私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

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著者 :
ljszさん 社会学   読み終わった 

私家版・ユダヤ文化論 内田樹

 『日本辺境論』(氏曰く私家版・日本人論)のときのように、ワクワクしながら読んだ。内田氏の論考と語り口がミステリに登場する名探偵のよう。[more]

【本書をきっかけに関心を持った派生事項】
 ・ アナクロニズム
 ・ レヴィナス
 ・ 小林秀雄章

【書き抜き読書メモ】
 ・ 小論において、私がみなさんにご理解願いたいと思っているのは、「ユダヤ人」というのは日本語の既存の語彙には対応するものが存在しない概念であるということ、そして、この概念を理解するためには、私たち自身を骨がらみにしている民族誌的偏見を部分的に解除することが必要であること、この2点である p17
 ・ 第一に、ユダヤ人というのは国民名ではない。ユダヤ人は単一の国民国家の構成員のことではないからだ p23
 ・ 第二に、ユダヤ人は人種ではない p24
 ・ 第三に、ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない p28
 ・ そのようなたしかな実体的基礎を持たないにもかかわらず、ユダヤ人は二千年にわたって、それを排除しようとする強烈な淘汰圧にさらされながら、生きてきた。この事実から私たちが漠然と推理できる結論は、危ういものだけれど、一つしかない。/それは、ユダヤ人は「ユダヤ人を否定しようとするもの」に媒介されて存在し続けてきたということである。言い換えれば、私たちがユダヤ人と名づけるものは、「端的に私ならざるもの」に冠された名だということである。/私たちの語彙には、「それ」を名づけることばがなく、それゆえ私たちが「それ」について語ることばの一つ一つが私たちにとっての「他者」の輪郭をおぼつかない手つきで描き出すことになる。私たちはユダヤ人について語るときに必ずそれと知らずに自分自身を語ってしまうのである。 p36
 ・ ユダヤ人が存在するのは「ユダヤ人」という名詞が繰り返し同じ何かを指すと信じている人間がいる世界のなかだけっである。/私たちはユダヤ人の定義としてこの同語反復以外のものを有していない p39
 ・ ヨーロッパ人がユダヤ人を生み出したのではなく、むしろユダヤ人というシニフィアンを得たことでヨーロッパは今のような世界になった p55
 ・ 神を信じることのできる人間だけが悪魔の存在を信じることができる p101
 ・ ユダヤ人たちが民族的な規模で開発することに成功したのは、「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしかない』という自己緊縛性を不快に感じる感受性」である
 ・ 「イノベーション向きの知的資質を集団的に開発する技術」などというものがありうるのだろうか?そもそも、「民族的な規模でイノベーティブな集団」などというものがありうるのだろうか? p178
 ・ それはユダヤ人にとっての「ふつう」を非ユダヤ人が「イノベーティブ」と見なしているということである。 p179
 ・ 彼らはあるきっかけで「民族誌的奇習」として、「自分が判断するときに依拠している判断枠組みそのものを懐疑すること、自分がつねに自己同一的に自分であるという自同律に不快を感知すること」を彼らにとっての「標準的な知的習慣」に登録した p180
 ・ 彼らの知的努力のすべてが、周囲の人には「おのれを懐疑せよ、行き方を改めよ、秩序を壊乱せよ、今あるものを否定せよ」という威圧的、強化的なメッセージのように聞こえて、耳を塞ぎたくなるかもしれない。 p182
 ・ 仮に、このような種類の知的拷問に耐える能力を集団の成員条件に採用した集団があれば、それは「たいへんイノベーティブな集団」と呼ばれることになるだろう。仮に、この知的拷問に耐える能力を「ユダヤ的知性」と呼ぶのだとしたら、それはすでに同語反復を犯すことになるだろう。 p82
 ・ ユダヤ人が例外的に知性的なのではなく、ユダヤにおいて標準的な思考傾向を私たちは因習的に「知性的」と呼んでいるのである p182
 ・ レヴィナスによれば、聖史上のユダヤ人が口にする最初の言葉は「私はここにおります」(Me voici)という応答の言葉である。 p189
 ・ ユダヤ人は「すでに名指され」「すでに呼びかけられたもの」という資格のいて、レヴィナスの術語を借りていえば、「始原の遅れ」(initial apres-coup)を引きずって、歴史に登場する。/そのつどすでに遅れて世界に登場するもの。/それがユダヤ人の本質的規定である。少なくともサルトルとレヴィナスという二十世紀を代表する哲学的知性がユダヤ人について唯一意見が一致した点である。この「始原の遅れ」の覚知こそが「ユダヤ的知性」(というよりは「知性そのもの」)の起源にあるものなのである(たぶん) p189
 ・ 自分は愛情が深い人間だと思っており、かつその愛情の深さを絶えず確認したいと望む人間ほど危険な存在はない。彼らはいずれ「愛する人の死を願う」ことで自分の中の愛情を暴走的に亢進させることができるという「殺意ドーピング」の虜囚になるからである。/反ユダヤ主義者はどうして「特別の憎しみ」をユダヤ人に向けたのか?どうしてそれは「特別の」と言われるのか?/「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから」 p212
 ・ ユダヤ人は自分たちが「遅れて世界に到来した」という自覚によって、他の諸国民との差別化を果たした。私はそう考えている p214
 ・ 遠い人類の黎明期のどこかで、古代の人々が「時間」と「主体」と「神」という三つの概念を立ち上げたとき、それとは違う仕方で「時間」と「主体」と「神」を基礎づけようとした人々がいた。/その人々がユダヤ人の父祖なのだと私は思う。/レヴィナスはユダヤ教の時間意識を「アナクロニズム」(時間錯誤)という語で言い表している。アナクロニズムとは「罪深い行為をなしたがゆえに有責意識を持つ」という因果・前後の関係を否定する。/「重要なのは、罪深い行為がまず行われたという観念に先行する有責性の観念です」/驚くべきことだが、人間は不正をなしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先にすでに不正について有責なのである。レヴィナスはたしかにそういっている。/私はこの「アナクロニズム」(順逆を反転したかたちで「時間」を意識し、「主体」を構築し、「神」を導出する思考の仕方)のうちにユダヤ人の思考の根源的な特異性があると考えている p218
 ・ 「私はこれまでずっとっここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している」と考える人間と、「私は遅れてここにやってきたので、<この場所に受け容れられるもの>であることをその行動を通じて証明してみせなければならない」と考える人間の、アイデンティティの成り立たせ方の違い p229

【目次】
 はじめに

 1.ユダヤ人とは誰のことか?
1 ユダヤ人を結びつけるもの
2 ユダヤ人は誰ではないのか?
3 ユダヤ人は反ユダヤ主義者が<創造>したという定説について
 2.日本人とユダヤ人
1 日猶同祖論
2 『シオン賢¥者の議定書(プロトコル)』と日本人
 3.反ユダヤ主義の生理と病理
1 善人の陰謀史観
2 フランス革命と陰謀史観
3 『ユダヤ的フランス』の神話
4 <バッド・ランド・カウボーイ>
5 騎士と反ユダヤ主義者
6 モレス盟友団と個人的な戦争
7 起源のファシズム
 終 終わらない反ユダヤ主義
1 「わけのわからない話」
2 未来学者の描く不思議な未来
3 「過剰な」ユダヤ人
4 最後の問い
5 サルトルの冒険
6 殺意と自責
7 結語
8 ある出会い
 新書版のためのあとがき

レビュー投稿日
2018年10月14日
読了日
2010年2月20日
本棚登録日
2018年10月14日
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