後のメシは、いつまでも、記憶に残っていることがある。人は、「情況」によって、食べるモノの味を、変化させているのだろう。これは、他の動物にはない。

メシを、自ら、探すか、作り出すかしか、選択肢がなかった時代から、
現在は、交換するだけのモノに変わってしまった。この変化が、
極限的に進んでいる現代で、人は、ただ、ただ、メシを
、数多くの選択肢から選ぶだけになってしまっている。
これは、人類の歴史の中で、ここ数十年で訪れたもので、
実際、この変化が、私たちにとって、「良いこと」なのか、
わからない。

現在、都会に暮らしていれば、生死に関わるような「状況」というのは、
中々訪れない。日本に住んでいれば、飢餓を伴う、生命に危険を及ぼす状況に出会うことは非常に少ない。だから「極限状況」に置かれてしまった時、人はメシにどのように向き合うのかという問いは、わりかし重要な視点だと思う。
なぜなら、極限状況というのは、程度の差こそあれ、決して、訪れないわけではないからだ。


極限状態に置かれた(もしくは、意図的に作り出した)人は何を食べたのか、
これは、非常に有意義な視点を与えてくれる。例えば探検家の角幡氏の極限メシのエピソードは、たった一人で、ずっと暗闇の極寒地域での単独横断というものだ。なぜ、好き好んでこんな極限状況の場所に行くのか、理解出来なくはないが、真似したいとは、思えない。

このエピソードからはこれから更に孤食が進み、ずっと1人でご飯を食べなければいけない少なくない個人にとって、せめて内面ぐらいは、豊かにしようと思って、一口、一口の意味を考えるきっかけになるかもしれない。

飢えや寒さを感じないで、誰かと、ご飯を食べれることは、かなり幸せだということが、氏の話しから、よくわかるのではないか。

そして、漂流27日後に奇跡的に生還した佐野氏のエピソードからは、備えあれば憂いなしという、当たり前の対策術が、現代人には出来ていないんだなとわかる。もし何か起こったら、どうしようではなく、起こる可能性を吟味し、生き残る上で何が必要かを帰納的に考える視点である。

氏は、運悪く極限状態に置かれてしまった。それも、極限度は、ほぼ死と隣りあわせである。ここで、記述できないほどの内容と表現だ。

だから、万全の準備をしなくちゃ、やはり対策、対策だよと、安易な思考法に陥ってしまうが、氏のエピソードからは、仮に準備をしても、それが生き残ることに繋がるか、わからない。結果として、一ヶ月近く、ほぼ何も食わず、飲まずで生き残ったいう事実があるからだ。

この著作の極限メシのエピソードは、
どれも非日常から始まっている。
日常からの延長線では、繋がっていない。
朝飯、昼飯、極限メシとはならない。

ただ、誰しもが、極限メシの状況に陥ることはある。それは、災害がきっかけかもしれないし、
ふとした出来事が、極限状況を作るかもしれない。

それは、成功者という方の伝記や話しを見聞きすれば、よくわかる。どの偉人も極限状態を経験している。ちなみに長征に参加した10万ほどの解放軍は、1万2500キロ、山手線約300周を完了後、生き残りは、僅か1000人ほど、生き残る確率は、1000分の1だ。この中から、後にいい意味でも、悪い意味でも、世界中に影響を与える人物が、わんさか出てきた。

私は個人に「革命メシ」を研究していたことがある。具体的には、新中国を建設する上で歴史的にもっとも過酷とされた長征(1934〜36年)時に、人民解放軍は何を食べていたかというものである。詳細は述べないが、人間は極限状態で何を食べたのかを知ることは、非常に価値あることだと思う。
それは、その時の強烈や経験が、後に魔法のように効果を示すからだ。

さて、レビューしようと思う。
「極限メシ」である。

レビュー投稿日
2019年12月11日
読了日
2019年12月11日
本棚登録日
2019年12月11日
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