「やられる」セックスはもういらない 性的唯幻論序説 改訂版 (文春文庫 き 14-10)

著者 :
  • 文藝春秋 (2008年9月3日発売)
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人間の「本能」は壊れていて、人間のセックスは「観念」に基づいてなされるという基本的な考えを用いて、現代のセックスの在り方、資本主義社会の台頭と性文化の変遷、などなどについて論じられていました。

一番面白かったのは、資本主義社会を維持していくために「性行為」をいわば商品とすることが必要であり、一般の女とするにせよ売春婦とするにせよお金がかかる仕組みが意図的かそうでないかは分からないができた、という部分でした。
あと、「性行為は趣味であって、誰から強制されるものでもないし、趣味が合わない人間がいて当然」という考え方は大変しっくりきました。

だいぶ性的なことは解放的になってきたとはいえ、まだ「性欲のある女は正しくない(少なくとも普通ではない)」という感覚は日本にもはびこっているように思います。
それが著者の言うように「女性が求めてきた時にもし男性が不能に陥ってしまったらその存在価値が揺らぐから」という理由かどうかは分かりませんが、聖と性が同時に女性の中に存在するものだということを男性はもっと認識してくれればいいのになぁと思います。
いわゆる普通の女子にだって性欲はあるし、だからと言って淫乱と呼ばれる筋合いもないわけです。
そして強姦事件が起きた時に被害者を「そんな格好をしてスキを見せているから悪い」となじるのは本末転倒で、女だっていい男を誘惑したいと思っているがそれを「強姦されたい」と解されては迷惑だ、という理論はすごくしっくりきました。「強姦する男を獣のようだと言ったりするが、獣は強姦などしないのだから獣にとってはとんだ濡れ衣」というのも面白かったw

「君を大事にしたいからセックスはまだしない」なんていうのは、女子の性欲をと性欲を持つ権利を無視してるとしか思えない(女子がセックスを嫌がっていれば別ですが、それを確認することなく、ということ)。じゃあそろそろセックスしていいっていう基準を何でお前が決めるんだ!っていうw

江戸時代あたりの性に対するゆるさ、好色女というのが一種の褒め言葉であったのはすごくいいなぁと思います。
観音様って呼ぶのとか、下世話だけどいいと思う。「色」という言葉で表わしたり、元々日本が持っていた性的なことに対する「粋」が復活すればいいのにな。

やたらと読むのに時間がかかりましたが、面白い本でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: その他
感想投稿日 : 2012年4月29日
読了日 : 2012年4月29日
本棚登録日 : 2012年4月29日

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