新書アフリカ史 (講談社現代新書)

制作 : 宮本正興  松田素二 
  • 講談社 (1997年7月18日発売)
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 アフリカ諸国の歴史を概観する教科書的な本。新書ながら約600頁と分厚く、六部17章で構成されている。




【詳細目次】
http://d.hatena.ne.jp/Mandarine/20131009

【簡易目次】
はじめに アフリカから学ぶ

  第Ⅰ部 アフリカと歴史
 第一章 アフリカ史の舞台
1 人と自然
2 地形形勢と外世界交渉
 第二章 アフリカ文明の曙
1 人類を育てたアフリカ大陸
2 後期石器時代の環境変遷

  第Ⅱ部 川世界の歴史形成
 第三章 ザイール川世界
熱帯雨林下に刻まれた歴史
サバンナの王国社会
キャッサバとイスラームの道、奴隷の道
キサンガニ森林世界の原理
 第四章 ザンベジ・リンポポ川世界
鉄器農業社会の形成と発展の
大国家の時代
小国家の時代
 第五章 ニジェール川世界
サヘルにおける定住の開始
西スーダンの王国形成
森林地帯の都市と国家
 第六章 ナイル川世界
ヌビアの諸王国
上ナイルの地域形成
大湖水地方のニョロ王国

  第Ⅲ部 外世界交渉のダイナミズム
 第七章 トランス・サハラ交渉史
イスラーム以前のサハラ
中世イスラーム国家の繁栄
サハラ交易の矛盾とブラック・アフリカの覚醒
 第八章 インド洋交渉史
インド洋を渡る大交易路
サンジバルの盛衰
スワヒリ世界の形成
 第九章 大西洋交渉史
ポルトガルとアフリカ
奴隷貿易の衝撃
近代世界システムの成立

  第Ⅳ部 ヨーロッパ近代とアフリカ
 第一〇章 ヨーロッパの来襲
植民地支配の始まり
部六征服の時代
リベリアトエチオピア
 第一一章 植民地支配の方程式
サバンナのコロニー<イギリス領東アフリカ>
間接統治のモデル<イギリス領西アフリカ>
同化と直接統治<フランス領西アフリカ>
「善意」の帰結<ベルギー領コンゴ>
遅れた開放<ポルトガル領南部アフリカ>
 第一二章 南アフリカの経験
オランダ東インド会社の時代
イギリス領ケープ植民地の誕生
アパルトヘイトへの戦い

  第Ⅴ部 抵抗と独立
 第一三章 アフリカ人の主体性と抵抗
抵抗の選択肢
伝統の反乱
イスラーム神権国家の戦い
王国の抵抗<アシャンティとマダガスカル>
マウマウ戦争の構図
 第一四章 パン・アフリカニズムとナショナリズム
パン・アフリカ主義の誕生
ナショナリズムの芽生え
独立とアフリカ合衆国の夢
 第一五章 独立の光と影
自立経済への道
アフリカ社会主義の実験
ネイション・ビルディングの虚構
ビアフラ戦争の悲劇

  第Ⅵ部 現代史を生きる
 第一六章 アフリカの苦悩
民主化の時代
「低開発」と構造調整政策
近代化の矛盾
 第一七章 21世紀のアフリカ
多元的社会への可能性
逆説の文化戦略 言語の未来図から




【抜き書き】
・281-282頁〔松田素二〕
 “自由と平等を求めるヨーロッパの市民社会は、不自由で不平等なアフリカ人奴隷を必要としていた。この一見、相矛盾する現実を解決するために、アフリカ人を文明から徹底的に遠ざける言説が作り出された。アフリカ人は自分たちと同じ人間ではない、とすれば支配も差別も正当化できるというわけだ。アフリカ=野蛮の言説は、このとき発明されたと言ってよい。
 一七世紀から一八世紀にかけてアフリカに滞在したヨーロッパ人の残した書物は、この人種差別の言説を繰り返し反復することによって、常識として育て上げるのに成功した。著者はたいてい奴隷商人か奴隷船護衛の海軍将校であった。〔……〕
 こうしたアフリカ滞在者のレポートは、さらに哲学者や生物学者の手によって学問的に仕立てられ、人種主義が似非科学として成立する。近代植物学の先駆者カルル・リンネは、一七三五年の『自然の体系』の中で、人類をホモ・サピエンス(知恵をもつヒト)とホモ・モンストロスス(怪異なヒト)の二種に区分し、アフリカ人ら「原始的な人間」を後者に分類した。この成果を受けて、モンテスキューやヒュームといった啓蒙時代の一級の知識人たちが、アフリカ=野蛮観に哲学的な仕上げをほどこした。たとえばモンテスキューは「きわめて英明なる存在である神が、こんなにも真黒な肉体のうちに、魂を、それも善良なる魂を宿らせた、という考えに同調することはできない」(『法の精神』一七四七年)と述べた。これが啓蒙精神の本音だったのである。”



・344-345頁 〔峯 陽一〕 
 “ポルトガルの政治的・経済的な停滞が決定的になったのは、20世紀のサラザール独裁時代であった。貧農出身のアントニオ・デ・オリベイラ・サラザールは、権力への階段を昇りつめ、1932年にポルトガル首相となり、ドイツやイタリアと同類のファシズム体制を築いていった。ところが、イギリスとの絆が強かったポルトガルはドイツと同盟を結 ……344 ばなかったため、この地のファシズム体制は責任を問われることなく、第二次世界大戦後も生き延びた。サラザール個人は、68年の引退まで、政権に居座り続けることになる。
 ポルトガル・ファシズムの基盤は地主と軍隊、それにカトリック教会であった。サラザール独裁の時代、ポルトガルの農村の貧困はきわめて深刻であり、反体制運動は厳しい取り締まりを受け、秘密警察による密告が制度化されていた。”




・352頁 〔峯 陽一〕
 “エチオピアやソマリア、スーダン、ルワンダの悲劇が世界のマスコミの注目を集め、アフリカの「飢餓と貧困」のイメージが定着した80年代から90年代にかけて、独立後のアフリカ諸国の苦難は、ますますアフリカ人内部の「内輪もめ」や「失政」の結果と捉えられるようになり、西側世界は「善意の傍観者」として振る舞うようになった。ところが、西側世界の前哨部隊を自任していた南ア白人政権の80年代の振る舞いは、「傍観者」どころではなかった。南アは欧米諸国の強力な支援を受けて、独立したばかりのアンゴラとモザンビークを、実力で崩壊の崖っぷちにまで追いつめていたのである。”

読書状況:積読 公開設定:公開
カテゴリ: 西・中央アジア
感想投稿日 : 2015年1月9日
本棚登録日 : 2015年1月9日

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