検証・山内一豊伝説 「内助の功」と「大出世」の虚実 (講談社現代新書)

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  • 講談社 (2005年10月19日発売)
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3

日本史上最強の「内助の功」伝説は本当か。うだつの
上がらない下級武士・山内一豊を土佐一国の大名にし
た妻・見性院の知力、胆力を史実から検証し、戦国時
代を生き残った秘訣を探る新書版『功名が辻』。
2005年の刊。
 第一章 流浪の時代と「黄金十両の名馬」
 第二章 秀吉の天下と「天皇献上の小袖」
 第三章 関ヶ原の戦いと「笠の緒の密書」
 第四章 「土佐二十四万石」の真実
 第五章 藩祖夫人の「最後の戦い」

著者は、財団法人土佐山内家宝物資料館の館長。
良くも悪くも新書本で、いささか物足りなくある意味
山内一豊らしい本である。
資料館には3万数千点の古文書がありその研究が望ま
れるところであるが、本書では山内家家誌編輯所によ
り明治から編纂が始まった「山内家史料 歴代公紀」
を引用している。
山内一豊の正しい読みは「やまうちかつとよ」だとい
う。秀吉の出世と連動するように取り立てられ、大名
となった後、秀次の宿老となる。著者は秀次を監督す
る役割を与えられたと推定している。
関ヶ原では小山評定での発言で功を上げ、土佐1国を
賜る。
長宗我部家の改易、井伊直政による接収、長宗我部家
臣、家老方と家中方の対立により浦戸一揆の勃発、家
老方による一揆の鎮圧を経て、土佐に入国する。この
辺り通説では一豊が一揆を鎮圧したように語られるが
誤解があるようである。家老方は国外へ退散し、他家
に仕官する道を選ぶ。
一豊入国時の土佐は9万8千石。慶長9年に徳川幕府
が領知高帳簿と絵地図を徴集した時に20万石に改め
る。(著者は、豊臣政権下の石高帳簿を否定するため
に行ったと言う)
土佐に入国するものの家臣団は不足気味であった。し
かしながら土佐での家臣採用は軽輩が主であった。重
臣層の登用が進まなかったのは、浦戸一揆の影響とし
ている。
第一章から第四章までは、地味ながら得るところも多
いが第五章は消化不良気味である。見性院が政治活動
を行ったとするが深読み気がする。

参考文献一覧が無いのが残念。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史(戦国)
感想投稿日 : 2013年8月2日
読了日 : 2013年8月2日
本棚登録日 : 2013年7月28日

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