詩人・北村太郎の後半生を、詩人として世に出たねじめ正一が描く本書。
最初の章は「終りのない始まり」と題され、その脇に「たしかに、それは、/スイートな、スイートな、終りのない始まりでした。」と引用されている。北村太郎が親友・田村隆一の妻である明子に「どうやら僕は、恋に落ちたようだ」と告白するこの章に、「終りのない始まり」とあるのはどういうことだろう、と思っていた。それで、このタイトルがとられたもとの詩の「終りのない始まり」にあたってみた。じつはこれは北村が最初の妻・和子(じつは、田村隆一の妻のほんとうの名前も和子)と息子・昭彦を海の事故でなくしたことをうたった詩だった。二人を荼毘に付したあとで、北村はこううたう。
====
電車の走る音がきこえます。たしかにこれで終りました。
何が? 生けるものと
生けるものとの関係が、です。そして
いまこの郊外の
晩夏の昼、もっとスイートな関係が、死せるものたちと
生けるものとの関係が、始まったのです。たしかに、それは、
スイートな、スイートな、終りのない始まりでした。
====
「終りのない始まり」とは、北村にとっては「死せるものたちと、生けるものとの関係」のはずだった。ねじめが最初の章に「終りのない始まり」と題したのは、たんに言葉としてちょうどいいから選んだというわけではないだろう。北村にとって、もうひとつの「終りのない始まり」は、たんに親友の妻に惚れたということではなく、中断していたに近かった「言葉との関係」=「詩を書くということ」が、ふたたび始まり、それが自分の死まで続いたということを指しているのだと思う。
じつは『荒地の恋』それほどおもしろい話とも、いい話とも思っていなかったんだが、北村太郎の詩と併せて読んでいくと、重層的というか、二階とか地下室ができる感覚というかが生まれてきて、おもしろくなった。
- 感想投稿日 : 2014年3月29日
- 読了日 : 2008年9月29日
- 本棚登録日 : 2013年5月19日
みんなの感想をみる