政治家はなぜ「粛々」を好むのか―漢字の擬態語あれこれ (新潮選書)

3.75
  • (2)
  • (3)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 33
レビュー : 5
著者 :
kuma0504さん さ行 ノンフィクション   読み終わった 

・不信任決議案が提出されても粛々と否決する。
・開催にむけて粛々と手続きを進める。
このように使われる「粛々」についてプロローグで指摘しておいたことは、大きく分ければ二つある。一つは、最近20年ほどの間に使用頻度が急上昇してきた言葉である、ということ。しかも、ナントカ長官とかナントカ理事長などといった肩書きを持つ、広い意味での「政治家」たちが好んで用いる言葉でもある。
もう一つは、「粛」には「おごそかに」という意味があるので「粛々」もその強調表現のように思われがちだが、実際には「慌てずさわがず」という意味で使われることが多い、ということ。「おごそかに」が、儀式か何かを「日常とは違った特別な雰囲気で」行うことだとすれば、政治家のみなさんが好む「粛々」は、むしろ「日常のやりとりとは変わらずに」というニュアンスが強いのである。(195p)

このあと、著者は頼山陽の漢詩の中の「鞭声粛々」で有名になったこの言葉は、擬音語由来の「漢字の擬態語」の典型例だという。この限りでは「しずしずと」という意味になる。しかし、あまりにも有名になったので、組織のリーダーが好んで使い「ある組織なり集団が、秩序を保ってあることを遂行していく」言葉として「生まれ変わった」と指摘する。(203p)

ある組織が、秩序を保ってあることを遂行していく。その必要性を最も痛感する人物は、だれだろうか。それは、組織のトップであろう。秩序を保っていけるかどうかは、彼なり彼女なりのリーダーシップにかかっているのだから。そして、その必要性を最も痛感する場面はといえば、それは苦境にあるときに違いない。批判にさらされ、へたをすればその組織が空中分解しかねない状況でこそ、リーダーシップが必要とされるのだから。かくして、「粛々」は苦境にある「政治家」たちがよく使うことばとなっていく。(204p)

この本の目的は、漢字の擬音語(日本語でいう「雨がしとしとと降る」のあれ)が変遷して擬態語になることを述べることである。しかし、私の関心はそこではない。いうまでもなく、先の菅官房長官と翁長沖縄県知事との会談で翁長県知事が「上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないのかと思っている」と言ったことについてひと考察したかったからである。

ネットウヨからは「粛々はおごそかにという意味だから、県知事の発言は的外れ」という指摘がけっこうあるらしい。それがいかに「的外れ」な意見かは、この長々と引用した文章を読んでいただければよーくわかると思う。

では、「粛々」は「上から目線」なのか。この著者は「政治家が苦境にあって」使っているのだという。実際、官房長官は翁長県知事の言葉は心底意外だったようだ。お坊ちゃん首相は心底怒っていた。そして、上から目線の言葉に必然的になった。私は「苦境にあって」いるからこそ、「上から目線で」使っていたのだと思う。そういう言葉の使い方は、私たちは中学・高校生時代を通じて何度かは経験する。先生に正しい「指摘」をした時である。「今はそんなことを言うべき時じゃないだろ」「私はお前たちのためを思って言っているんだぞ」「もっと広い視野で考えろ」。それは1人の学生よりも1人の先生の方が立場は強いから言えた言葉である。他の言葉で言えば、「自分の立場を優先し、学生のことを思いやらないで使う言葉」だった。翁長県知事の「指摘」は、「粛々」の使い方の新たな定義を提出したという意味で画期的だっただろう。

かくして「粛々」は、苦境にある「政治家」たちが、「ある組織が、秩序を保ってあることを遂行していく」という意味で、上から目線で使う言葉である。
2015年4月19日読了

レビュー投稿日
2015年4月23日
読了日
2015年4月23日
本棚登録日
2015年4月23日
0
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『政治家はなぜ「粛々」を好むのか―漢字の擬...』のレビューをもっとみる

『政治家はなぜ「粛々」を好むのか―漢字の擬態語あれこれ (新潮選書)』のレビューへのコメント

まだコメントはありません。

コメントをする場合は、ログインしてください。
ツイートする