職業としての小説家 (Switch library)

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  • スイッチパブリッシング (2015年9月10日発売)
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図書館で借りた。イッキに読んだ。

オレは村上春樹がキライだ。

小説がウソっぽい。
ニセモノっぽい、というか。

そういう意味では、
三島由紀夫もニセモノ。
澁澤龍彦は本物のニセモノ。
金子国義は正真正銘のニセモノ。
『ベル・エキセントリック』の加藤和彦はニセモノ。
佐野元春はニセモノ、である。

いずれも、模造人間だ。

彼らに共通してるのは、ヨーロッパ文明やアメリカ文化に強烈な憧れをもち、日本にいながら「ここではないどこか」に住んでいて、本物の言葉ではなく、ニセモノの言葉で語ること。

そういえば、昔、オレは三島由紀夫が好きだった。
盾の会とかカッコ良いかも、とか思って。
とっくの昔に時代遅れになって、もう誰も読まなくなっていた『文化防衛論』を必死に探し出して読んだり、東大全共闘との対話のテープを熱心に聞いたり、していた。
今から思えば、ホントにアレは下らなかった。

はじめて村上春樹を読んだのは『1973年のピンボール』で、その時は、熱中するくらい好きになった。

『風のうたをきけ』は、そうでもなかったけど。
ラジオのDJが、病気の子に語りかける部分とか、ウルウルして泣けるんだけど、チープなお涙ちょうだいの感じが透けて見えて、つらかった。

ピンボールの話は、それよりもっと軽いから、好き。
とくに、最初に出てくる、大学の建物に立てこもって、クラッシックを聞いてる、金星から来た男の話が、好きだったなあー。
「いつかは、金星に戻るんだ。か、か、か・・・・・革命だ」
というセリフが、とっても良かった。

当時の、時代の雰囲気を、感じた。
この時代、髪を伸ばして、マガジンを読んで、革命ゴッコしてる学生と、村上春樹みたいな、ノンポリの学生が、同じ空間に、別々に生息していた、という。

両者のうち、どちらが、マシだったか?と言われれば、村上春樹の側だよね。
革命ゴッコから離れて、JAZZを聞いたり、外国の小説を読んだり、ビーチボーイズを聞いたり。
その人たちのほうが、まだ、誠実な生き方だった。

だって、革命ゴッコしてた奴らは、大学構内を占領して、たてこもって、立て看板たてたり、授業をボイコットしたり、散々、正義ぶったことばっか言い散らかした挙げ句、ブームが終わったら、さっさと長い髪を切って、フツーに一流企業に就職していったんだからね。
まったくもー信じらんない。

村上春樹に違和感を感じるようになったのは『羊をめぐる冒険』からだ。
ここにはもう下らないファンタジーが表面化していた。

レイモンド・カーヴァーの翻訳は、好きだった。
新しい世界を垣間見せてくれた。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、今でも好き。
村上春樹はキライだが、この小説は、好きだ。

『ノルウェイの森』は、もう読む気もしなかった。
ここから、かなり長い間、村上春樹は全く読んでなかった。
こんなの読むなんて、完全にアウトだと思ってた。

でも、数年前に、あんなに売れたんだから、もしかしたら面白い小説なのかもと思って、『ノルウェイの森』を試しに読んでみたんだけど、吐きそうなくらいキモチ悪かった。
私小説っぽい、っつーの?
異常に気色悪い小説だよね。
こういうの書いてて、彼は激しい自己嫌悪に苛まれないのだろうか?

『1Q84』は、それよりさらに、表現できないくらい、ヒドかった。

その他、いろいろ読んだけど、どれもウソっぽいんだよねー。

この本の中で、彼が一番うれしく思っているのが、世界各国の読者から「あなたの作品は他の誰の小説とも違う、オリジナリティがある」って褒められることなんだって。
なるほど。
裏返せば、それくらい、村上春樹は、自分の小説がニセモノであることを知っている、ということだ。

芥川賞の話は、まあ、村上春樹の言う通りだろう。
あれは、文芸春秋という1出版社がやってる、本を売るためのキャンペーンであって、必ずしも、優れた作品に送られるものではない。
又吉の『火花』が受賞したのを見ても、分かるように。

村上春樹は、ただ好きで書いてるし、書けば売れるから、書いているだけであって、芥川賞もノーベル賞も、彼には必要ない。

芥川賞なんか貰うより、『ニューヨーカー』に小説が掲載されたほうが、100倍以上も名誉なことなのだ。

ヘミングウェイの初期の作品『日はまた昇る』など、のほうが、後期の、完成度の高い作品よりも好き、というのは、オレが思っていたことと同じで驚いた。
村上春樹はフィッツジェラルドが好きで、ヘミングウェイは、そんなに好きじゃないんだと思ってたけど。どうなんだろう?

逆に、村上龍の『コンロッカーベイビーズ』を読んで、これはすごいと感心した、みたいなことが書いてあったけど、これは、オレとは正反対なので、驚いた。

コインロッカーって、くっだらない小説だよ。マンガみたいな。
『AKIRA』のほうが、まだマシ。アレより。

あんなくだらない小説を、村上春樹が読んでた、ということ自体驚きだ。
それこそ、初期の『限りなく透明に近いブルー』が、村上龍の最も良いエッセンスが詰まった作品で、『コインロッカー』は、それを長くして薄くした荒唐無稽なマンガだよね。
『童夢』みたいな本物のマンガの方が、ずっとレベルが高い。

『グレート・ギャッツビー』が脇役の青年の一人称で語られる小説であったために、彼から見えない状況は一切書けないので、いろいろと制約が出てくるが、フィッツジェラルドは様々な手段を使って制約を突き抜けた、みたいなことが書いてあって、ああなるほど、って思った。

村上春樹がバブル時代の日本にいたら、おいしい仕事がいっぱいあって、金がいっぱい儲かって、財テクして、大金持ちになってるか、バブルが弾けて借金まみれになってるか、したかもしれないけど、そういう状況がキモチ悪くて、海外に逃げ出した、という判断は、正しかった。

日本ではミリオンセラーの大作家なのに、アメリカに行って、ゼロからやり直した、っていうのは、すごい。
大リーガーで言えば、野茂みたいなことを、小説家としてやったわけだから。
それは、素直に、偉いなーって思う。

地球の片隅にある、極東の島国の、狭い狭い「文壇村」の中で、上手に立ち回って、うまいことやってる、村上龍みたいな、米軍基地の町から出てきた田舎モンの作家に比べれば、村上春樹は、神戸から出て行って、世界と戦ってるよね。

もし彼が、たんなるアメリカ文化のサル真似が得意な東洋の一匹のサルじゃなくて、もっと、ビートニクスやヒッピーの視点を持っていたなら、つまり、ギンズバーグや、ゲイリースナイダーや、種田山頭火や、鈴木大拙のような、世界的な視点があったなら、彼は本当の意味で、歴史に残る作家になっていた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説など
感想投稿日 : 2015年12月18日
読了日 : 2015年12月18日
本棚登録日 : 2015年12月18日

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