限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序 (集英社新書)

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  • 集英社 (2018年10月17日発売)
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EUの、国連の、領域国民国家という概念の「限界」を、現実の中東・欧州の情勢から指摘する。非常に示唆に富んでいる。以下、メモ。

・EUの限界
リベラルの正体が、難民問題で露呈。難民ではなく不法移民だとEUは言うが、なぜ難民が発生するか、シリアで自国民を虐殺している政権があるせいなのは知っているはず。これまでヨーロッパ諸国が普遍的な価値として共有してきたはずの自由、平等、人権は、人類すべてに適用されるものではなかったということが露呈した。しかも難民排斥をしている側は自分を「リベラル」と呼ぶのだ。
 移民に対して「同化を求めない(多文化主義)」国(オランダ、イギリスなど)は、じつは他文化に対する「無関心主義」のもとに成り立っていた。だから9.11テロで何も知らなかったゆえの「恐怖」が顕在化し、オランダではムスリムに対する迫害が起こった。イスラームは女性に強制的にベールをかぶせると言いながら、オランダは街のど真ん中に売春宿(飾り窓)を置いている、そこにいる女性たちの多くはカリブや中南米やアフリカ、あるいは東欧の貧しい国から「売られてきた」女性だ。であるにもかかわらず、「個人の自由」とうそぶいている。
 一方で「同化を求める国」では、「●●人にしてはよくやっている」というところからいつまでも脱することができない。同化の努力をしている姿だけは評価される。遅れた連中が頑張っているのは好ましいことだからだ。フランスではライシテと呼ばれる政教分離の原則をたてに「スカーフ禁止法」が施行されたが、女性のかぶりものは「イスラームのシンボル」でもなんでもない。言いがかりにすぎないものである。
・領域国民国家の限界
地図からISは確かに消えたが、もともと「領域国民国家」は西欧のパラダイムであって、ムスリムたちが求めているのは国境とか国民という枠組みではなく〈純粋にイスラームの立場に立って「何が正しく、何が邪悪なのか」ということを宣言できるリーダー≒カリフの存在がもたらす秩序〉である。かつてはオスマン帝国による穏やかな統合のなかで暮らしてきたクルド人たちがサイクス=ピコ協定をもとに引かれた国境線により「ほかの民族が支配する国民国家内のマイノリティ」になってしまった。領域国民国家という幻想が生んだ、典型的な被害者である。
・限界の国連
国連が調停者としての役割を果たせていない理由の一つは、今、中東でおきている問題の多くが、主権国家間で話し合って方がつく問題ではないから。アサド政権のように自国の国民を虐殺しているような問題は、「内政問題」なので国連は無力。リビアのカダフィ大佐が、欧米諸国の要求に従って非核化を受け入れ、非核化とそのための査察に応じたせいで、その後。多国籍軍が軍事介入に踏み込まれ政権崩壊、カダフィは惨殺、遺体はさらし者になっている。だからアサド政権はロシアに拒否権行使の口実を残すために絶対に嘘をつき続けるし、北朝鮮は絶対に核を手放さない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 人文
感想投稿日 : 2019年4月13日
読了日 : 2019年4月13日
本棚登録日 : 2019年4月13日

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