日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2007年11月16日発売)
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感想 : 84
5

いやぁおもしろかった!
著者の内山節氏の講演会に行きたくなった。

後半のベルクソンらの知性の話や歴史哲学もおもしろかったけれど、私には前半部分がたまらなくおもしろかった。
以下おもしろかったこと。

1.なんといっても問いの立て方が最高!
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」 これは「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」と並ぶ新書タイトルの最高峰だと感じた。

2.安倍晴明の逸話
説話として残っている晴明の活動を見ると、「式神」が鳥や動物に降臨するときにすぐれた能力を発揮していた。しかし江戸時代に入ると、晴明は母がキツネだったから能力があると変化する。つまり能力のあるものが「式神」から「キツネ」に変化している。p.13−14

3.オオサキ
オオサキは食べ物の「ミ」を食べる。この「ミ」は「魂」あるいは「霊」と書いてもよいが生命の根本的なものである。日本の伝統的な食事の考え方としては、食事とはミをいただくことで、いわば生き物の生命をいただくから、その生命が自分の生命になると考えられていて、その意味では食事とは他の生命を摂取することである。だから、自分のために犠牲になる生命への感謝が必要となる。日本では、神が人に与えた糧ではなく、生命的世界、霊的世界からいただく糧である。日本の伝統的な食事のマナーは、静かに、厳粛に食べることを基本にしているが、食事の時の祈りの対象は神ではなく、霊的世界になる。またこのオオサキは秤好きで、ときにオオサキ祓いの儀式が執り行われることもある。p.18-22

4.次元の裂け目
村の世界は様々な神々の世界であり、次元の裂け目のようなものが所々にあり、その裂け目の先には異次元の世界が広がっていると考える人も多かった。「あの世」を見る人もいた。ときにはオオカミはこの裂け目を通って、ふたつの世界を移動しながら生きていると考える人もいた。

5.問いと答え
キツネにだまされていたという話が事実だったかどうかにかかわらず、なぜだまされなくなったのかを問いかけると、そこから多くの事実が浮かび上がるということである。出発点が事実かどうかにかかわらず、その考察過程では幾つもの事実が見つけだされる。p.69

6.山上がり
いよいよ生活が立ちいかなくなったと感じたとき、村人の中には「山上がり」を宣言するものがいた。「山上がり」は宣言し、公開しておこなうものなのである。宣言した者は言葉どおり山に上がる。つまり森に入って暮らすということである。そのとき共同体には幾つかの取り決めがあった。誰の山で暮らしても良いし、必要な木は誰の山から切っても良いし、同じ集落に暮らす者や親戚の者たちは山上がりを宣言した者に対して、十分な味噌を持たせなければならないという取り決めがあった。p.73-74

7.馬頭観音
旅の途中で馬は山の中で時空の裂け目のようなものを見つける。この世とあの世を継ぐ裂け目、霊界と結ぶ裂け目、神の世界をのぞく裂け目、異次元と結ぶ裂け目である。この裂け目は人間には見えないが、動物にはわかる。そしてこの裂け目は誰かが命を投げ出さないと埋まらない。埋まらないかぎりは永遠に口を開けていて、その裂け目に陥ちた者は命を落とす。いまに陥ちそうな先を行く飼い主をを救うために自らが犠牲となって裂け目に飛び込む…。だから人間たちは馬に感謝し、その霊を弔って馬頭観音を建てた。p.78−79

8.山林修行
日本の人々は自然の世界に清浄な世界を見出していた。自然の生命には自己主張からくる作為がないからである。ところが人間は自己を主張し、しかもその主張を知性で合理化するから、次第に本当にことがわからなくなっていく。霊が穢れていくのである。この穢れは死後に自然の力を借りながら霊の清浄化をとげていく、そのことにより自然に帰り、永遠の生命を得ていくと考えられていたけれど、この霊の穢れに耐えられなくなった人々は生きているうちに「山林修行」を目指した。

山に入ることは、人間的なものを捨てる、文明を捨てるということを意味していた。家族も、村も、共同体も、社会も、つまり人間的なものが作り上げたすべてのものを捨てて山に入る。その意味で死んでいくときのたった一人の人間になるのである。古代の習慣では、道具も持たずに山に入ったらしい。道具もまた文明であるからだ。山では木の実を食べ、根を食べる。厳密には火も使わない。自然は火で料理はしないからである。そうやって動物のように暮らしながら荒行を重ね、お経を読み続ける。穢れた霊の持ち主である自己を死へと追い込むのである。そして文明の中で生きてきた現実の自己に死が訪れた時「我(われ)」は山の神と一体となり、清浄な例として再生する。p.85−89

9.間引き
自然の生き物は、自分に都合の悪い育ちが良くないものを、あらかじめ間引くようなことはしない。間引きとは、あくまで人間だけがする行為である。しかもこれは、育ちが良くないものは生きる価値がない、という思想に貫かれている。p.96-97

10.出口なお
例えば大本教を見れば、出口なおが神がかりしてはじまる。その出口なおは以前から地域社会で一目置かれていた人ではない。貧しく、苦労の多い、学問もない、その意味で社会の底辺で生きていた人である。そのなおが神がかりし、「訳のわからないこと」を言いはじめる。この時周りの人々が、「あのばあさんも気がふれた」で終りにしていたら、大本教は生まれなかった。状況をみるかぎり、それでもよかったはずなのである。ところが神がかりをして語り続ける言葉に「心理」を感じた人たちがいた。その人たちが、なおを教祖とした結びつきをもちはじめる。そこに大本教の母体が芽生えた。この場合、大本教を開いた人は出口なおであるのか。それともなおの言葉に「真理」を感じた人の方だったのか。必要だったのは両者の共鳴だろう。p.100

11.通過儀礼
かつて一九七〇年代に、姫田直義が『秩父の通過儀礼』問いうドキュメンタリーフィルムを撮っている。このフィルムをみて感じることは、一人の人間の生命に対する感じ方の今日との違いである。現在の私たちは、生命というものを個体性によって捉える。しかしそれは、特に村においては、近代の産物だったのではないかと私には思えてくるもちろんいつの時代においても、生命は一面では個体性を持っている。だから個人の誕生であり、個人の死である。あが伝統的な精神世界の中で生きた人々にとっては、それがすべてではなかった。もう一つ、生命とは全体の結びつきの中で、その一つの役割を演じている、という生命観があった。個体としての生命と全体としての生命というふたつの生命観が重なり合って展開してきたのが、日本の伝統社会だったのではないかと私は思っている。p.108−110

12.外国人技師
かつて山奥のある村でこんな話を聞いたことがある。明治時代に入ると日本は欧米の近代技術を導入するために、多くの外国人技師を招いた。そのなかには土木系の技師として山間地に滞在する者もいた。この山奥の村にも外国人がしばらく暮らした。「ところが」、と伝承がこの村には残っている。「当時の村人は、キツネやタヌキやムジナにだまされながら暮らしていた。それが村のありふれた日常だった。それなのに外国人たちは、決して動物にだまされることはなかった」今なら動物にだまされた方が不思議に思われるかもしれないが、当時のこの村の人たちにとっては、だまされない方が不思議だったのである。だから「外国人はだまされなかった」という「事件」が不思議な話としてその後も語りづがれた。

なんだかまだまだ書き足りない。p.52−53など丸写ししたくなる。しかし、この本を読んでいて出口なお現象ではないが、この本を読んでいると、「これまで私が無意識に感じていた思想と共鳴し」帰依したくなるような思いに捉われた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新刊
感想投稿日 : 2016年5月19日
読了日 : 2016年5月19日
本棚登録日 : 2016年5月16日

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