加藤周一――二十世紀を問う (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店 (2013年4月20日発売)
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感想 : 12
4

加藤周一論は、私のライフワークのひとつです。著者の海老坂武氏はかつて「戦後思想の模索」(1981みすず書房)でおそらく初めて加藤周一論を上梓した人です。そういう意味では、注目して読んだ本でした。

最初の数章は簡単な評伝という感じになっていてガッカリした。あまり期待せずに読んだ。前半は文句ばかりつけていた。瞠目したのは、第六章から。特に「日本文化における時間と空間」に関して丸山真男の古層論との微妙な、しかしだからこそ非常に重要な違いを述べている処に注目した。海老坂氏は2人の評論本を上梓している。著者ならではの「指摘」だったと思う。

特に以下の処。
「加藤にとって主旋律とは変容したあとの結果なのだが、丸山にとっては変容する以前の外国思想そのものなのだ」
「分析対象の違いであり、分析の視点の違いである。丸山の対象は中国の史書と日本の史書である。そして語義の解釈、とりわけ漢字の使い方、また漢文が和文に読みくだされていくときの意味のズレに注目する。そして引き出してきたのが「つぎつぎになりゆくいきおひ」という古層であった。他方、加藤は広く文学を素材とし、また美術作品も重要な素材である。言語作品だけに話を限っても、加藤が単語の語義を問題とすることは稀である。彼が目を留めるのは語順であり、時制であり、語り口であり、文章構成である。」

また、これら両者の「方法等の差異」から「丸山には「空間意識」の分析がない」と指摘する。さらには、異なる「始原」の解釈があり、「いま」の理解の仕方にも違いがあると指摘する。

この指摘は重要であり、私は慎重に検討するべきだと思う。なぜならば、と海老坂氏は言う。
「日本の古層」或いは「土着思想」の解明は、加藤周一も丸山真男も「日本人の精神の変革は可能か」或いは「内から外へ、現在から未来へ、特殊から普遍へ向かう精神の開国は可能か」を問うためのものだったはずだからである。

しかし(この著者の「問いの立て方」自体検討しなくてはならないとは思うが)その結論自体を著者は数行で済ませており、私は納得いかなかった。

また第七章において、「観察する人」(この表現にも異論はある)だった加藤周一がなぜ、「書く人から語る人へ」さらには「9条の会」への参画へと変わっていったかについて書いている。この加藤周一評価に対しても、私はもっと「積極的な」変容があったと観ており、異論がある処ではあるが、その中身はいつか書きたいと思っている加藤周一論に譲りたい。

全面的に肯定出来る本ではなかったが、いろいろ刺激のある本だった。

2013年6月4日読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: か行 ノンフィクション
感想投稿日 : 2013年6月12日
読了日 : 2013年6月12日
本棚登録日 : 2013年6月12日

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