われは熊楠

  • 文藝春秋 (2024年5月15日発売)
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南方熊楠(みなみかたくまぐす)。明治が始まった時に一歳だから、明治の年代を数えると、その歳がわかる。もっとも、昭和16年まで生きていたというのも意外な感がある。もうひとつ意外だったのは、南方熊楠が完全本名だったことである。武家の名でもなく一介の商人家の次男坊だ。小説でも、何故その名前になったのか明確な経緯は明かされなかった。一度聞いたら忘れない。世界で唯一無二の名前。

初めての本格的な熊楠の小説である。様々な切り口が可能なのが熊楠である。岩井さんは、異能熊楠でもなく、奇人熊楠でもなく、人間熊楠を描いた。

幼少から博覧強記、抜き書きの集中力、あらゆる言語を使う記憶力、粘菌から苔・地衣類まで陰性植物の第一人者で昭和天皇に進講をした唯一の在野の研究者、神社合祀反対運動の先頭に立った初のエコロジーの提唱者、男色研究、民俗研究、等々の博物学的学者という「異能人」。

幼少から頭の中に数人の意見者を飼い、てんかんの持病があり時々爆発的な癇癪持ち、人に合わせることは自他ともに無理だと認める「奇人」。

という面も当然描いてはいるが、小説として描かれたのは「家族」の関係だった。常に実家からの援助なしでは生活していけなかったひとりの発達障害気味の「人間」、父親には「南方」の名前を世間に広めるから学資を出せと説得し、弟・常楠の「兄は天狗」観をいいことに老年まで援助を請い続け、遂にはゴッホのテオのような関係になることなく勘当させられた生活破綻「人間」、親バカで変な期待を子供・熊弥にかけたばかりに、息子を精神病患者にしてしまったことを生涯悔いていた「父親」としての熊楠を描いている。

まだまだ熊楠曼荼羅としての小説は作れそうだ、というのが最終的な感想である。私としては、この小説ではほとんど出てこなかった民俗学的な面からのアプローチも見てみたい。


読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: わん行 フィクション
感想投稿日 : 2024年6月23日
読了日 : 2024年8月26日
本棚登録日 : 2024年6月23日

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コメント 2件

土瓶さんのコメント
2024/06/23

特異なコレクターてしての印象しかありませんでしたが、なかなか奥行きが深そうな人ですね。

kuma0504さんのコメント
2024/06/23

土瓶さん、
その特異なコレクションが凄くて奥行きがあるのです。一度熊楠記念館に行ったのですが、ともかく「抜書き」の細かいこと!それプラス、標本コレクション。それプラス膨大な書簡。
いわゆるコレクションが積もって、奥が見えなくなるのが、普通の人間ならば、どうも熊楠は抜書きすれば全部頭に入るらしい。もしかしたら、書簡はそこから第一次原稿にしたもので、さまざまな論文はその上澄なのかもしれません。

熊楠の知識のアーカイブ化はどのように行われていたのか?もしかして、それだけで一本の論文ができるかもしれない。

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