田嶋春にはなりたくない

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  • 新潮社 (2016年2月26日発売)
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『みんな多かれ少なかれ虚勢を張っている。不必要に格好つけ、無闇に威嚇し、大袈裟に自負し、無理して価値観を擦り合わせる。いつの頃からかそうすることが習慣化した。他人に『弱い』と見なされることにビビッている。』

『一度なりきってしまえば、それが通常になる。演じているうちに本当の自分との境界線が消える。みんなやっていることだ。程度の差こそあれ誰しも自分を盛っている。そしてみんなそれを自覚しているから、相手の化けの皮を剥がそうとしない。相互不可侵が暗黙のルールになっているのだ。』

『正論だ。盗まれる奴が悪い。無くす奴が間抜けなのだ。今日の僕みたいに。傘の奪い合いは人生の縮図のようだ。盗るか、盗られるかの狂想曲。盗った奴が勝ち組。傘を手にできなかった奴はどんなに吼えても負け犬にしかなれない。』

『誰もが盗られた経験、無くしたまま戻ってこなかった経験がある。だから自分もそう他人の傘を盗って何が悪いんだ。文化的な生き物とは思えないスパイラルの中が延々と続いている。きっと未来永劫連鎖していくのだろう。モラルなんてお構いなしだ。』

「だから、私、嬉しくなったんです」
「は? 何が?」
「だって、凄いことじゃないですか? 人の傘を無断で使用していいってことが人類共通のルールになっているんですよ」
「喜ばしいことじゃないだろ」
「そうですか? 勝手に自分の傘を使われても、いちいち腹を立てないってことですよ。凄い寛容さです」

「ボランティアみたいなものですよ。その人が買った傘は、いつかは誰かの手に渡って有効利用されるんですから、誇らしいことじゃないですか。私が無くした傘もたくさんの人の手から手へと渡って活躍していることを想像すると、鼻が高くなります」

「タージは人に裏切られたらどうするんだ?」
「どうもしません」
「どうもって?」
「だって人は人、自分は自分じゃないですか? 私は裏切りません。それだけですよ」

『僕の頬は緩やかに崩れる。そう。それだけでよかったんだ。僕は僕だ。無理に『俺』になる必要なんてなかった。自分の傘が盗られたからって、人の物を盗っていい道理なんてない。自分だけが貧乏くじを引いたとしても、自分が人の傘を盗らなければ、負の連鎖は断ち切れる。』

「うまい棒のコーンポタージュ味を置いてないのは変です。ポタージュがフランス語でスープという意味なのを知らないんですか?」

『だけど傷を舐め合うことは無意味だ。何も解決しない。共感は行き止まりにぶち当たったような感情だ。先がない。私は停滞する。』

『間違ったことをしたら謝る。当たり前のことだ。その当たり前のことを疎かにしているから、停滞するのだ。怖い相手や、自分に都合の悪いことは謝らないで逃げる方が簡単だ。でも難しいことを避けていたら、簡単なことしかできない人間になってしまう。』

「ところでさ、タージはサークルメンバーの誰かが困っていたらどうする?」
「ふざけた質問ですね」
「それは愚問ってことか?」
「当然ですよ。助けるに決まっているじゃないですか」
「相手が誰でも?」
「見ず知らずの人でも助けます。協力し合わないと人類が滅んでしまいますから」

「タージは贔屓とかはしないんだな?」
「しますよ」
「えっ? どんな時に? 誰を?」
「自分です。誰だって自分が一番に大事じゃないですか」
「でもみんなが自分ばかり大事にしていたら、人類は滅ぶんじゃないか?」
「滅びません。一人一人が最高にハッピーになろうとすればいいんですから。なれた人がなれなかった人を助けるだけですよ。世界平和は簡単なことです」

『偏差値の高い私立大学で法律を学んでいる。自称『検事の有精卵』だそうだ。』

「強い女の子なんていません。だから謝るんです」
「女は二種類にしか分けられない。泣いてブサイクになる女と、泣いた分だけ綺麗になる女。あいつはまた一段といい女になるんだから、謝る必要はない」
「男の子は二種類しかいません、きちんと謝れる子。言い訳ばかりする子。私は謝れる子が好きです。だから謝ってください」

『『食べ物を粗末にすると国が潰れます』と自分の手のひらに書く。
アンケート用紙に書けばいいものをそうしないのは、紙の資源を粗末にすると国が潰れます、という理由からだろう。融通の利かない子だ。』

『ある時、彼女は『初めて月面をふわふわ歩いたアームストロング船長は、これは一人の人間にとっては小さな一歩だけど、人類にとっては偉大な飛躍だ、という言葉を残しましたが、日頃から一歩ずつ頑張れば私やセンパイだって月に行けるんです。だからサボっちゃいけません』の俺を注意した。』

「教えてほしいことがある」
「なんでしょう?」
「田島には怖いものはないのか?」
「いっぱいありますよ。虫、ワサビ、着せ替え人形、リコール車、お医者さん、酔っ払い、終末論、通り魔、雷、台風、キレ易い若者、テロ、体重計、利き手じゃない手で塗るマニキュア、お菓子の誘惑、靴擦れ…」
「それくらいでいいよ ー その中で何が一番怖い?」
「消去法です」
「怖い理由は?」
「消去法は諦めだからです。これも駄目。あれも駄目。そっちも駄目。そうやって諦めることに慣れてしまうのが怖いんです」

『俺はどれだけ自分を諦めてきたことだろうか? 『自分にはできない』と最初から決め付け、『人には得手不徳手があるから』と自己弁護に走った。失敗や挫折にめげずに何度も挑戦する人を軽んじ、自分はスマートな人生を歩んでいる気でいた。そう自負して偽り続けた。愚か者はどっちだ?』

『不思議な子だ。あんなふうに汗をびっしょり掻くまで喜びのダンスを踊れる田嶋が羨ましい。俺も彼女のようになれるだろうか? 田嶋が何を感じ、世界をどう見ているのか興味が尽きない。』

『程良い諦観に包まれながら俺もゴンドラを降りる。ふわりと地上に着地。足の裏の感触が若干いつもと違う。心持ち体が軽い。清々しい予感がし、月面に降り立ったアームストロング船長と自分が重なる。
この一歩は大きな意味を持った一歩になる。そう確信して夜空を見上げ、月を探す。』

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 白河三兎
感想投稿日 : 2017年3月18日
読了日 : 2017年3月18日
本棚登録日 : 2017年3月18日

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