まず読みやすい。蓮實的文体が姿を消し、疾走感のある物語があり、エンタメとしてもとてもすぐれている。次に、形式と内容について。一人称小説で狂気を描くこと、っていうのは、人間の認識のありかた(わたしはわたしが見ている世界しか見えない)を利用することだとおもいます。一人称しかない世界では、語りの綻びからしか狂気が伺えず、むしろ綻びを感じ取る読者もまた一人称的認識のありかたから逃れられることはなく狂気の危険性がある、という意味で独我論の恐れを最大限に利用できるのです。一人称小説である以上、どの段階の語りが「正常」なのか「狂気」なのかという判断を真に下すことはできません。だからイノウエとかカワイとかマサキの実在性は決して明らかにはならない、小説のどこからも、わたしたちは確信を持って判断することができない。日記部分に関して、わたしは以上のように読みました。なので、解説であずまんが見せた狂気の具体的な内容に着目する読解は興味深かった。一人称の狂気に関する意見は変わらないけれども、「私」が分裂し多数化する狂気というのは、たぶんそれ独特の問題があって、一人称的な狂気が持つ問題と分裂症の問題は重なるかもしれない。これについてはもっと考えてみたい。まあ、問題は最後ですね。このオチはハリウッドのホラー映画っぽいというかなんというか。狂気を描く小説ならたくさんある。阿部和重の特徴は、いわば実存的な問題すらも虚構における体験かもしれない可能性を提出する、その一歩引いたクールさかなあとおもいます。そして実存的な問題が、虚構における体験だとして、それの何が問題なのか、と。虚構における痛みは現実における痛みと同一ではないのか。そういうラディカルな問いかけも含んでいるのではないでしょうか。
- 感想投稿日 : 2014年3月10日
- 読了日 : 2014年3月10日
- 本棚登録日 : 2014年3月8日
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