花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生

制作 : David Grann 
  • 早川書房 (2018年5月17日発売)
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本棚登録 : 249
感想 : 30
5

ちょうど一年ほど前にコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』を読んだ。南北戦争より30年前に逃亡する黒人奴隷たちの物語だ。
人間が人間に対してどうしたらあのように残虐になれるのかと慄然したものだが、本作は『地下鉄道』よりさらに100年も後の話である。それなのに、本質的なところがなんら変化していないことがわかる。

アメリカで現実に起きた、ジェノサイドの記録と言ってよかろう。本書はれっきとしたノンフィクションなのだから。

1920年代、自分たちの土地を追われ政府にあてがわれた土地から石油が出たことから、突如として大金持ちになったインディアンのオーセージ族(とはいえ、彼らに資産の管理能力はないと見なされ、白人の後見人をつけることが義務付けられる)。彼らがひとり、またひとりと不可解な死を遂げ、事件解明に着手しようとする人や証言をしようとする人たちも次々に命を落としていく。
FBIを立ち上げたばかりのフーヴァーがどんな手を使ってでもこの事件を解明すると宣言。幾度も迷宮入りかと思われながらも、ひとつひとつ小さな亀裂を丹念に叩いて証拠を拾い出していく捜査官たちの執念と誠実さが心を打つ。フーヴァーではなく、彼らの存在が、この作品に描かれるほとんど唯一の「良心」である。
黒幕を探り当てるまでの推理、逮捕までの攻防、裁判がどう動くか(もしもインディアン殺人なんて動物虐待とどう違うのか、と思う人間が裁判員だったら…)、はらはらどきどき、それこそ本の帯に推薦を書いているジョン・グリシャムばりの展開である。

この事件と裁判から100年近くが経って当事者たちはすべて世を去った後、作者の回想となるエピローグ的な章がまたすごい。裁判も終わってからの後日談かと読み進むうちに、はっと伸びる背筋は、そのうち凍るだろう。

『地下鉄道』を読みながらも感じたことだが、米国という国では人びと(欧州系白人)がこうして財を成したのかと改めて思う。アメリカ・ファーストと豪語するあの男やそのとりまきたちの心情は、当時となんら変わらないのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2019年1月14日
読了日 : 2019年1月14日
本棚登録日 : 2019年1月14日

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