サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

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本棚登録 : 3423
レビュー : 298
制作 : 柴田裕之 
コノハさん イスラエルの作家   読み終わった 

 人類の歴史を、認知革命・農業革命・科学革命という3つのパラダイムシフトで語る。
 終盤の勢いが物凄い。ディストピアモノを過去のものにするSFであり、沢山の要素を緻密に重ね上げたミステリのようでもある。サピエンス(現生人類の意)「全史」というのは嘘ではなく、人類の終焉(滅亡ではない)までしっかりと積み上げられている、すごい本。まるで歴史を一度バラバラにほぐし、新たな視点から組み直したかのような読み心地だった。

 まず、認知革命。現実に物理的に存在しないもの「虚構」を想像することができたことで、集団の数の制約や記憶の制約から解き放たれたという解釈が面白い。
 次に、農業革命。農業により狩猟採集の時代に比べ人の動きは制約され、階級化も進み、人は農業に縛られることになったとのこと。かえって不幸になったのかもね、という解釈。
 そして科学革命。「自分たちは全てを知っているわけではない」という視点は、科学の発展は自分たちに新しい力を与えるという発想……進歩の発想に繋がり、帝国・資本主義と結びつき、世界の一体化を推し進めた。

 ここまで書いてきて、作者はこれらの歴史に対し、「では、私たちは以前より幸せになっただろうか?」という問いを投げかける。便利なものが増えて色々と楽ができるようになっても、その分やることが増えて結局忙しい、というのは、誰もが肌で感じている矛盾だろう。
 また、最終章ではホモ・サピエンスという生物自体が次なる高みに上り詰めんとする様子までが描かれており、この終盤の説得力を増すためにここまでの長い物語があったのではないかと思わせるほどに説得力がある。まるで、方々に散らばっていた世界が資本を中心に据えたバベルの塔を築き上げ、ついに自身が神になろうとしているかのよう。



以下、自分用の覚書。
12章:普遍的秩序をつくるもの 宗教
 宗教とは、「超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度」と定義できる。この定義によると、自由主義とか共産主義とか、そういったものも宗教として扱うことができる。
 この章では、ホモ・サピエンスが独特で申請な性質を持っている「人間至上主義」を宗教と考え、「自由主義的」「社会主義的」「進化論的」人間至上主義について解説する。「自由主義的」人間至上主義にはキリスト教の影響を多分に受けているが、生命科学の研究の進歩によりその考えの屋台骨を失いつつある。一方、進化論的人間至上主義はナチスにより信奉され、戦後否定されたが、生物学的研究の進歩は、この考えを後押しする結果にならないとも限らない。
14章:無知という力
 近代科学は、従来の伝統的な知識と比べ、「私たちがすべてを知っているわけではない」という前提がある。従来は、世界について重要な事柄は全部知られているという主張だった。知らないことはもっと賢い人(聖職者)に尋ねればよく、聖職者がわざわざ教えないことは、知ってもしょうがないってことになった。
 バベルの塔に代表されるような、人間の限界を超えようとする営みは無駄だよ的な話や、死を必然と捉え死後の世界について考える話は廃れ、進歩主義、究極的には不死の夢を見るまでに至った。
 ただ、近代科学により宗教という枠組みが揺らぎ、社会のまとまりを保てなくなるかというとそうでもない。科学の研究性を正当化し、資金を獲得するには、結局イデオロギーや宗教の信念に依らなければならない。人間の活動を超えた優れた倫理観あるいは精神的次元で行われる営みなどではなく、第3部で語られた人類統一の3要素である経済・政治・宗教に従属せざるを得ない。
 化学は自らの優先順位を設定できず、自ら発見した物事を如何とするかも決定する力を有しない。(人間が月に行けたのは、アメリカとソ連がケンカしていたからだ、みたいな感じだろうか)
研究を通じて新しい力を獲得することができると信じるに至った経緯とは。近代科学の性質。
 
15・16章は科学とヨーロッパの諸帝国と資本主義経済との同盟関係の形成について。
15章:近代科学を推し進めたもの 帝国
 世界の権力の中心がアジアからヨーロッパに移ったのは、18世紀になってからであり、これには知らないものを探求するという(14章参照。)近代科学の発想が、親和・司法組織・社会政治的構造から育まれたからだ。古代の地図が空白なくびっちり埋められていたのとは対照的に、大航海時代にアメリカ大陸を描いた地図に、その西岸側が白紙だったように、過去の伝統よりも現在の監察結果を重視し、征服欲を強めた。
 また、帝国は被支配民の効果的統治のため、その被支配民の言語や文化を知る必要があると考え、科学を必要とした。
 さらに、科学的に進んでいる帝国が諸民族に「進歩」の恩恵を与えているというイデオロギーも、搾取の大義名分となった。こうして振るわれた絶大な権力は、被支配者を大きく変えてしまい、もはや善悪で語ることは難しい。
 生物学・人類学の分野では、ヨーロッパ人がどの人種よりも優れているという理論も構築され、アーリア人種論に繋がった。現代では人種の生物学的相違はとるに足らないものだと考えられているが、新たに「文化主義」とでも呼べるような考えが台頭している。これによれば、人間集団間の相違は人種ではなく文化間の歴史的相違にあると考えられ、移民排斥等の論拠としても使われている。

16章:近代科学を推し進めたもの 資本主義
 14章にあるように、近代科学によりもたらされた「進歩」という考えは、自分の利益を増やしたい問い願う人間の利己的な衝動が全体の豊かさの基本になるというアダム・スミスの主張に繋がった。
 従来は富は世界でゼロサム的なものであり、将来が現在より良くなるという発想がなかった。よって、富を蓄えるという行為はすなわち周囲からの搾取であり、罪悪とさえされた。
 しかし、進歩、すなわち将来がよくなるという明るい予想は「信用」を生み出し、投資→生産→生産→投資というサイクルが成立した。
 こうして資本主義が生まれたが、アヘン戦争に代表されるように戦争を引き起こす可能性や、資本主義者による独占やカルテルにより、利益やその分配は公正なものになるとは限らない。
 また、奴隷貿易もこの市場の原理により生み出されたものであり、人種差別的イデオロギーが存在しないにも関わらず(現代の価値に照らせば)非人道的な行為が罷り通る恐れもある。
 そして何よりも、信用が価値を生み出し続けるシステムには、その経済のパイが大きくなり続けるという大前提がある。これに必要な原材料及びエネルギーは、今後どうなってゆくのかを、17章で語る。

17章:資本主義の加速、供給過多の時代
 前章で指摘された、資本主義の屋台骨を支える「原材料」と「エネルギー」だが、資本の注ぎ込まれた研究により科学技術は進歩し、新たなエネルギーが発明され続けた。原材料も同様である。
 産業革命で得られた安価で豊富なエネルギー・原材料は、生産性を爆発的に増加させ、まず農業の生産性が向上し、農業に従事していた人間の多くが第二次第三次産業に移り、多種多様な品物を生み出した。
 供給はついに需要を追い越し、「消費主義」とでも呼べるような、倹約をよしとしない価値観が生み出された。しかし、利益は浪費せず再投資しなければ資本主義は成り立たない。ここで生まれたのがエリート層と大衆の分業である。エリート層は無駄遣いをせずしっかり資産や投資を管理する。大衆は射幸心を煽られるままに必要もない商品を買って満足した気持ちになる。大衆が欲望のまま好き放題にすることがシステムを回すという点は、従来の宗教が難しい倫理体系を求めるのに比して、革新的な宗教といえる。その先に楽園があるという前提に立てばの話だが。
18章:国家・市場経済によるコミュニティの変化と世界平和の可能性
 近代以前まで一貫して集団をまとめていた「家族とコミュニティ」は、国家に取って代わられた。教師や医師等を抱える余剰のなかった農耕経済から、近代化による余剰の増幅により、国家や市場は強大化し、警察・裁判所等の積極的介入を行った。もちろん、昔ながらのコミュニティを望む声もあったが、個人主義の台頭は、この声をも小さくしたと言える。
 家族等による親密なコミュニティ喪失の穴を埋めるのは、17章の消費主義、国民主義という想像上のコミュニティ。さらには消費主義は国民という枠組みさえも過去のものにしつつある。
 戦争はハイリスクローリターンなものになり(パックス・アトミカ)、核の脅威→平和主義→交易活発化→平和希求というスパイラルが形成される。
 ただし、これは先の大戦から何十年も経った今だからこそ言える考えであり、その大戦を生み出したのも近代である。天国に進むか地獄に進むかは、分からない。
19章:幸福を軸に歴史を考える
 ここまで歴史を辿ってきて、ではこれらの歴史人類を幸福にしたのかという問いを投げかける。歴史学は、認知革命農業革命科学革命が人間の幸福に及ぼす影響について問うたりはしてこなかった(らしい)。
人の幸福は、主観的厚生(自分がどう感じるか。自己欺瞞や生化学的なものを含め)に決まるとする考え方がある。これは個人を重んじる自由主義と親和性が高い。
 一方で、歴史上大半の宗教やイデオロギーは、客観的な尺度があるのではないかと主張してきた。とりわけ仏教ではこの色が濃く、内なる感情は束の間の心の揺らぎに過ぎず、これを絶えず求め続けることが苦しみの根源であり、内なる感情の追求をやめることを教え諭した。
 幸福という視点を欠いた歴史理解は、甚だ不十分なものだといえるのではないか。
20章:生物学的革命によるホモ・サピエンスの終焉
 認知・農業・科学革命の次は、「生物学的革命」が起こるかもしれない。遺伝子操作による生き物の操作や、AIの進歩による非有機的な存在の出現等は、もう遠い未来の話ではない。自らの体や思考にまでメスを加えることで、ホモ・サピエンスは全く別の存在になるのかもしれない。現実の問題に立脚したSFはごまんとあるが、思考にメスを加えたら、そうしたSFは全て過去のものになってしまうのだろうか。
 こうした技術には倫理的側面から批判が加えられるが、例えば人命の為だなどという人間至上主義に基づいた動機付けをされたら、止める術はなくなってしまう。
 私たちにできることは、そうした化学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。「私たちは何にならいたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」が、私たちが直面する真の疑問なのかもしれない。

レビュー投稿日
2019年3月12日
読了日
2019年3月9日
本棚登録日
2019年3月4日
1
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