この本もきっと誰かにとっての「辻村ブランド」になるのだろう。
学校と家庭が世界のほとんどを占める十代前半にとって、この二つに居場所を見いだせなければ、これほどつらいことはない。
そんな時、息苦しい密閉空間に小さな窓を開いて風を通してくれるのが物語の存在だ。
生きるか死ぬかの瀬戸際(比喩ではなく)に、あの本の続きが読みたい、次号の漫画が待ち遠しい、来週のアニメが気になる、やりかけのゲームをクリアしなければ、などが明日へのモチベーションになるというのは決して大袈裟な話ではないことを僕は知っている。
古いかさぶたを剥がされ、むき出しの柔らかい部分をなぞるようなひりひりとした感触。
そのかさぶたを集めて作った甲冑をまとい、血を流しながら行軍する赤羽環。
暗く冷ややかな泉を湛えつつ空を仰ぐ狩野荘太。
封印しながらも大切に抱えていた箱から、ようやく鋏を取り出す長野正義。
はじめからわかっていた森永すみれ。
苦手だと思っていた人々はいつしか気になる存在になり、やがて愛おしくなっている。どうでもいい人ならば最初から心に引っかからない。そういうものだろう。
大人になったいまでは、アクロバティックな綱渡りを繰り返しながらもぎりぎり魂は売っていない(いや悪魔と契約はしているのか?)黒木がかわいく思える。
千代田公輝はずっと格好良かった。
何かを生み出す人(クリエイター)はそれだけで偉い。
感想を言ったり、批評したり、あるいはケチを付けたり、そんな人達よりも圧倒的に偉い。
脳みそを絞り、体を動かし、0を1にする。
それだけで尊敬に値する。
何の意図もなく書いていた物語でも、どこかの誰かの力になっている。もし作者がそれを知り肌で感じた時、その何倍の力を生み出すのだろうか。
その力がリングのように巡って広がっていけばいい。
世界は家と学校の往復だけじゃない。
スタートダッシュは負の感情でもいいから、はやく大気圏を突破して太陽の光をエネルギーに代えてほしい。
僕は誰に向かって言っているのだろうか。
それでも、どこかの誰かに届いてほしい。
(物語はもちろん素晴らしいが、ミステリとしても一級品だと思う。最終章の伏線回収は言うに及ばず、その他さまざまな「正体」を示唆する描写や表現の細かさに、上下巻を読み返してみて驚く。
あと『とっても!ラッキーマン』を急に読みたくなったのは僕だけだろうか。)
- 感想投稿日 : 2013年3月18日
- 読了日 : 2013年3月17日
- 本棚登録日 : 2013年3月17日
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