虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

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レビュー : 1547
著者 :
くらげさん 小説:作者あ行   読み終わった 

「この豚を殺したのは、間違いなく俺なんだけどさ」
そう言いながら、蛹は皿の上のソーセージにフォークを突き立てた。
半分ほど囓り、口の中で玩ぶ。多分、食欲がないのだろう。目の前の問題から逃避するために、面倒くさいことを言い出す。いつものことだ。
フォークに残されたもう半分を指さし、僕は言う。
「そのソーセージを僕が食べたら、その豚は誰が殺したことになるんだろう?」
蛹は口の中の肉片を飲み下し、答える。
「俺が食べた分は、俺が殺したんだ。先生が食べた分は、先生が殺した。当たり前だと思うけど」
そう、と僕は適当に頷く。
うん、と蛹も適当に頷く。
他愛ない、いつもの世間話だ。

それはともかく。
「虐殺器官なんてものがあるとして」
蛹は、傍らに置いてある本に、ちらりと目をやる。先ほど読み終えたばかりらしい。
「あるとして?」
僕は聞き返す。
「どうだろう、と思って」
いきなり丸投げされた。
仕方ない、考えよう。
「……平和を模索するしかないんじゃないのかな。僕はあまり死にたくないし」
僕は、思うままを述べる。
「僕らに備わっている虐殺器官が、どういう形で僕らを動かすのかは分からないけれど……どうあっても身近な人と殺し合うような状況になるというならば、生きる目的も揺らぐのかもしれないしね。そして、そういう状況になるまで、理性は現実を理解できないのかもしれない」
「実際に死体を目の前にしなければ、現実感がないのかもしれないってこと? 何が見たいんだろうね。頭を吹き飛ばされた死体とか、腹から捲き散らかされた小腸とか、そういうものを見なければ、死を想像することもできないのかな」
そんな話をしながら腸詰めを食べるというのは、どう考えても狂っているんじゃないかな、などと思いながら、僕はフレンチトーストに生クリームを塗りたくって、口に放り込む。
もっとも、僕が言う「正常」とか「狂っている」とかいう基準は、その言動が第三者に有益か不利益かという程度のものでしかない。前者の方が円滑に社会生活を営むことができるのは明白で、だからこそ、患者をそちらに誘導するのも僕の仕事だった。
ちなみに、世の中には円滑な社会生活というものに全く興味がないというタイプの患者がいて、それが目の前でロイホの朝メニューを食べている青年だ。11時ギリギリに、ソーセージとスクランブルエッグとトーストのプレートを注文し、しかも本人は昼食のつもりなのだ。
ちなみに、便乗してフレンチトーストを注文したのは僕だけど、それは甘いものを口にしないと目が覚めないからで、つまり僕にとっては朝食だということ。朝食をとる人間と昼食を食べる人間が同席するために、時空を越える必要はない。

さて。
「僕らの世界では、死はまだ近くにあるよ」
僕は拙い抵抗をする。医者として、あるいは人としての、最低限の抵抗を。
「そこら中の病院で、毎日誰かの家族が死んでいる。場合によっては、延命治療をするかどうか、判断を求められる場合もある。ちゃんと、残酷な世界だよ。心配はいらない」
「そう?」
「そうだよ」
ちなみに蛹は先ほどから、フォークでスクランブルエッグを掬っては、僕の皿に乗せている。
「どうだろうね」
フォークをペロリと舐め、静かに笑いながら、蛹は言う。
「ねえ、生きているものが死ぬことを、どれだけ遠ざけるのかが、社会というものじゃないのかな。そういう世界では、屠殺も虐殺も同じなんだ。同じくらい遠くのものなんだよ、先生」
「屠殺と虐殺は違うよ」
僕は言う。
「そうかなあ。同じだと思うけれど」
蛹は言う。
僕は反論の言葉を探す。けれども蛹が口を開く方が、早かった。
「少なくとも、殺される方にとっては同じだよ。死は死だから。殺す方にとっても同じだ。殺すことに意味があるから殺す」
僕は、どうにも納得できないという顔をしてみせる。蛹が悲しそうな顔をしたのを、僕は見逃さない。
「先生が言いたいことは分かるよ。すごく。みんな、そうやって逃げてきたんだ」
「殺す理由を仕分けしてあれこれ言うのは、いつだって外側にいる人間だってことなら、うん、そうかもしれない。自分は外側にいると思っている人間。お前が大嫌いな人間だね」
それはそれとして今日は平日で、僕はいい加減クリニックを開けないといけないし、今日最初の予約患者といつまでもファミレスでだらだらしているわけにもいかない。
「コーヒー」
そう言ってカップを差し出す蛹には、せめて僕に対してだけは、多少の社会性を身に付けてほしいと思わないこともなかった。

「ところでこの本、映画化って、冒頭のシーンどうするのかな?」
僕は気になったことを口に出してみる。
「え、普通にやればいいんじゃない? どうせ最初にテロップだすんだろ。この作品には残虐な表現がどうこうってさ」
「いや、さすがに色々無理じゃないかなあ……」
脳漿はともかく、腸はね。

レビュー投稿日
2014年7月6日
読了日
2014年7月5日
本棚登録日
2014年7月4日
4
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