日本古典文学の詩学では、中核的役割に掛詞、しゃれ、語呂合わせが多いのに対して、西洋の修辞法の伝統では隠喩、比喩であり、しゃれは下品なウィットやユーモアとして軽んじられているという川本皓嗣氏の説明は、どこからその違いが発生しているのか、興味深いです。素性法師「音にのみきくの白露夜はおきて昼は思ひにあへず消ぬべし」が、日本の掛詞の代表的作品として紹介されています。稲賀繁美氏の「枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮」(芭蕉)について烏が一羽か複数か、暮れは晩秋なのか、秋の夕方なのかが不明だと翻訳者で話題になるというが、どちらでも解釈できるところが日本文学の良い点なのかとも思いました。上垣外先生の沖縄民謡とアルカーデルトのアヴェマリアの対比は実にユニークでした。
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カテゴリ:
日本文化・比較文化
- 感想投稿日 : 2013年8月15日
- 読了日 : 2012年10月15日
- 本棚登録日 : 2013年8月15日
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