未来派 百年後を羨望した芸術家たち

  • コトニ社 (2021年6月11日発売)
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感想 : 2
5

これを押さえとけば、おおよその大衆文化を冷静に見られるようになり、
部屋の片付けや就業中の廃棄が楽になる本。


戦後の日本の大衆文化は欧米諸国による影響を受けているとしか考えられない。
しかし、元来の日本の文化は楽しくなく、必要がないから淘汰されていると私は思っているので、別に欧米諸国を恨んではいない。
欧米諸国のそういった芸術を紐解くと、未来派や青騎士(ワシリー・カンディンスキーやフランツ・マルクなどの表現主義)の影響を受けているように思う。

最近の創作は昔と違って、冒険物語がつまらなくなったように思える。
それは未来派の『過去の崇拝や古代への執着を破壊する』(つまり近代化を求めているのであろう)という宣言による影響があったのではないかと私は思う。
物語の内容を文字に起こせば、特段、昔と変わっていない。

では、なぜ面白くないのか。

私が考えるに、
映画「NOTHING ナッシング」(ヴィンチェンゾ・ナタリ監督作)のようなことが芸術の世界で起こったのではないかと思う。

(※以下映画のネタバレ。)
この映画は、
『「自分たちを、煩わせるものを消す能力」を持っている男性2人が、
最終的には何も無い世界を望み、真っ白な世界で首だけになるという物語』なのだが、
正しく、そのようなことが、21世紀になって、起こったように思える。
そして、冒険物語は以前に創作した作品と類似した内容であり、
そういった冒険物語の舞台は、概ね、異世界や異空間なので現代の時代背景を考える必要がない。
それらの創作活動は未来派が嫌悪していた、『過去の崇拝や古代への執着』と変わらないため、
未来派に影響を受けた創作者達が取捨選択をした結果、創作自体が不必要になったに違いない。
つまり、創作することも鑑賞することもロマンを追うこともナンセンスになってしまったのだと私は推測する。
(……「ナンセンス」という言葉自体、死語になってしまい、ナンセンスだから「NOTHING ナッシング」なのかな……)

この映画の物語は、我々人類が、何かに対して憂い、合理性を求めた結果の姿であるように思えるし、
オタマジャクシの尻尾がいつか消えて、蛙になるようなことであり、決して悪いことではないと思う。

オオサンショウウオやコモドドラゴンになることを夢見たオタマジャクシが、
それが叶わず、蛙になり、
『皆が蛙の形態で良いと思っている世界』と『納得していない自分の世界』の温度差のようなものによって、歪曲され、
映画「NOTHING ナッシング」や昨今の創作に表れているように私は思う。


フランス革命後にサンドロ・ボッティチェッリのようなルネサンス芸術を再興したり、
新プラトン主義を再考するような芸術家が、あまりいなかったように、
今後のおおよその創作は、未来派を認識していない、未来派のような創作になると私は予想する。
この未来派のような活動の先に現れる、扇動をする人物は、
きっとフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェや、アドルフ・ヒトラーや、ウンベルト・ボッチョーニのような存在だと思われるため、
そういった人物がどこにどのように受け入れられ、どのような影響を与えて、なぜそういった人物に共鳴してしまうのか、理解するためには 本著は有意義な資料だと思われる。
本著は作品のカラー印刷が成されておらず、芸術的な資料ではなく、飽くまでも歴史的な資料として読むものだと思う。

これらの扇動する人物の創作や活動はジョヴァンニ・セガンティーニの自伝で良いのではないかと思いながら、
「現代でもこういうことはあるんじゃねぇかなぁ……(そもそも感覚の分野なんだから知識で啓蒙する必要ないんじゃないかなぁ……ゲームしてよう)」と冷静に現代を見据えても良いのではないかと思った。

唯物論と近代化とヘドニズムが混ざり合って、何が創作できるのだろうか……。
きっと猥雑なドラえもん(のような偶像)なので、大人になったら距離を置くべきだと思った。

本書は登場人物が非常に多く、創作分野や表現が多岐にわたり、創作物も多いため、
眠る前に羊を数える感じで読むと、良い感じで眠くなる本だと思った。

読書状況:積読 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年5月28日
本棚登録日 : 2023年5月30日

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