東軍七万、西軍八万の激突主力秀忠軍遅参が持つ意味は。
関ヶ原での東軍の勝利は徳川の力によるものではない。秀忠の軍勢三万の遅参。外様大名の奮戦。不測の事態が家康の計算を狂わせた。苦い勝利。戦後処理の複雑な陰翳。三百年の政治構造がここに決定される。天下分け目の合戦を詳述。
第一章 豊臣政権とその崩壊
第二章 三成挙兵
第三章 関ヶ原の合戦ー慶長五年九月十五日
第四章 戦後処理ー征夷大将軍任官の政治的文脈
第五章 むすびにー関ヶ原合戦の歴史的意義
滝野川さんの「今日は9月15日」というコメントに触発されて読む。親本を読んでいるので再読というべきか。
親本の講談社選書メチエは1994年の刊行。手元にあるのは2000年の第3刷なので、その頃、読んだはずである。本書を読んだ時の衝撃は、いまなお忘れる事は出来ない。
(ちなみに所持している親本には第2版注記というものがいくつか載っており良識的なのが嬉しい。)
文庫版は、2008年の刊。親本にあった注記は無いが、補論が付け加えられている。
本書が画期的なのは、備えの視点から、徳川軍の戦力は中山道を通った秀忠軍にあり、家康軍は旗本中心の防御的な舞台であったと論じたことにある。ゆえに合戦の勝利は、豊臣恩顧の外様大名の力に負う事が大きく論功行賞においても、外様大名を厚遇する必要があり、江戸幕府の支配体制に影響を与えたというものである。また、関ヶ原合戦から大坂の陣にいたるまでの間は、二重公儀体制であったとしている。
今から読むと、やや古びている部分もあるが関ヶ原を語るうえで外せない1冊であると思う。戦闘の経緯については、参謀本部編による日本戦史に依拠しているという点は不満な気もする。
ひとつ気になるのは、北政所と淀殿の抜き差しならぬ対立が、東軍についた武将たちの動向に影響したという点である。この点は、いろいろ批判もあったようであり、文庫化にあたり著者は補論を設けて自説を補強しているのであるが、個人的には補論を読んでも納得いかなかった。(両者の対立を物語る直接的な史料はないものだろうか)
とはいえ、いまなおお勧めの1冊であることに変わりは無い。
- 感想投稿日 : 2012年9月16日
- 本棚登録日 : 2012年9月15日
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