タイトルからアフリカのどっしりとした女たちの姿を想像するが、登場するのは脆く繊細な女たちと男。
フランス人の母とアフリカ人の強権的な父の間にフランスに生まれ、苦学して身を立てたが父に請われてアフリカにあるその家を訪ねるノラ、幼い頃アフリカに移住し、成人したものの、ある事件をきっかけにフランスに舞い戻った男、ルディ、そして身一つで必死にヨーロッパへの亡命を試みる貧しいカディ。
三人の「女」? おそらく、ルディがフランスに連れ帰ったアフリカ人の妻のことか。
先に書いたように、この二人の女と男、「逞しい」どころか、自らをも信頼できずに危うい精神状態にあり、だれかにひょいと背中を突かれたらそのままどこかに転がり落ちそうな人たちである。しかしその奥底に熾火のように消しきれぬ愛があり、生きることへの執着がある。目を覆い耳を塞ぎたくなるような話もあるが、描かれるのは絶望ばかりではない。特に第2話の終わりは、まるで自分が見たかのように映像がありありと残る。
三作はゆるく繋がる連作とも読め、どの章においても鳥たちの存在が目を引く作り。
とにかく訳文が素晴らしい。このリズムと迫力と美しさ、おそらく一筋縄ではいかなかったろうと思わせはするが、その苦労を滲み出させることはない。長い詩を読むかのようだった。

2019年6月29日

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読書状況 読み終わった [2019年6月29日]
カテゴリ 小説

16歳も年上で、19歳で戦死した兄は遺された家族に大きな影を落とした。
兄が残した数少ない戦地からの手紙と日記を繰り返し読み、当時の時代を理解しようとする著者。
ユダヤ人虐殺のことは「知らなかった」といい通す大人たち(父も含めて)。
理想の跡継ぎだった兄を亡くしてから、少しずつ崩れていく父、その父に愛されなかったことでやはり後年にバランスをうしなう姉。
戦争とは、小さな病のタネが体内で次第に大きくなり身動きできぬほど蝕むように、ひとりひとりの人生の内部深くに浸透していく。
訳者は本書の和訳を出してくれるところを見つけるまで長年かかったというが、諦めずにいてくれたこと、出版してくれた白水社には感謝したい。

2019年6月29日

読書状況 読み終わった [2019年6月29日]
カテゴリ 小説

読書状況 読み終わった [2019年3月15日]
カテゴリ 小説
読書状況 読み終わった [2019年4月3日]

読書状況 読み終わった [2019年2月18日]
読書状況 読み終わった [2019年2月18日]

ちょうど一年ほど前にコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』を読んだ。南北戦争より30年前に逃亡する黒人奴隷たちの物語だ。
人間が人間に対してどうしたらあのように残虐になれるのかと慄然したものだが、本作は『地下鉄道』よりさらに100年も後の話である。それなのに、本質的なところがなんら変化していないことがわかる。

アメリカで現実に起きた、ジェノサイドの記録と言ってよかろう。本書はれっきとしたノンフィクションなのだから。

1920年代、自分たちの土地を追われ政府にあてがわれた土地から石油が出たことから、突如として大金持ちになったインディアンのオーセージ族(とはいえ、彼らに資産の管理能力はないと見なされ、白人の後見人をつけることが義務付けられる)。彼らがひとり、またひとりと不可解な死を遂げ、事件解明に着手しようとする人や証言をしようとする人たちも次々に命を落としていく。
FBIを立ち上げたばかりのフーヴァーがどんな手を使ってでもこの事件を解明すると宣言。幾度も迷宮入りかと思われながらも、ひとつひとつ小さな亀裂を丹念に叩いて証拠を拾い出していく捜査官たちの執念と誠実さが心を打つ。フーヴァーではなく、彼らの存在が、この作品に描かれるほとんど唯一の「良心」である。
黒幕を探り当てるまでの推理、逮捕までの攻防、裁判がどう動くか(もしもインディアン殺人なんて動物虐待とどう違うのか、と思う人間が裁判員だったら…)、はらはらどきどき、それこそ本の帯に推薦を書いているジョン・グリシャムばりの展開である。

この事件と裁判から100年近くが経って当事者たちはすべて世を去った後、作者の回想となるエピローグ的な章がまたすごい。裁判も終わってからの後日談かと読み進むうちに、はっと伸びる背筋は、そのうち凍るだろう。

『地下鉄道』を読みながらも感じたことだが、米国という国では人びと(欧州系白人)がこうして財を成したのかと改めて思う。アメリカ・ファーストと豪語するあの男やそのとりまきたちの心情は、当時となんら変わらないのだ。

2019年1月14日

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読書状況 読み終わった [2019年1月14日]

読書状況 読み終わった [2018年10月26日]
読書状況 読み終わった [2019年1月7日]

「あのころ、天皇は神だった」、不穏なタイトルに似つかわしからぬ淡い黄色い表紙。のどかな田園風景を一台の汽車が煙を吐いて走っている。この汽車に乗って、みんなはどこへ行くのだろう。
 ユタ州の砂漠にある、日系人収容所である。
 思春期にさしかかるころの少女、幼い弟、若い母親。戦前は豊かな暮らしむきだったことがうかがえる。隣近所と仲良く行き来があったことも。三人が頼りにしていた賢く強い父親は、ある日とつぜんとらわれて連行されてしまう。おしゃれな父親が、就寝中に部屋着に室内履きで連れて行かれたことに心を痛める子どもと、寝床に入る前に喉が渇いたなと呟いた夫に水を渡してやらなかったことを気に病む妻。
 静かな筆致の文章はあたかも昔話を読むかのようだ。通告を受けて、あらゆる感情を押し殺し所持品を淡々と選ぶ母親。混んだ車内、乏しい飲食物、車酔いの吐き気。海が見える町から移り住んだ、なにもない砂漠に建てられた殺風景な収容所での日常(母親がかつて雇っていた家政婦のウエノさんに出くわすところは、そのなかでも私にとっては心動く一場面だった)。
 そして、戦争は終わり(天皇は神ではなくなり)、三人はもとの家に戻る。父親も帰る。彼らは「幸運」だったろう、家は誰かに占拠されているわけでもなく壊されてもおらず、そこにあったのだから。内部は荒らし放題に荒らされ、母が丹精して育てたバラの木はなくなってはいたけれど。
そして最後の父の「独り語り」は圧巻だ。
 写真一枚で夫を決めて、太平洋を渡り日本から米国に移民した「写真花嫁」を描いた、詩のような『屋根裏の仏さま』は忘れがたい一冊。この本より前に出された、作者の長編デビュー作という『あのころ、天皇は神だった』が復刊されたのは幸せである。

2018年10月13日

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読書状況 読み終わった [2018年10月13日]
カテゴリ 小説

必読書としてよく挙げられてはいるものの、なかなか読む機会を得なかった『ワインズバーグ、オハイオ』、新訳が出た、ということですぐに入手した。
で、読み始めたものの何やかやで途中でページが止まっていた、のだが、今朝、ふと再開したところ、とにかく止まらなくなってしまった。
無数の人たちが次々に現れては短い物語の主人公となったり、脇役となったりする。当初は、だれに心を寄せればよいのか掴み切れず物語に入り込むことを難しく感じたていた。それも途中で手が止まっていた要因かと思う。
ところが、なぜか、今日は読み始めたときに「これは、読める」と思った。そして案の定、一日をかけて、すべてを夢中で読んだ。読書には、なぜか「その時」があるものだ。
今からちょうど100年前のアメリカの小さな町に暮らす人々の話だというのに、なぜこうも瑞々しいのだろう!
少しずつ読み進めるにしたがって、誰が誰やら、という状態だったのが、ひとりの青年に少しずつ焦点が集まってくる。そして次第にワインズバーグという町が立体的になってくる。
川本三郎さんによる巻末の解説に、とてもよい一文があった。
「アンダーソンは良き人々の心のなかの負の部分に着目する。それでいて決して彼らを否定するのではない。心に屈託を抱え、周囲に溶け込めない、心寂しき人々を、その負の部分を含めて肯定しようとする。愛そうとする。だから、読み終ったあと、読者は夜の暗さのなかに、夜明けの光を感じ取り、穏やかな気持ちになる」
善良で「いびつな」人たちの小さな物語(とはいえ、わずか数ページに人生が凝縮されていたりもする)は、今後また手に取れば、また違う面白さを見出すのだろう。ああ、それにしても面白かった。今はただ豊かな読後感に浸っている。

2018年9月17日

読書状況 読み終わった [2018年9月17日]
カテゴリ 小説

読書状況 読み終わった [2018年8月25日]
カテゴリ 小説
読書状況 読み終わった [2018年7月16日]

翻訳文学であるのに、どうにもそうとは思えない、とにかくすぐになじむのである。これは訳者の力量か、と思ったが『殺人者の記憶法』(別の訳者)を読んだときにも同じような感覚だったので、そればかりが理由とは言えまい(とはいえ、両者ともさすが翻訳大賞受賞者、みごとな訳文)。

中学生。
もっとも難しい年ごろであるのは知られることで、主人公の「釘」の頭のなかもたいへん哲学的で忙しい。しかし、その哲学くささがにじむのか、弱々しい体格と性格を見抜かれたこともあって、ひどいいじめを受ける。そ
のいじめられ仲間が、ちょっと異様な風体の「モアイ」である。

このふたりが原っぱに卓球台があるのを見つけたことをきっかけに卓球を始め…

ここまで聞けば「ああしてこうなって、そうなるのかしら?」と思ってしまいそうだが、これがとんでもない方向に物語はまい進する。誰の想像もおそらく遥かに上回る方向へと。

なんだこりゃ、と思う人もいれば、いいぞお、と思う人もあるだろう。
そうやってわかれていくことこそが読書の面白さ、なんだと思う。

2018年5月27日

読書状況 読み終わった [2018年5月27日]

読書状況 読み終わった [2018年5月6日]
カテゴリ 小説
読書状況 読み終わった [2018年4月28日]
カテゴリ エッセイ

初トレヴァー。なんと軽やかで濃密で、そして食わせものの作品だろうか。まずは栩木さんの翻訳がすばらしい。『ノーラ・ウェブスター』で初めて栩木さんの訳を知り、その美しい日本語に陶然とした。これからも読んでいきたい。

栩木さんがレコードの両面、と訳者あとがきで評されたように、まったく違う人物ではありながら、共通点もあるふたりの女性の人生。二編に通底するのは「本を読む・書く」ということと「妄想」。

両方ともとても悲しい人生を送る、女性の話。
「ツルゲーネフを読む声」は、きれいで若さではちきれんばかりだったメアリー・ルイーズの世界が少しずつ崩れていくのが悲しい。善人ではあるけれど「まったくわかっていない」男で、ちょっとぞぞっとする癖のある夫の描写がうますぎる。気持ち悪い。
目には見えない重石のような悲しみが少しずつメアリー・ルイーズに積み重なっていき、ひとから見たら奇行にしか見えない彼女の行動も私たちには理由があるのがわかる。

「ウンブリアのわたしの家」は、反対にドラマティックな人生を送ったけれど、いまは南イタリアに屋敷を構え、ロマンス小説作家としてもそこそこ活躍している優雅なミセス・デラハンティの物語。
過去に傷はあるけれど、それはもう昔のこと。いまはほとんど悠々自適といってもいい彼女に、またひとつ劇的な事件が起こって深い傷を負う。そこから静かに立ち直る過程を描く…のかと思いきや。とんでもない。
現実と夢と妄想と書物の中の出来事が自在に入り混じって、わたしたちを混乱させる。どこからどこまでが真実で、嘘で、妄想なのか?主人公のみならず登場人物も謎が多く、アメリカでは映画化されたというのも納得。

2018年4月7日

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読書状況 読み終わった [2018年4月7日]
カテゴリ 子ども

数時間で一気に読了。
70年代、インドから米国に移民してきた家族。そろりそろりと現地の生活に馴染みはじめてきたころ、両親の期待の星だった兄が不幸な事故に見舞われる…。
作家自身の体験が色濃く映し出された、自伝的小説。
移民として暮らすということは、家の中と外とまったく異なる文化のふたつの世界で暮らす、ということだ。子どもだって家を出れば七人の敵がいる。移民であれば、なおさらだ。
それなのに、主人公のアジェは家でももはや安らぎを得ることはできない。変わっていってしまう父と母、子どもの目を通して描き出されるその姿で、読むわたしたち(大人)は両親の重い苦労と燃えるような苦悩を感じる。
とはいえ、これは一人の少年の成長の物語でもある。家の中にも外にも居場所を見つけられないアジェはあるときから読書に没頭することで現実世界を離れることを覚え、やがて「書く」ことに自浄作用があると気づく。悲しさと寂しさはあっても、若いひとが少しずつ成長していくさまを読むのは、やはり心楽しく救われる。
作者は、この本を書くのに13年という歳月を費やしたそうである。それを、ものの数時間で読んでしまっていいのか、と思わないでもないけれど、作者は喜んでくれる気がする。
訳者あとがきは必読。あとがきも含めて、この本は一冊の作品となっている。

2018年3月24日

読書状況 読み終わった [2018年3月24日]
カテゴリ 小説

あちこちで絶賛ばかりが聞こえてくる『嘘の木』である。
もともとYAとして出版され、日本の出版社もそのつもりで出したのだろうが質の高いミステリだ、という評と口コミで広がっていったもよう。
ファンタジーがそれほど得意でないのであまり食指が動かされなかったのだが、こうも評価が高いのであれば読まずにはいられない。
…結果、もういまは胸がいっぱいである。
最初は主人公になかなか共感できず、物語の世界に入り込むのにやや苦労をしたのは事実。当時の女性たちがいかに窮屈な思いをしていたか…の表現がややしつこく、ちょっとうんざりもしかけていた。
だが、たいていの長編は後半が勝負だ。
そのとおり、半分を少しすぎたあたりから、止まらない止まらない。
前半で感じていた「抑圧された女性たち」が後半のわずか数10ページでいきなり仮面を捨てるようにして本来の姿を見せはじめる数々のシーンは忘れがたい。
さらに、自分自身の偏見にも気づかされた(馬車のシーン、犯人像)。
この母にしてこの娘あり、としっかり思わせ、希望を抱かせるラストシーンもとてもよい。
ストーリー性も高く、よくできたミステリである以上に、すばらしいフェミニズムの物語でもあった。

2018年3月21日

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読書状況 読み終わった [2018年3月21日]
カテゴリ 小説

コルム・トビーン。アイルランドを代表する作家だそうだ。ノーベル賞の下馬評にも名前が挙がっているとか。はじめて読んだのだが、こういう作家さんがノーベル賞をとってくれたら嬉しいなあと思う。
『ノーラ・ウェブスター』は自伝的小説だそうである。主人公は作家の母と同じく46歳で夫に死に別れ、父の死後、吃音症になった息子は作家本人に重ねられる。
それまでは世の煩いごと…お金を稼ぐということから、小さい村での人づきあいまで…を人望の厚い教師だった夫にたのみ、それを「自由な生活」だと居心地よくおさまっていたノーラ。夫の死からすべてが現実的に彼女の双肩に乗ってきた。
頭の切れそうな妹には「言いたいことが何もない人間だ」と思われている、と自覚していたノーラだが、本当はそんなことない。次第にその深い洞察力と観察眼が表に出てくる。
夫の死後、上の娘たちは社会への一歩を踏み出し、息子たちは思春期という難しい時期にはいっていく。目も手もかけねばならないこの子たちを、ノーラの妹たち、おば、亡夫の兄姉が気持ちよく手助けする様子がよい(ときに『違うんじゃないか』とノーラは思っちゃうところも)。ノーラの周囲の人たちの個性が良くも悪くも、丁寧に書き込まれている。ここにはいない夫ですら、その人となりが伝わる。
夫の死からの数年、少しずつノーラにあらわれる変化をつぶさにとらえた、ただそれだけといえばそれだけの物語なのに、胸の奥深くに残る、忘れがたい作品だった。

2018年2月7日

読書状況 読み終わった [2018年2月7日]
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最初から最後までつらい。容赦ない。読み終わって、ふらふらしている。
途中、「なんでこんな苦しい物語を読んでるんだ」と思ったりもしたけれど、読まずにはいられない。一度知ってしまった主人公コーラの物語、その後を知らぬままでいることなんて、できない。
南北戦争、ひいては奴隷解放より30年も前の話だ。
奴隷の少女、コーラは逃げる。「地下鉄道」という(実在はしなかった)文字通り、地下を秘密裡に走る鉄道に運ばれて。コーラの所有主は少女を捕獲するために腕利きの奴隷狩人を雇う。
働いていた農場での状況も悲惨だったが、逃亡先でコーラが目にする黒人たちの惨状たるや、読みながら目をそらしてしまうほどだ。
膨大な量の資料にあたって奴隷の生活場面を描いたという作者。「人間が、人間に対してどうしてこんなに残虐になれるのか」と背筋が冷たくなるのだが、こういうことは現代においてもなくなっているわけではない。
要するに、「自分とは異世界」と思ってしまえば、もはや「自分と同じ人間」ではないわけだ。
あの国はああやってできてきたのかと慄然とする。
ベトナム人の視点からベトナム戦争を描いた『シンパサイザー』にも驚かされたが、そもそも恥ずかしながらわたしはかの国についての知識がなかった。
だがこちらは米国である。行ったことはないし、ことさら好きな国でもないが、いやおうなしにさまざまな情報が向こうから飛び込んでくる国だ。それが、ここまでの残虐な歴史があったとは、知らなかった。本を読んでいる最中には「アメリカ」という響きすら冷たく残酷に聞こえるくらいである。
『すべての見えない光』について、わたしは戦時にあって「人間の善意のうつくしさを描いた」と書いたのだが、これは圧倒的に「人間のむごさ、残虐さ」を描いたと言っていい。だがしかし。
やはり、ある、人間の善意はある、どこにでも。泥の水たまりの上にひとひらの白い雪片が降るように、そして溶けていくように。そこも描かれていたことは救われた。

2018年2月2日

読書状況 読み終わった [2018年2月2日]
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読書状況 読み終わった [2018年2月2日]
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