三十二回目の六月四日が巡ってきた。
香港では追悼集会が禁止され、六四記念館が閉鎖された。
ならば、「ひとりでも六四」ということで本書を手に取った。
僕の中では、石牟礼道子の『苦海浄土』が水俣病の記憶遺産であるように、この本が天安門事件の記憶遺産だ。/
一天にわかに掻き曇り、現れましたるかの「神樹」。
「神樹」、「神樹」と一口に云っても、
そんじょそこらの「神樹」とは、ちと「神樹」が違う。
幹に登って葉叢に潜めば、日本軍さえ手が出ない。
「神樹」の落ち葉を拾って炊けば、煙の中から現れ出ずるは、過去の幻影、魑魅魍魎。
荒蕩無毛、全姦近艶、淫色厳金、もろびとこぞりて劣情発情。
抗日、建国、土地改革、大躍進に大飢饉、文革、六四、「神樹」暴乱。
大中国の光も闇も、総て観せます乾坤一擲、こんな文学何処にある!
《『神樹』よ、ありがとう。一年半もの間、私は太平洋の彼方にある祖国で暮らし、わが太行山の長老や村の衆のあいたで暮らせたのだ。》(鄭義)/
鄭義は、もう書くのをやめただろうか?
アメリカでの暮らしは、彼の抵抗を風化させただろうか?
2011年に公開された翰光監督のドキュメンタリー映画『亡命』では、作家兼主夫業にいそしむ鄭義の元気な姿を垣間見ることができたが……/
僕には一つの懸念がある。
中国からの亡命作家の小説の翻訳出版が、この所ずっと等閑視されているように思えて仕方がないのだ。
天安門事件後、93年にアメリカに亡命した鄭義(47年生)の作品は、99年に本書が刊行されて以来出版されていない。
2000年にノーベル文学賞を受賞した高 行健(1940年生、90年にフランスに亡命)の本でさえ、『霊山』(03年)、『母』(05年)以来出ていない。
最後の作品が出てから、鄭義で22年、高 行健で16年が経過している。
現在、鄭義は74歳、高 行健は81歳になるが、国を捨ててまで自由を選んだ彼らが、いくら母国語の読者が激減したからといって、簡単に筆を折ったとは到底思えない。
どうしても、僕はそこに、彼らを生きたまま葬ってしまおうという超大国の意思を感じてしまうのだ。
おそらく、彼ら亡命者の作品を世に出すには、翻訳者にも、出版社にも相当なプレッシャーがかかるだろう。
だが、彼らにしか伝えられない言葉がきっとある。
英語やフランス語からの重訳という方法もあるかも知れないし、インディペンデントの出版社から出すという方法もあるかも知れない。
いずれにしろ、絶対にしてはならないことは、彼らの声を圧殺しようとする者の言いなりになることではないだろうか?
それとも、もはや彼らの声に耳を傾けようとする者は、僕の様な変人しかいなくなってしまったのだろうか?
- 感想投稿日 : 2021年8月12日
- 読了日 : 2021年8月12日
- 本棚登録日 : 2012年7月10日
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