茶の本

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りささん at random   読み終わった 

「 ”茶の心”とは、日常生活の些細な事柄に美を見出し、それを礼讃することであり、雄大な自然宇宙に存在する自己はほんの一部であり、ちっぽけであることを認めながら、自然の美、簡素の美を慈しみ、自然との調和を求めることである。」

「ですから「現在」は絶えず移りゆく無限であり、れっきとした相対的なものです。相対的であるということは、適応を求められますし、適応とは「生きる技」であり、「芸術」なのです。このように、「生きる技」とは、我々をとりまく環境に対し、常に適応していくことをいうのです。ですから、道教は現世をありのままに受け入れ、わずらわしい毎日の中で美を見つけようとするものだといえるでしょう。」

「「人生という喜劇において、役者全体が和を保とうとすれば、より面白くなる」と道教徒は言います。物と物との釣り合いを保ち、自分の立場を失うことなく他人に譲ることが日常劇を成功させる秘訣です。我々が自分の役をちゃんと演じようとすれば、劇全体について把握しておかなければなりません。つまり、個人という概念において全体という概念を決して見失ってはならないのです。」

「人生において生き方をマスターした人間を「道士」と呼びます。(中略)道士は「冬、川を渡る人のようにしぶしぶと、隣近所を恐れる人のようにためらいがちに、客のように恭しく、今にも溶けそうな氷のように震え、細工のない荒木のように気取らず、谷のように空虚で、混沌として水が流れるよう」です。」

「道教が茶道の審美的な理想な基盤となり、禅がこれを実際的なものとした。」

「禅が東洋哲学になした貢献は、日常のありふれた事柄も精神的なものと同様に大切であると認めたことです。物事の関係において大小の区別はまったくなく、つまり、一個の原始も広大な宇宙と同様の可能性を持っているのです。」

「つまり利休が求めていたものは、単なる清潔さだけでなく、美しくかつ自然であることだったのです。」

「空き家」という言葉は、道教の「すべてを包含する」という教えを意味する他に、装飾の題材は常に変化すべきであるという概念に基づいています。茶室はまったく「空」で、何か置かれるとしてもある美的雰囲気をかもしだすための一瞬のものです。」

「日々の暮らしの中に美を見出す茶人の芸術観」

「茶人は、芸術を実生活に反映させて初めて本当の芸術を理解することができるのだと考えていました。ですから茶人は茶室で学ぶ高度に洗練された茶法を通して、日常生活も精進しようとするのです。ですからどんな場合でも、心の平静を保ち、会話は周囲との調和を損なわないように努力します。着るもののスタイルや色調、姿勢や歩き方もすべて、その人の人格を表す芸術的な表現と考えるのです。ですから、これらは軽視されるべき事柄ではありません。というのも、自分自身を美しくしてこそ、初めて美に近づく権利も与えられるからです。」

レビュー投稿日
2010年1月3日
読了日
2010年1月2日
本棚登録日
2010年1月2日
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