明治の小説の主人公にどうしてここまで傾倒できるのだろう。
純粋に純文学を読もうと思って、図書館で借りてきました。
タイトルからしてちょっとエロチックな話なんかと期待していたら全然違ってたわ。
明治の小説に心惹かれるのは、やはり主人公が真面目であり時に
真面目すぎることで、恋愛においてはあまりうまくいっていないことだ。
この小説の文三も頭はいいみたいだが、真面目すぎるために
頭が固く女性心をつかめないでいる。
確か夏目漱石の小説もあまり恋愛でうまく言っていないよな。
そこに僕が共感できるんだよね。
僕はどんなにちゃらんぽらんをやっても根がものすごく真面目だから、
なんか本当の自己表現ができないのよね。
真面目すぎるから恋愛でもうまくいくことが少ないしね。
そして大概、昇のような性格の人間が人生ではうまくいく。
僕みたいな人間からすると、人生うまくいかないのって
本当に不公平!っていつも思ってたな。
今は違うけどね。今は自分が真面目だというのを、
心から承認してそして、だから何だって言うんですか?と自問している。
いい意味での諦めかも。でもね、僕はずいぶんと充実しているよ。
そういう変な悩みを手放せば、新たにチャレンジできるもの。
だから僕は真面目でもとびっきり楽しい人生を作れるって思うようになった。
あとこの小説読んでて気になったのは、文三が職を解雇されても居候し続けたこと。
そして自分がどんなに厭に思われていても、
お政に対する「人情」があるから彼女にきっちりお返ししないと
去る事ができないだって。
明治の時代と今の時代で決定的に違うのはこういう事だよね。
本当にお世話になった人に心からの感謝を伝える事はものすごい大事だし、
一方でしてあげる側も本当に奉仕しているよね。
今の時代はそういう人情というのが少なくなってしまったと感じるのは僕だけだろうか?
ぜひ自問して頂きたいと思います。
明治の小説は面白い。だから僕は現代作家ではなく、古典作家の本を読み続けます。
- 感想投稿日 : 2013年8月23日
- 読了日 : 2013年8月23日
- 本棚登録日 : 2013年8月23日
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