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たとえば、ある青年医師の経験は象徴的だ。一九七七年、三〇歳の医師が
線維肉腫で片足を切断する。しかし、その九ヵ月後、胸に痛みを感じる。
ガンの転移である。その日のことを彼はこう記している。
(転移を知った)その夕刻。自分のアパートの駐車場に車をとめながら、
私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いてみえるのです。
スーパーに来る買い物客が輝いている。走りまわる子供たちが輝いている。
犬が、垂れはじめた稲穂が雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いてみえるのです。
死に直面すると、これまで何気なく見ていた、いわば白黒の世界が、
突然このように総天然色の輝く世界へと姿を変える。世界がまったく違って見える。
・・・
桜は同じなのだが、自分が劇的に変化した、ということである。養老は言う。
「知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界が
まったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。」
●これは欺瞞じゃないかな。下記のように人間の感覚の不確かさを
象徴しているだけだと思う。
・一緒に食事をしていた友人がタバコ嫌いだと知ったから吸わない。
・あいつのことは嫌いだけど、具合が悪いと知ったからやさしくする。
・ただの茶碗だと思ったけど、100万円もすると知ったら良い物に思える。
こういった感覚で死を美しく捉えようとしてはならない。死の感覚を
歪めてはならない。
●普遍的な『ほんとうの幸せ』なんて存在しないんじゃないかな。
●人間が生き物の犠牲のうえに生きなければならないことは、ほんとうに
不幸なことだろうか。仮にテクノロジーが発展して、人間が空気から
エネルギーを得ることができるようになり、一人で誰にも迷惑をかけず
生きることで幸福になれるのだろうか。世界では微生物を魚が食べ、
魚の屍骸を微生物が食べているのに。生き物が他の生き物を殺さず
生きていくことで、幸福になれるとは思えない。
●生き物を殺して食べて自分が生きることが偽りの幸せだとする。仮に空気をエネルギーに変える機械が発明されて、人間がいかなる殺生もおかさず一人で生活できたとして、外の世界は変わらず草は牛に食べられ、牛は虎に食べられている。さらなる革命が訪れてすべての生き物が空気で生きて、何者にも害を与えない世界になったとき、『ほんとうの幸せ』が訪れるのだろうか。
●春 暖かい陽射しを好きになる。太陽は喜んで近付く
夏 熱い陽射しを憎む。太陽は慌てて離れる。
秋 日に日に涼しくなる陽射しに安堵する。太陽はますます傷付き離れる。
冬 寒さを嫌悪し家にこもる。太陽は傷心のなかで近づいて行く。
☆きっかけは日経トレンディの読書術に関する書評をみて
読了日:2010/08/
- 感想投稿日 : 2010年8月17日
- 本棚登録日 : 2010年8月17日
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