凍りのくじら (講談社文庫)

4.03
  • (1630)
  • (1748)
  • (1071)
  • (165)
  • (34)
本棚登録 : 12980
レビュー : 1581
著者 :
kwosaさん ミステリ(国内)   読み終わった 

なぜ、自分はこの世に生まれてきたのだろうか。

高校生の芦沢理帆子は尊敬する漫画家、藤子・F・不二雄先生の創作姿勢

SF。Sukoshi Fushigi(少し・不思議)

に、なぞらえて周囲の人間たちを「スコシ・ナントカ」で分類している。
どこのグループにも所属でき、どんな場所や友達にも対応可。
しかし心から他人とふれあうことはなく、自分自身を(少し・不在)と捉えている理帆子。
そんな理帆子に昔の自分を重ねながら読んだ僕は(少し・不健全)だろう。

生まれて初めて買った漫画は『ドラえもん』の5巻か8巻だったと思う。
収録作品は覚えていないが、巻末に「ひみつ道具図鑑」が載っていて、それが目当てだった。
小学校一年生のとき、母親に児童書を買うという名目で初めて小遣いをねだり本屋へ向かったが、目的の物が品切れで出来心で漫画を買ってしまった。
後ろめたさもあり机の下に隠していたが、それが母に見つかり尋常じゃないくらい怒られた。

欲しいひみつ道具は特になかった。
僕はタイムマシンそのものよりも、そこにつながる机の引き出しに魅力を感じていた。
「コーヤコーヤ星」に通じる畳の裏側や、単純に、ドラえもんが眠る押し入れの二段目に入りたかった。
「どこでもドア」ではダメだった。
現実に連なるどこかではない、ここではない夢の世界に行きたかった。

(少し・不機嫌)な母と(少し・浮遊)な父は、おそらくその頃から(少し・不仲)で、僕らは(少し・フェイク)な家族だった。

親の不仲や家族の断絶で、子供は自分の存在意義の危機に直面する。
具体的に言語化できなくても、あるいはそうであると意識できなくても、深層心理で確実に感じるはずだ。

なぜ、自分はこの世に生まれてきたのだろうか。

(少し・不健全)な僕は、理帆子の「元カレ」若尾大紀にも少し気持ちが入ってしまった。
理帆子に藤子先生がいたように、若尾にも『ドラえもん』がいてくれたら良かったのに。
楽しい空想の世界に逃げ込めた僕は幸せだった。
もし自分に『ドラえもん』がいなかったらと考えると、ぞっとする。

美也のような存在に憧れる。

一年に一度あるかないかくらいの飲み会で出会った、ひとつ年上の兄貴分がいる。
何事にもまっすぐで、大いに笑い、大いに怒り、大いに泣く。
いうなれば「きれいなジャイアン」だ。
ある時、僕は酔いにまかせてこう言った。
「◯◯さんと僕は全然タイプが違う。うらやましいですよ。◯◯さんと友達になれたらなぁ」
そうしたら彼は何のてらいもなくこう言った。
「あれ、俺たち友達だろ?」

友達の定義についてあれこれ考え「自分には本当の友達はいない」と思っていた人間には、かなりの衝撃だった。
こういう人にはやっぱりかなわない。
僕が結婚する際には、友人知人をかき集め店を貸し切り、盛大なパーティーまで開いてもらった。
みんなの前で一発芸をムチャぶりされ、もぞもぞやっていたら「なにやってんだ」と回し蹴りを喰らった。
あとで「ちょっと盛り上げようと思っただけだから、ゴメンな」と謝られた。
ジャイアンだった。

『ドラえもん』で一番好きなエピソードは、昔から変わらず『のび太の結婚前夜』だ。
この話を読んだり観たりするだけで目頭が熱くなる。
未来の高層ビル群の狭間に残る「剛田雑貨店」の二階で酒を酌み交わす悪友たちの友情がいい。
ちゃんと出来杉君がいるのもいい。
そして、なんといっても普段は影の薄いしずかちゃんのパパが、娘に語りかける言葉にぐっとくるのだ。

『凍りのくじら』は、父から娘へと「光」が受け継がれる物語でもあった。
芦沢理帆子が浴びた光と同じものを、僕もいつの間にかいろんな人から照射され、いまここに存在している。

この本は、もうすぐ三歳になる娘が昼寝をしている横で読み終えた。
あどけなく、少し、いや「Sugoku・Fairy」な顔で寝息をたてているのを眺めていると、幼い頃から抱いていたあの疑問の答えを垣間見た気がした。

レビュー投稿日
2013年5月18日
読了日
2013年5月17日
本棚登録日
2013年5月17日
31
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『凍りのくじら (講談社文庫)』のレビューをもっとみる

『凍りのくじら (講談社文庫)』のレビューへのコメント

アセロラさん (2013年5月18日)

kwosaさん、こんにちは(^-^*)/

いつもいつも、kwosaさんのレビューは、とっても素敵なんですが…、今回は特に素敵でした。
結婚式のお話も温かくて。

やっぱり物語は、特に子供にとっては、大切なモノなんですね。

まろんさん (2013年5月18日)

kwosaさん!

なんだかもう、『凍りのくじら』を読んでいてもいなくても、読む気があってもなくても
読む人すべての心を温かく照らすテキオー灯みたいな素敵な読み物になっていて感動しました。

私も(少し・フェイク)な家族の中にいて、ここではないどこかを夢見て
本や音楽に救われてきたので、私には(少しも・不健全には思えない)kwosaさんが
同じような思いを抱えて育ってきたと知ることができて、勝手にうれしくなっています。

このレビュー、ぜひ「きれいなジャイアン」さんや、
20年後もきっと「Sugoku・Fairy」な娘さんに読んでもらって
その様子を柱の陰からこっそり見ていたいなぁ、なんて思ったりして。

いつも(少し・ふるえてる)こどもだった私は、いつしか(少し・ふわふわした)ママになりましたが
kwosaさんは、このレビューにも溢れている温かい光で娘さんを照らし続けて
きっとすばらしい女性に育て上げるんだろうなぁ、と思います(*'-')フフ♪

nico314さん (2013年5月18日)

kwosaさん、こんにちは!

>こういう人にはやっぱりかなわない。

そうなんですよね。ふだんとても仲良くしている友人に対して、
ふと感じることがあります。
大好きで、憧れも混じり、時に自分がまだまだ小さく思えてしまうような・・。

>あどけなく、少し、いや「Sugoku・Fairy」な顔で寝息をたてているのを眺めていると

私の場合、子どもに無条件に愛されて、自分を肯定でき、
あらためて人を愛おしく思う気持ちを素直に持てたような気がしています。

kwosaさん (2013年5月19日)

アセロラさん!

コメントありがとうございます。

結婚式自体は身内でこぢんまりと挙げたのですが、その兄貴分たちは別にパーティーを企画してくれました。
ありがたいことに、たくさんの人々に支えられていることを実感した日でもありました。

『凍りのくじら』も、前に読んだ『スロウハイツの神様』も、子供にとっての物語の重要性に深く関わる物語でした。
辻村深月さんも、それをしみじみ思う多感な少女時代を過ごされたのかもしれませんね。

kwosaさん (2013年5月19日)

まろんさん!

コメントありがとうございます。

最近なかなか本が読めず、感想もとてもひさしぶりに書いたので、なんだか無駄に長く、ちょっと感傷的な文章になってしまいました。
もう、深夜に書いたラブレターですよ。
恥ずかし過ぎて朝日が昇る前に投函してしまいました。
読んでくださってありがとうございます。

本や音楽を始めとする芸術が人を救うということはありえることで、辻村さんも作品のなかで繰り返し語っていますよね。

医学は学問で、医術は人を救う「術(すべ)」であると聞いたことがあります。
手術、剣術、柔術......
「術」と名のつくものは人を生かすためのものであると。
芸術によって生かされた人間には沁みる言葉です。

>いつも(少し・ふるえてる)こどもだった私は、いつしか(少し・ふわふわした)ママになりましたが

まろんさんのレビューからは、いつも溢れんばかりの優しさや愛情が伝わってきますよ。
痛みを知り、人を慮る心が滲んでいます。

僕は、いつもレビューでカッコつけてるようにはなかなか......
子育ては大変です。あはは。

kwosaさん (2013年5月19日)

nico314さん!

コメントありがとうございます。

もう、まわりの人間が眩し過ぎて「俺はまだまだ修行が足りん!」と思うことがままありますよ。

そして nico314さんのおっしゃる通り、子供のおかげで、いまの自分が肯定できますよね。
愛されて素直になれる。
過去のさまざまなことも、すべていまに繋がっていると思えれば、けっして無駄ではありませんよね。

HNGSKさん (2013年5月20日)

あああ、素敵なレビューです。kwosaさんのSugoku・Fairyにはやられました。

kwosaさん (2013年5月20日)

ayakoo80000さん!

コメントありがとうございます。

なんだか感傷的な文章を書いてしまって恥ずかしいです。
でも、もし『凍りのくじら』に興味を持ってくださったなら、ぜひ読んでみてください。

我が家の「妖精」は、目覚めている時はなかなか凶暴で苦労していますよ。

コメントをする場合は、ログインしてください。

『凍りのくじら (講談社文庫)』にkwosaさんがつけたタグ

ツイートする