私たちはいつ「妖し(あやし)」への親しみを忘れてしまったのだろう?
「大人になったら」と言うのは簡単であるけれど、それはいったいいつからのことだろう?
遠藤由美子さんの『うつせみ屋奇譚』を知ったのは、Twitterでのことだった。たしか柳田國男のことをつぶやいたり探したりしていたら、偶然巡り合ったのではなかったろうか。正直なところ、あまりよく覚えていない。
ただ、その本の表紙に映る狐の可愛いことに惹かれたのをよく覚えている。こちらに誘いかけるような目を向ける狐に魅了されてついアマゾンの購入ボタンをクリックしたのは、もしかすると鈴(主人公)と同じような体験だったのかもしれない。
子どもにしか見えないものがある、という設定はよくある。ジブリがその代表だろう。アイルランドの妖精神話にもいくらかの同例がみられる。そして数多くの愛すべき「妖怪奇譚」が日本には満ち溢れている。そんな日本に魅了されたのが、ラフカディオ・ハーンであった。
僕たちは「物語」の読み解き方(小説の読み方)をまだ知らない頃には、そうした妖しい美しさに直接ふれて体感することができたのだろう。今となってはもう、妖しはフィクションの中に遠ざかってしまった。
そう考えると人生とは寂しいものであるが、『うつせみ屋奇譚』のような小説があれば、そんな生き方にも潤いが与えられる。怖さの克服は、鈴の日常にも非日常にも潜みながら、彼女を脅かしまた強くしてくれた。もちろん、白い狐もそれに一役…二役三役と買うことになる。
私がプロデュースする図書館「ぶん文Bun」には、「日本人の心」という妖しを扱う棚がある。梅原猛や網野善彦といった難しげな本や、『鬼学』などのとっつきにくい本が並んではいるが…この『うつせみ屋奇譚』もそこに加わってくれれば、今後はより多くの大人たちに「妖し」のゆらめく美しさを思い出させることができるかもしれない。
さっそく、図書館のほうで二冊目を購入しようと思う。
- 感想投稿日 : 2021年4月20日
- 読了日 : 2021年4月20日
- 本棚登録日 : 2021年4月20日
みんなの感想をみる