『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』を読み始めて、その前にこの本を手に取った。
「おいしい生活」は、コピーの見本のように言われていたし、「ほぼ日」には夢中になった時期もあった。手帳を買ったり、メルマガに投稿したりもしていた。その糸井重里ができるまでの布石というか、あらまし、そして2018年当時の近況が書かれている。
私自身のほぼ日離れは手帳離れととともに訪れたけれど、こう考えればいいのか、とかこう思っているからああなったのか、と思えることが書かれていて興味深い
古賀さんの書きっぷりを知りたくて読んだけれど、糸井重里さんのあらましがよくわかりました。って感じ。たぶんそれが本望だろうし、正しき読み方なんだろうけれど。
p52
自分なりにそのカラーテレビについて勉強して、電気代がポイントなんだと理解して、なんとかそれを伝えようと、考えたふりをして。やっぱり「考えたふり」がいちばんよくないですよ。
発見というのは「書けたら、わかる」ものなんです。~なにかのコピーができあがったときにようやく「あっ、書けた!」とわかる。くもりがとれるような感覚がある。~いいコピーが出ていないうちには、「まだ書けていない」ということだけが、わかっている。
p54
(黒須田先生の代講で養成講座の講師をしたとき、「話すことがなくなったらどうしたらいいんですか?」と問う糸井に)
「ずっと黙って立っていればいいんだよ。生徒との我慢くらべだ。~黙ってしのげば、そのうち時間がきて終わるから」
~じたばたしてもしょうがない場面はいっぱいある。「しのげ」で乗り切るしかないことはたくさんある。
p147
「きみのほんとうに大切だと思う3人のひとが、きみを信じてくれているならば、それ以上のことはいらないよ」
p162
(ほぼ日の行動指針は、「やさしく、つよく、おもしろく」)
震災をきっかけに学んだのは、「つよさ」がどれだけ大切かということ。誰かの力になりたいと思ったとき、それを支えるのは自分自身の「つよさ」なんです。それは経済的な「つよさ」でもあるし、実行力という意味での「つよさ」でもある。~おとなのぼくたちは、ちゃんとした「つよさ」を持って物事に臨まないといけない。
- 感想投稿日 : 2021年4月18日
- 読了日 : 2021年4月17日
- 本棚登録日 : 2021年4月18日
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