ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

4.10
  • (87)
  • (103)
  • (47)
  • (5)
  • (2)
本棚登録 : 1194
レビュー : 126
lonesinkerさん ノンフィクション   読み終わった 

評判は聞いていたけど、ほんとに面白い!
ピダハンとは、ブラジルのアマゾンに暮らす狩猟採集民族のひとつ。著者は、もともとは聖書をピダハン語に訳すというミッションを負ってアメリカから派遣された伝道師かつ言語学者で、70年代末から30年以上にわたって、彼らと付き合い続けてきた。文化人類学者がアマゾンの部族について書いたものはいろいろあるけれど、言語学者の目から見たピダハンのユニークさは、実に魅力的だ。
 たとえば、ピダハン語で使われる音は、母音が3つ、子音も男性で8つ、女性で7つだけ。これにさまざまな音調や歌、ハミングをくみあわせてコミュニケーションをとる。「1,2,3…」という数の概念、「右」「左」の概念もない。入れ子構造の構文もないという、きわめてシンプルな言語なのだ。
しかも、シンプルなのは言語だけではない。彼らは、基本的に自分が直接体験したことしか言語化しないため、親族関係を示す語に「祖父」はあっても「曾祖父」はない。創世神話すらなく、祖先や神のための儀式も行わない。まさに言語学の、いや「人間」という存在に関するこれまでの常識をくつがえしてしまうような人々なのである。
このシンプルな言語・生活・文化は、ピダハンが「低い」レベルにとどまっていることを意味しているのだろうか?著者自身、最初は、ピダハンが複雑な儀式や文化様式をもたないことに失望し、もっと「興味深い」部族のところに派遣されればよかったのにと思ったことを告白している。だが著者によれば、彼らのシンプルな生活様式は、アマゾンの環境と完全に合致しているのだ。ピダハンたちは食糧を貯めこまず、複雑な道具も必要としないかわり、よく働き、夜も害獣がいるのでぐっすりとは眠りこまない。それで必要十分な生活ができている。つまり、この人々は、現代の高度文明に達する能力がなかったのではなく、あえてそうしようとはしなかったのだ。
たしかにピダハンの社会に創造や個性、進化は欠けているかもしれないが、「しかしもし自分の人生を脅かすものが何もなくて、自分の属する社会の人々がみんな満足しているのなら、変化を望む必要があるだろうか。これ以上、どこをどうよくすればいいのか。しかも外の世界から来る人たちが全員、自分たちより神経をとがらせ、人生に満足していない様子だとすれば。」
実際、彼らはもっともよく笑い、よくおしゃべりし、人生に満足している人々だと著者はいう。彼らの存在は、私たちのあり方こそがもっとも優れており普遍的だという思いあがりを心地よく打ちのめして、異なる生のありかたに想像力をひらかせてくれるだろう。
しかし、ピダハンがこのように魅力的な人々として私たちに紹介されたのは、ひとえに、先入観や価値判断によって自分を閉ざさず、異なる人々から謙虚に学ぶ態度を備えたこの著者の曇りなき眼差しのおかげだ。ピダハンとその言葉を知るにつれ、聖書をピダハン語に翻訳するという任務の不可能性に気づかされた著者は、ついにキリスト教の信仰を捨て、家族も崩壊することになったと告白している。自分の物差しを捨て、他者の目で世界を見て、自分を変えることのできるこの著者の勇気に、深く力づけられる。

レビュー投稿日
2014年5月8日
読了日
2014年5月3日
本棚登録日
2014年5月4日
1
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と...』のレビューをもっとみる

いいね!してくれた人

ツイートする