反戦をテーマにしながらも、懸命に生きる少女たちの眩しさが、健気さが、ずっと心に残った。

よく、戦後の混乱とか、引き上げの苦労などと、一言でまとめられてしまうが、そんな5文字、8文字の言葉では、とても収まりきらないような出来事。
それは、ほんの70年前のこと。

中国残留孤児、日本人の子どもを中国の方が育てたと聞くと、人身売買などもあったのだろうが、大陸的な大らかさからと勝手に思っていた。
当時、双方は敵対関係にあり、その間には、未だに解決されない数々の事柄を含む、差別があり、暴力があり、抑圧があり、搾取があり、限りない悲しみや涙があった。

それでありながら、中国の方は日本の子どもを保護し、育てたのである。
もちろん、悪意的な扱われ方をされた子どもも多かったと思う。全てのケースが、善意であったとは思わない。
しかし、本書や山崎豊子著の「大地の子」のように、大切に育てられた子供も、少なからずいるのも、また事実である。
戦後の日本で、たとえば中国人の子どもが、もし同様であった場合、同じように出来ただろうか。
断定はできないが、難しかっただろうと思う。
その違いは、価値観や考え方の多様さ、前述した大らかな国民性かと思い込んでいた。

しかし、きっとそんな生易しいものではなかったと、気付かされた。
あまりにも、悲惨だったのではないか。
子どもの姿が。顔が。状況が。
敵対関係とか、大人の問題を超越するほどに。

自分を守るために、武器を持つのか。
自分を守るために、あえて武器を捨てるのか。

本当の戦争を教えられた。
それなのに、生きること、人を思うことの大切さがずっと強く残る、美しい物語だった。

2016年2月25日

読書状況 読み終わった [2016年2月25日]

かつて飼っていたハスキー犬は、誇り高い犬だった。
片目が黒く、片目が青。
ぬいぐるみのように、ムックムクの足。
ぴんと立った耳に、凛々しい眼差し。

家族が大好きで、旅行から帰って来たら踊るように喜んだ。
泣いている時には、そっと寄り添ってくれた。
我慢強さは類を見ず、出産を静かに成し終えたと感動も冷めないのに、ガリガリになりながら、子ども達にエサを与える姿は神々しかった。

病気になり、立てないくらい弱っているのに、決して家の中を汚さず、
用を足すのは、必ず家の外だった。
いよいよご飯を食べなくなった時、この子はもう受け入れているんだなと思った。
その命が尽きる直前まで、もう立てないはずなのに、
スッと凛々しく、力強く立ち、窓から外を見ていた姿が忘れられない。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]

小さい頃って、確かにこんなだった。

親は、絶対だと思ってるから、何か妙なことがあれば自分のせいだと思い。
思ってることに対して、圧倒的に語彙が追いついていないから、
自分の感情を上手く伝えられなかったり。
友人の家に行けば、こんな家だったらと憧れたり。
実際、私も友人の家のお母さんが自分のお母さんだったら、
それなら誰のお父さんとの組み合わせがベストかを考えたりしていた。
優しいから好きっていうんでなく、この人なら自分をわかってくれるという期待があるのだけれど、それを気が合うというのだということを知ったのは、それよりずっと後、大人になってからだ。

子どもの時にこんなことで傷付いた、不安だったというと、大抵親や大人は、
そんな昔のこといつまで言ってんの、もう忘れなさいという。
子ども時代に、その人の基本が作られるという、子育ての原則を忘れて。

いろいろ思っているけど、ちゃんと伝えられないまま素直に従う。
まるで犬のように。
そんな頃のことを、鮮明に思い出させてくれた。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]

「きみはいい子」
「べっぴんさん」
誰もが言われたいと思っている。
誰もが言われたかったと思っている。
老若男女。
それだけで、自分の存在に自信が持てる。
素朴な言葉の温かさ。

今からでも言ってみよう。
子どもに。友人に。自分に。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]

コッコちゃん!
その小さな背中を抱きしめたい。
でもそんなことをしたら、きっと言われてしまうんだろうな。
「うるさい。ボケ」

子どもの頃は、感じることに対して、圧倒的に語彙が少なすぎる。
だから、大人にして見れば、訳の分からないタイミングで泣いたり、怒ったりしてしまうのだ。
たとえば、コッコちゃんがお気に入りのノートを、黙って窓から放り投げたように。

洩れなく伝えたいのに、表現の仕方がわからなくて、もどかしかった子ども時代。
ああ、そうだったよなと、言葉にならない懐かしさを感じた。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]

「誰でもよかった」
そんな言葉をニュースで聞くことが、珍しくなくなった。
非人間的な発言に、慣れたくないのに。
殺人、その全てに理由があるわけではない。
しかし、理由があればいいのか。理由がないからいけないのか。

人身事故と聞けば、電車の中に溜め息が渦巻く。
命が消えたというのに。
全ての人間の命は尊いというのに。
それなら、非道な事件の加害者は極刑で罰せられるべきと思うのは、
矛盾しないのか。

問いかけが、止まらない。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]

他人を信じるのって、何て難しいのだろう。
愛とか、恋とか、そんな単純なことでは語れないほどに。

だから、他人に信じてもらえるということは、
限りなく尊いのだ。
無性に、嬉しいのだ。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]

一人一人の人生の、一瞬の輝き。
全員無事だったらと、切ない気持ちになった。
もう、誰もいないのだ。

毎日、テロや事故で何人死亡というニュースが流れる。
数字だけで、あっさりと語られる、その死だが、
その背景には彩り豊かな、1人1人個々に、
その人にしか語れない物語が、満ち満ちているのだ。

2016年2月7日

読書状況 読み終わった [2016年2月7日]
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