オーリエラントの魔導師シリーズの一冊。シリーズ第一作目にして傑作である『夜の写本師』に繋がる、本の魔術と呪いと復讐の物語。
この世のすべての本を「読む」ことができる木を抱く、『久遠の島』。神聖で美しく、島民たちによって大切に守られてきたその島は、ある男の企みにより、一夜で沈んでしまう……。生き残った三人の少年少女の、復讐と再生を描いた長編。
ここ数年の乾石氏の作品の中では、一番のお気に入りになった。
壮大な物語、本や魔術、ヤギといった魅力的なモチーフ。主人公ヴァニダルをはじめとするキャラクターの細かい心理描写。そして、『夜の写本師』に繋がる、鮮やかなストーリーライン。どれをとっても素晴らしいと言えると思う。もちろん、乾石節とも言える、荘厳で美しい描写も健在だ。
この物語の特筆すべきところは、やはり、主人公たちの泥の中で過ごすような苦しい生活と、その中での努力が、事細かに描かれていることだろう。
主人公ヴァニダルは、書いた文字が「呪い」となる魔術を。その兄ネイダルは、写本を。そして、二人の幼馴染であるシトルフィは、絵を。故郷という心の支えを失いながらも、三人は自分のやるべきことを見つけ、それを極めてていく。
一般的に、このような「修行」のシーンは嫌われがちだと、漫画等の世界では言われている。だが、その修行さえも、日本ファンタジー界の大魔術師・乾石智子の手にかかれば、物語一の魅力となるのである。
エキゾチックな雰囲気が漂う、写本や呪いといったモチーフを、その文章力によって、どこまでも魅力的に見せてくれる。恐ろしくて、神聖で、でもどうしても気になる。そんなファンタジー世界を描くのは、彼女の得意技であると言えるだろう。加えて、技術を極めていく過程で見られる三人の心身の成長には、児童書を読んだ時のような爽快感もある。このバランス感が、特に良いのだと思う。
そして、この努力が、最後の「復讐」へ向かって収束していく。本当に見事なストーリーだ。
※以下、他の「オーリエラントの魔導師」シリーズの作品のネタバレあり
この物語は、ヴァニダルたち三人の復讐譚である。復讐といえば、乾石智子の十八番。そう思う方もいるかもしれない。だが、この作品は一味違う。勧善懲悪、とでもいえばいいのだろうか。ヴァニダルたちの作戦は見事に成功し、彼らは、故郷を滅ぼした傲慢な男・セパターを懲らしめる。
乾石智子の描く復讐は、ある意味「中途半端」な状態で終わってしまうことが多い。例えば、『夜の写本師』。相手を1000年呪い続けた主人公は、最後には多くの人を呪ってきた彼が孤独であり愛を欲してしたということに気が付く。また、『沈黙の書』では、最後の敵は、家族や故郷を失った原因である人間ではなく、他の大陸からやってきた、言葉の通じない蛮族だ。
このような展開は、個人的に好きな展開の一つである。人間というのは、全くの悪人でもなければ、いつだっていい人なわけでもない。現実的な人間像の一つとして、このことはとても的を射ていると思う。
だが、本書は違う。彼らは呪いを込めた写本を使い、貴重な本に目がないセパターの性質を分かったうえで、見事に彼に勝利する。先にも述べたように、勧善懲悪だ。
復讐が復讐として、完璧に成功する物語は珍しい。現在の日本では、復讐はするべきではないと定められている。芸術の世界も、「復讐は何も生まない。過去に縛られるのはやめ、前を向くべき」というようなメッセージで溢れている。それが間違いだとは思わない。だが、本当にそれだけが真理だろうか。どうしても許せないことがあるとき、そのやるせない気持ちを捨てることは難しい。もちろん、現実世界において復讐は何も生まない。だが、人間の醜さを肯定する手段であるはずの芸術が、怒りや悲しみを捨てろと高潔な精神のみを説いてしまっては、負の感情を救う手立てが全くなくなってしまう。
そのような、苦しい思いと復讐を為すことを肯定するのが本書である。ただし、乾石智子は、復讐を「スカッとする物語」にはしない。前述したとおり、主人公たち三人は、何も知らない世界に放り出され、揉まれ、血のにじむような努力をし、そうして初めて復讐するための土台を作り上げる。ここがまた、乾石氏の作品の深みの理由の一つだろう。
彼女の描く復讐には、大きな代償が伴う。シリーズ全体を通して、その代償は「魔術師は闇を背負う」という言葉で表される。欲望、怨嗟、悲哀。すべての黒々とした感情を、魔術という特殊能力と引き換えに、魔術師たちは背負っていく。時に、その重さに押しつぶされそうになりながらも、自らの魔術に誇りを持ち、それを極めようとする。魔術師の業でもあり、強さでもある「闇と共に生きる力」。人間の醜悪であり、美しさでもある彼らの生き様に、私は強く惹かれている。
最後に、この本について語るならば外せないのが、『夜の写本師』との繋がりだろう。「夜の写本師」は、紙とインクを使って呪いを描く。乾石智子のデビュー作で、世界を変えた主人公カリュドゥが、この夜の写本師であった。この物語は、『夜の写本師』、始まりの物語だ。『夜の写本師』を一読してから、この物語を読むことをお勧めする。きっと、最後の一文を読み終わったとき、貴方は息をのむことだろう。
- 感想投稿日 : 2023年9月13日
- 読了日 : 2023年9月13日
- 本棚登録日 : 2023年9月13日
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